カワセンさんの「お二人のご主張のメインの部分にはかなり共通した点があります」という指摘は、ちょっとよく分かりません。確かに、革命については語るべきだとは思います。しかし、浩二さんの言う、「国民の選択任せ」という理解は私とはちょっと違います。ああいった主張で党が言おうとしているのは、我が党はソ連共産党のようにはなりませんよ、ということだと思います。もちろん共産党としては、国民に働きかけて、その意識を変えていかなければなりません。それが党の役割であり義務なのです。「国民の選択による」と言ったとしても、この義務を放棄したことを意味するわけではありません。つまり、日和見主義になったというわけではないと思います。ただ、「国民の選択による」という言葉が一人歩きして、浩二さんのように考えている党員が多いことは事実でしょう。
「お二人とも党にこだわりすぎではないでしょうか?」というのは、そうかもしれません。やはり、共産党を通してでないと革命は起こせないだろうと考えています。ただ、私は党以外の文献も読んでいますよ。むしろ、マルクス主義関係では、党関係の本などほとんど読んでいません。紹介いただいた『マルクス・カテゴリー事典』は、図書館で借りてぱらぱらと読みました。これが「世界水準」ということですよね? 大変参考になりました。「アエラムック」の「マルクスが分かる」(朝日新聞社)というのは、いくら探してもないのですが。
社会主義と共産主義については、私の読んだ通俗的な解説書には、マルクスは、先行するサン・シモンやロバート・オーウェン、フーリエなどの理論を、非科学的だという意味で「空想的社会主義」と呼び、これに対して自らの学説を「科学的社会主義」と呼んだ、とあったように記憶していますが。高校の世界史の教科書にもこう書いてありますし。だから解説を求めたのですが。
そして、カワセンさんの投稿を読んでいて思ったのですが、「科学」という言葉の定義というか使い方が、私とは違うようですね。公害や原発で問題になっているのは科学というよりむしろその現実への適用、つまり技術だと私は考えています。科学というのは論理的な・かつ体系化された・認識のことだと考えていますので、マルクス主義を科学と呼んでも差し支えないと思います。