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「科学的社会主義」討論欄

「科学」認識(吉野さんへのレス)

1999/10/25 カワセン、40代、自由業

 まず、chuntaさんと私とは違うことを認識してください。
 私は、「科学」という言葉が社会に与えるイメージが、現代においてはむしろマイナスなのに、平然と「科学的」社会主義という言葉を使うのは、「科学」への古臭い(19世紀的?!)楽天的イメージに基づいており、そこにギャップがあるのだ、ということを言っているのです。
 私は何度も、自分としては社会一般に目立つ「科学不信」や「反科学」ムードに同調するものではない、と主張しておりいます。

マルクス主義という言葉について。
 もちろん、「私はマルクス主義者ではない」と言ったというマルクスの言葉は知ってますが、ここでは、世間一般に通用している意味、「マルクスの思想」といったニュアンスで使っています。マルクスの意図を知っておれば、別に問題はないはずです。しかしながら、吉野さんはこのマルクスの言葉を支持されるのでしょうか? ここでのマルクスの真意は、一切の教条化への拒否、ということであり、つまりは「科学的社会主義」という言葉を使うことへの批判的な姿勢もそこには含まれていると思うのですけどね。
 なお、「科学」を「絶対性」とか、「必然性」に求めることは正確ではありません。「宗教」も「絶対性」や「必然性」で成り立っているのですから、これでは「科学と宗教」の区別が分からなくなってしまいます。「科学」とは仮説を立て、実験などの検証によって実証できる知の体系のことでしょう。「科学」による「絶対性」「必然性」が今世紀になって、必ずしも自明とは言えなくなったというのはそのとおりです。むしろ、その認識のうえに立って言っているのは私のほうなのです。19世紀的な「科学」観でもって、「科学的」社会主義と唱えておればいいんだ、という態度への批判をしているのですからね。
 なお、「科学」の本質が実験による検証にあるとしたら、マルクスの思想の「ある本質」はすでにソ連の崩壊でもって否定的に検証済みです。「科学」の立場に立つなら、そのことは認めないといけないはずです。自分たちはソ連のようにはならない、と「確信」することは自由ですが、それでは「宗教」であって、「科学」の立場ではありません。「科学」「科学」とお念仏を唱えれば、「絶対の真実」を認識することが出来、そうした立場に立つことが出来るという思い込みほど愚かなものはないのです。