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「科学的社会主義」討論欄

この世界は有限か、それとも無限か>カワセンさん他へ

1999/11/4 J.D.、20代、学生

 いや、「他」と書いた投稿は、すべて直接にはカワセンさん以外の人に対するレスですよ。でももっと他の人とも議論したいので、それを妨げることにならないように配慮して、「他」と書いただけです。
 「マルクスの原理論の通俗的蒸し返しや、教科書丸写しを言われても、こちらは対応のしようがないのです」とありますが、文句がないならそれでいいのです。これらは、この教科書レベルのこともわかっていないように私には思われた人に対して、私が教科書的に解説した部分ですから。
 「一般に先行者の業績、そこで出された議論を支持する・しないは別として、事実として知っておく必要はあるのです」という忠告は、しっかり受け止めたいですが、普通の勉強をしていたのでは、普通の人にしかなれないと思う(むしろ、普通の人にもなれない、私の場合は)ので、私は私なりのやり方を創っていきたいです。
 単純化した方がいいのか、しない方がいいのか、については、条件しだいです(日本は北ですか、それとも南ですか)。しかし、ここのHPでは一貫して単純化しない方がいい、と主張しているつもりですが。単純化することと、事物の本質は実は単純であることが多いこととは、まったく別問題ですよ。単純な本質にたどり着くまでには、複雑な過程が必要なのです。
 「すべてを疑え」については、これもまた条件しだいです。疑う実力がある人は疑えばいいのです。私にはそんな実力はありません。当たり前のことですが、例えばマルクスを疑う場合、マルクスをしっかりと理解していなければなりません。この場合、マルクスを理解するというのは、マルクスの認識を追体験する、ということです。ところで、小学生が大学生の認識を正しく追体験できるでしょうか。
 平田氏の問題提起(こういうのを念頭に置いて、「党外」といっておられたのですね)は確かにまったく踏まえていませんでしたが、そんなことを言ったら、カワセンさんだって武谷三男の技術論をまったく踏まえていない科学論ですよ。どの人物を評価するのか、という問題がここには関わってきますが、私たちのレベルではどうあがいても主観的な理由でその人物を選んでいるだけだと思うのです。違うとおっしゃるなら、例えば武谷技術論の反駁でもここで展開してください。
 レーニンについては、私もそのうちいろいろと投稿したいです。といっても、教科書丸写しですが。もちろん、党の教科書ではありませんよ(私の教科書です)。『資本論』の基本的な解説くらいでは党との見解の相違がわかりにくかったかもしれませんが、レーニンに関しては、見解の相違が明白です。キーワードは、「相対的真理」と「対立物の統一と闘争」です。

 今回のカワセンさんの忠告は善意のものだと受けとりました。こういう忠告はありがたいです(といいつつ、最後の方で「教科書丸写し」なる言葉を使ってしまいました。でも、カワセンさんの忠告はちゃんと理解したつもりです)。