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「科学的社会主義」討論欄

いくつか疑問と質問>カワセンさんへ

1999/11/4 吉野傍、30代、アルバイター

 「科学的社会主義」の呼称問題ではもう論じるつもりはありませんが、カワセンさん、J.D.さんに向けた最新の投稿について、意見を述べさせていただきます。
 まず、カワセンさんは、J.D.さんに対して、「『資本論』の物神化がひどすぎます」と言いながら、ご自分の方は、あれこれの権威にそのまま寄りかかって、非難するのみです。たとえば、『資本論』以降の経済学の発展として、ケインズやシュムペーターやハイエクやマックス・ヴェーバーという大権威の名前が出されていますが、それらの権威の理論のどこが優れていて、どこを学ぶべきなのかについて、けっして自分の言葉で語らないし、また、けっして『資本論』のどこが問題なのか説明しようとしない。J.D.さんは不十分ながらも『資本論』について説明しようとしている。もちろん、自分なりの理解で説明しようとするわけですし、書ける量も限られているわけですから、私の目から見ても非常に不十分です。しかし、それでも自分の言葉で説明しようとしている。その努力には敬意を表すべきでしょう。ところが、カワセンさんにあっては、そのような努力は皆目見られず、大権威の名前を振りかざすだけ。これでは、若者に対する模範になっていませんね。
 また、「私的」と「個人的」の区別にしても、「平田清明氏の高名な著作」を持ち出すだけで、どこかどう違うのか、そしてそれがどういう意味を持つのかについても、自分の言葉でまったく説明しない(ところで、平田氏の場合は「個体的所有の再建」と表現していたのではなかったでしたっけ)。マルクスが、高次な社会を「個人的所有の再建」として表現したのは事実ですが、ご存知のように、その意味をめぐっては大論争が行なわれています。私も大いに興味を持っている議論ですが、まだ十分自分の言葉で語れそうにないので、その点については言及を控えています。
 「『資本論』の解説であれこれ論じ合うのは消耗」などという逃げを打たず、「私的」と「個人的」の違いという議論を持ち出したかぎりは、それに責任を負うべきでしょう。違いますか? ぜひご自分のお言葉で説明してください。
 次にカワセンさんは帝国主義論についても述べています。そこでも説明なき断言と権威への寄りかかりが見られ、そして新たに「嘲笑」の要素が混じっています。
 たとえば、カワセンさんはこう述べています。

「国家の一時代における政策にすぎない『帝国主義』を国家実体であるかのようにしてしまった点が最大の誤解」。

 「帝国主義」を「政策」に還元せず、資本主義の一つの段階として規定したのは、たしかにレーニンですが、「帝国主義」を「国家の一時代における政策にすぎない」と断言できる理由について、自分の言葉で説明してください。そして「国家実体」というのも意味不明なので、ご説明ください。
 続いてカワセンさんは次のようにレーニンを批判しています。

「レーニンの帝国主義論では市場の分析や、国家を支える政治システムの考察などが追求されていません」。

 このようにレーニンを批判するかぎりでは、当然、カワセンさんの「帝国主義論」には、市場分析も、国家を超える政治システムの考察も豊かに含まれているのでしょうね。権威の名前を出してごまかさず、ぜひ自分のお言葉で、帝国主義支配下での市場分析や、国家を超える政治システムについての議論を展開してください。この投稿欄が非常に実り豊かなものになることは間違いないでしょうから。期待しています。
 また、カワセンさんは、「軍備を他国に頼る米国を『帝国主義』というのも滑稽な限り」と述べていますが、アメリカが軍備を他国に頼っているというのはどういう意味でしょう?
 それと、まったく非武装ならいざ知らず、同盟関係において、軍備の一部をあれこれの他の帝国主義国に頼るのは、帝国主義軍事同盟としてごく普通の現象です。それだけで、「帝国主義」と呼ぶのが滑稽なら、あの第1次世界大戦前後の帝国主義同盟の時期においてすら、「帝国主義」は存在しなかったことになります。なぜなら、フランスは何よりもツァーリの軍隊を当てにしていたし、逆もまたそうだからです。そして、現在のヨーロッパの帝国主義諸国もみな、アメリカの軍備を頼りにしています。
 さらに、カワセンさんはこう述べています。

「日本の、米国への『従属性』を指摘しながら(ちなみに、私はこのような従属性を実体化した論も反マルクス的でしかないと考えますが)、『従属帝国主義』なるチンケな『概念』で説明しようとするのも、それに輪をかけた滑稽ぶり」。

 「滑稽ぶり」だの「チンケ」だの、ずいぶん嘲笑的お言葉がお好きなようですね。具体的にどこかどう「滑稽」で、どこがどう「チンケ」なのか説明せず、ただ「滑稽」だ「チンケ」だと罵倒する。カワセンさんのお人柄がよく現われている文章です。
 それと、「このような従属性を実体化した論も反マルクス的」というのも意味がわからない。「このような」と書かれているので、カワセンさんの文章の前の部分をよく読んで見たのですが、「このような」に該当する部分がまったく見当たりませんでした。「このような」というのは何を念頭に置かれているのでしょう。「従属性を実体化」という意味、および、なぜそれが「反マルクス的」なのかについても説明がありませんので、その点ともども、お教えください。
 以上の議論は、「科学的社会主義」の呼称問題などよりもはるかに重要で、有意義だと思いますので。