J.D.さんに対して書いた内容に対して、横から言われても困ります。あれは、あくまでJ.D.さんを想定してのものですから。私にとっては、あなたの問題がまだ終わってない。ご自分のペースに相手を巻き込むというのは「ディベート」の「手法」の1つでしょうけど、遺憾ですね。その手には乗りませんが。ただ、1つだけ、誤読を注意しておきます。あなたは、私が「あれこれの権威にそのまま寄りかかって」とか言われてます。私はケインズやシュンペーターを考慮に入れるべきだ(と彼らの名前だけ挙げて)、『資本論』だけが経済学ではない、ということを語っただけで、こうした経済学者を「権威」だとか、絶対信奉せよ、とかは一言も言ってません。相手の主張を勝手に誤読して非難するのはおやめください。どうもあなたにはそうした傾向が目立つようですね。なお、以下は、あなたの今回の横槍を拝読する前にほぼ書いていた内容です。その点、ご配慮ください。
「これで終わり」だそうですが、私のほうはなかなか終わりにはできないようです。私の見る、あなたの「科学」観に誤解はないと思います。
「実験」で検証できない事象が多いという事実です。あるいは、「実験」では、部分的にしか「検証」できない事象が多いということです。
このことは、科学論での文脈で言われているのでしょう? 科学の対象としての「事象」の多い・少ない、ということでしたら、実験や検証の対象にならない「事象」などは、科学的には存在しないとみなされるしかない「事象」です。だから、やっぱり、あなたの「科学」観と私のそれとでは大きな違いが存在しているのです。
あなたが「社会主義の実験」失敗の例を挙げて、
やはりこれは単純な社会観・歴史観にもとづいた議論であり、とうてい「科学的」とは言えないと考えます。
と主張されている「科学」は、現実の科学ではありません。そのことははっきりしてます。
「20世紀になって、新しい「科学」が生まれたんだ。そこでは実験も不要、検証も無視してよく、だから「社会主義の実験」が失敗しようが何しようが、それでも「科学的社会主義」でいいんだ」というのは説得力皆無です。居直りに利用される「20世紀の新しい科学」(もちろん、それは歪められた虚偽のものでしかありませんが)にも迷惑でしょう。「科学的社会主義」が間違っているという文脈の多くは、それがドグマであり、しかも問題なのは特定の党派がそのドグマ(「真理」であると主張するドグマ)を独占支配しているという点にこそあります。決して、「どうでもいい」問題でも、「軽い」問題でも、「語彙解釈の」問題でもありません。そこを理解できないのは、やはりドグマの支配からまだ脱していないという以外の何ものでもないのです。困ったものです。