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「科学的社会主義」討論欄

「勘違い」にもとづく非難は遺憾>カワセンさんへ

1999/11/8 吉野傍、30代、アルバイター

 カワセンさんは、J.D.さんとの論争に私が口出ししたことについて、「横槍を入れるな」と書いています。ここで公開された投稿に対して、誰が異論を出したり疑問を提示したりしても自由だと思いますが…。もしJ.D.さんとカワセンさんの議論に誰も口を差し挟んではいけないというのなら、カワセンさんは、自分のメアドをJ.D.さんに教えて、2人だけでこっそりと議論すればよろしい。それとも、「横槍入れるな」という言い方で、私の疑問・質問を封じるのも、ディベートの手法の一種ですか?
 さらに、カワセンさんは、あいかわらず、私の議論を「勘違い」した上で、私に対する非難を続けています。10月27日の私の投稿では、私の説明が不十分で誤解を与えたのかもしれないと反省し、11月1日の投稿で誤解の余地のないように説明したつもりですが、最新の投稿においてカワセンさんは、あくまでも私が、20世紀の科学においてはいかなる検証も不可能であり不要であるという立場に立っていると言い張っています。私が、言ったのは、「実験による検証」というものが簡単には成り立たない領域ないし事象があるというごく単純なことです。これは、検証一般の否定ではありません。いったい、ビッグバン仮説をどうやって実験によって検証するのか、あるいは、生物進化に関する種々の仮説をどうやって実験によって検証するのか、ということです。
 また、1回きりで不可逆的な歴史的現象についても、単純に「実験による検証」は言えないと私は書きました。理論の解釈、理論が実践に移される歴史的諸条件、その結果に対する解釈、等々について慎重で、きちんとした検討が必要であり、それなしに、あの「社会主義の実験」について、簡単に「実験が失敗したのだから理論も破綻している」と言いきるのは、いかがなものかと、私は言っているわけです。
 要するに、私は「実験による検証」の制約性を言っただけであって、検証一般の不可能性や不用性を言ってはいないことは、11月1日の私の投稿を読めば明らかであり、表題においてもその点を強調したつもりです。