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「科学的社会主義」討論欄

こちらこそ「勘違い」にもとづく非難は遺憾>吉野傍さんへ

1999/11/10 カワセン、40代、自由業

 まず、「横槍」について。
 確かに、ネットの掲示板などでの「論議」では、第三者の介入があり得ます。しかしながら、あなたの場合は私の提起した問題を勝手に回避しておきながら(11/1書き込み「以前書いたように、私自身は「科学的社会主義」という言葉は用いません。この問題はこれ以上やってもあまり生産的ではないと思うので、私はこれでこの議論からは手を引きます」)、私がJ.D.さんを想定して書いた内容につき、一対一的直対応の指摘をされたので、いちいち応える必要はない、と申しました。あなたの場合、他人の言葉に素直に耳を傾けない性行があり、それこそ「生産的ではない」との判断からです。

 私に「勘違い」はありません。
 あなたの20世紀科学観は間違いです。確かに、20世紀の科学(特に相対性原理、量子力学)で明らかにされた世界観(哲学で言う存在論や、認識論)は19世紀以前のものとは大きく異なっています。しかしながら、科学の方法論については何ら変わっていないのです。実験や検証に耐えられなければ、それは科学ではありません。科学の進歩によって対象領域が広がったからと言って、方法論が変わった訳ではありません。「ビッグバン仮説」や「生物進化に関する種々の仮説」の「検証」については、すでに説明しました。お読みいただけませんでしたか? これらは現在の人類が到達したかぎりの知性によって、一定の「検証」がなされたがゆえに、正当と認められているのです(あくまで現時点での、ですが)。何ら「検証」されていない、出来ない、という訳ではありません。
 さて、吉野傍さんの特異な「論法」は、本来、自然を対象にした科学と、社会を対象にした科学とでその方法論が異なることを言えばいいのに、無理やり20世紀科学論をおこなってしまう点にあります。だから、話が大きく逸れてしまい困るのですが、ここで元に戻します。まず、私も「ソ連崩壊」をもってマルクスの思想全体が不要になったとは思いませんし、そんなことを言った覚えもありません。しかしながら、「あれは日本とは違う国の話なので、自分たちはこれまでどおり科学的社会主義でいいんだ」というのはナンセンスなのであって、知的誠実さを欠いた態度だと思います。マルクスの思想のどこかに欠陥があったからこそ、それがエンゲルスに継承され、レーニンで拡大解釈され、スターリンの段階に及んで、とんでもない体制に固着化されてしまった。その体制が滅んだ訳です。そして、マルクス思想に内在する間違い・限界がいまの日本の「党」にも存在するなら、それを抉り出さないといけない、つまりは「科学的社会主義」自体を問い直さないといけない、ということになりませんか、という話をしているのです。そこをどうして認めようとされないのでしょう? こうした観点から、私は「科学的社会主義」という「言葉」を問題にしました。しかしながら、これは決して単なる「言語学」や「語彙解釈」の問題ではなく、この「言葉」によって集約される心性の問題であり、価値観、思考判断の方法論の問題でもあるのです。吉野傍さんがそこをご理解いただけないのは、まことに残念なことです。