レスをいただき、感謝をしております。とりあえず、吉野さんとJ.Dさんに対して、解答をしておきたいと思います。
まず感じたのは、こちらの説明不足です。と同時にあなたがたの唯物史観の理解のひどさです。とくにJ.Dさんのように文章を切ってくっつけならべただけのものを、自分の理解だなどとされてもはっきり言ってどうしようもないのではないでしょうか。論理的展開を持ち得ていないようなものを「論理的」「科学的」などとされているのには閉口せざるをえません。というわけで、少し唯物史観について整理する必要があるようです。では唯物史観とは何か?
「経済学批判」の序文から以下のようにまとめることができるでしょう。
さて、まずは第一点。
問題はこの定義が、資本主義社会にしか適用できないという点に尽きるでしょう。なぜならば下部構造が上部構造から分離されている社会が、資本主義社会しかありえないからです。それは、資本主義社会の経済システムが商品経済によって全面的に支配されているからです。そしてこの商品経済こそが人と人との社会的関係を、物的関係へと一元化するものなのです。ところで、人間生活の物的関係の根源は確かに労働だといえましょう。その点をもって、唯物史観の正当性を主張されるかもしれません。しかしながら資本主義社会以外の社会において、その労働過程が物的に純化されるようなことがあったでしょうか。奴隷制などのような階級的支配関係が存在していた社会や、共同体における労働のあり方をイデオロギー的、政治的関係を無視して考察できたでしょうか? 資本主義社会のように、労働力が商品化されて労働が資本の支配するところとなり人間と人間の物的なやり取りが、貨幣と貨幣の関係に還元されるようになってこそ下部構造を上部構造から分離して考察することができるようになるのです。実際、たとえば「封建社会の経済理論」などというものが一度として存在し得なかったという事実を見てもこの事は解るでしょう。資本主義社会でのみ成立しうる論理を世界史全体にまで拡張したのは論理としては間違いだといえましょう。
ということで、残りの三点については別投稿とし、全4回になりますがよろしく。