「他」と入れている理由については、前回書きました(必要を感じて入れたのです)が、別にやめてもいいですよ。
一定の知らなければならない知識はある、ということは私も認めますし、それが私にかけていることも認めます。しかし、「いまの自分の知性段階で、常に疑っていけばいい」というのは私がもっとも避けるべきだと考えているやり方です。何を疑うかはやはり条件次第です。自分とたいして実力の変わらない人だったら、常に疑っても良いと思います。しかし、実力の差が明らかな場合、いきなり疑ってかかったのでは失敗することが多いと私は考えています。例えば、有名な料理人が書いた本に、「ここで塩を小さじ三杯加えます」とあったのを、素人が読んで、「おいおい、ここで塩はおかしいだろ。砂糖じゃないのか?」といっている場合はどうでしょうか。私たちが小生意気な小学一年生に地球が球形であることを教えたとき、この小学生が、「そんなわけないだろ、馬鹿! それなら、裏側の人が落ちてしまうだろ!」といった場合はどうでしょうか。さらにもっと身近な例を挙げると、ちょっと前にchuntaさんという方が唯物史観は人間の主体性を無視している、という内容の投稿をなされましたが、この内容は明らかに誤りです。chuntaさんの「知性段階で、常に疑っ」た結果があれです。疑う前に知る、という私の態度に何か問題がありますか。
平田氏関連について。確かに、武谷技術論を出したのは生産的ではありませんでした(ちなみに、私が問題にしたのは、10月21日のカワセンさんの投稿です)。平田氏の提案は全然知らないので、これが「一定の知らなければならない知識」かどうか、私にはもちろん判断できません。しかし、こういうことは私が判断するものではありませんね。
「何か支障がありますか?」については、あります、とだけいわせてもらいます。紛らわしい表現を使って申し訳ありませんでした。
追伸
別の投稿で、「マルクスの思想のどこかに欠陥があったからこそ、それがエンゲルスに継承され、レーニンで拡大解釈され、スターリンの段階に及んで、とんでもない体制に固着化されてしまった」とありますが、それではそのマルクスの思想の欠陥を指摘してもらえませんか。ひょっとして、「論理的に考えれば、マルクスに欠陥があったからこそ、スターリン段階でとんでもない体制に固着化されたのだ。スターリンにつながる誤りがマルクスにもあったはずだ」と言いたいのですか。それなら、この考え方は誤りです。世界一の料理の本を手にすれば、誰でもうまく料理ができるわけではないのです。この本をみてつくった素人が失敗したからといって、この本に欠陥があると考えるのは短絡的です。