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「科学的社会主義」討論欄

知らなければ、疑えないのは確か>J.D.さんへ

1999/11/18 カワセン、40代

 それはそのとおりでしょうね。存在自体を知らなければ、そもそもそれが真理か、虚偽か判断できない。だから、マルクスが言っていたのはそうしたマインド(批判的精神)を忘れずに、学問せよ!ということだったと私は考えてます。本来の(というのは、ほんとはおかしな表現ですが)マルクス主義には、マルクス主義自体をも「疑い」の対象とする柔軟性が含まれていたはずです。「科学的社会主義」と言ってしまった場合は、もはや「科学的社会主義」自体を疑うことは不可能になりましょう。
 「マルクスの思想のどこかに欠陥があったからこそ、それがエンゲルスに継承され、レーニンで拡大解釈され、スターリンの段階に及んで、とんでもない体制に固着化されてしまった」の例を示せ、とのこと。例えば、『共産主義者宣言』で、現代にも妥当するところがどこか残ってますか? 2つの基本的な階級へと収斂するという見通しは間違いで、むしろ階級の細分化がその後の歴史で進みましたね(もっとも、マルクス自身は『ブリュメール18日』などで、自己理論の修正を試みていますが)。窮乏論なども(「第三世界」も含めれば妥当する、といった苦しい弁明もありますが)、「先進国」でははっきり当てはまらない。搾取の理論も、どうなんでしょうか、ほとんど使えない、というのが現時点での結論ではないのでしょうか?
 残るのは「個人の自由な連合体」というアソシエーションの未来社会論でして、最近はこの点を強調する論者が多いようです。エンゲルスによる拡大解釈の一例として、とりあえず唯物弁証法を挙げておきましょう。マルクスはあくまで歴史の一段階としての資本制社会のみを対象とする分析法として唯物弁証法を使いました。ところが、エンゲルスはこれを人間の全歴史、いや全自然史にまで拡大して適用可能としたわけで、そこがスターリン(というか、「理論」的にはブハーリン)に受け継がれ、万能の「知恵」の便法のごときものにされてしまった、ということです。