次に、「個人的所有の再建」の対象はやはり「消費手段」だ、という立場の最新の議論を紹介したいと思いますが、その前に、浩二さんより質問を含む投稿があったので、その点につき簡単にレスいたします。
まず、前提として確認しておきたいのは、(3)で紹介した意見は、私個人の意見ではなく、あくまでも、「個人的所有の再建」の対象は「生産手段」であるという立場の人々の意見を、私なりに理解した範囲でまとめたものです(最初からそのように断わっているはずなのですが)。したがって、その内容についての突っ込んだ質問には、私は答えられません。カワセンさんへのレスでも書いていますが、この問題をめぐって、私はまだ自分の意見を確立していません(というよりも、部分的には浩二さんと同じ疑問をすら持っています)。
また、浩二さんは、ソ連が国家社会主義になった原因をつまびらかにし、かつ、同じ誤りを繰り返さない保障がどこにあるのかを具体的に明示せよ、と書かれていますが、どうしてそのように先走った質問が来るのか、理解できません。私は、カワセンさんへのレスで、この討論欄で問題にされている多くのテーマがあるが、まずは、マルクスが『資本論』で書いている「個人的所有の再建」をどのように解釈するべきか、という問題と、帝国主義論をめぐる問題を提起して討論したい、と書いています。
私一人がすべての問題を一手に引きうけて、あたかも、科学的社会主義の万能の回答者のように次々と答えていく、などという役割を引きうけた覚えはないし、引きうけるつもりもありません。浩二さんの質問に答えようとしたら、「個人的所有の再建」命題をめぐる論争についての投稿を大きく中断して、ソ連論の問題に全面的に没入せざるをえなくなるでしょう。それは、不可能です。この「個人的所有の再建」命題をめぐる議論が終わった後に(私の投稿の後にさらに討論があることが前提)、帝国主義論の解釈をめぐる議論を提起することを予定しています。その後さらに、余力があれば、chunta さんが提起している史的唯物論の解釈をめぐる問題を取り上げるつもりです。浩二さんの問題提起については、その後で、と私は考えています。
さらに言えば、ソ連崩壊の現実を踏まえて、民主主義的な社会主義像をどのように具体的に展望するべきかという問題は、新しい未知の大問題です。21世紀の根本課題と言っても過言ではないでしょう。そのためには、ある程度、段階を追って議論しないわけにはいきません。まず最初の段階として、そもそもマルクスはどのような社会主義像を描いていたのかを確認しておく必要があります。でないと、ソ連の現状はマルクスの思想にのっとっているのだから、ソ連が崩壊した以上、マルクス主義も崩壊したのだ、といってすますことになるからです。この段階の、さらに初歩的な段階として、所有論の視角からのマルクスの社会主義認識を確認しておく必要があります。その1歩として、『資本論』の解釈があります。これが、とりあえずは、私の問題提起の意味です。したがって、このきわめて初歩的な段階においては抽象性をともなうのは必然的であろうと思います。
また、浩二さんの議論の姿勢も少し気になります。もっぱら他人(共産党員)に何か完成された、100%納得しうる答えを求めているように思えます。それこそ、共産党という前衛党がすべての答えをすでに知っており、それをただ人民に教えて導くだけであるというスターリン主義的イメージにそったものではないでしょうか。
話がそれましたので、本題の続きについては、次の投稿で書きます。