1970年代中期から、80年代初期にかけて、「ユーロ・コミュニズム」と呼ば
れるソ連型革命路線や「社会主義」体制を批判し、自国の社会・政治状況に応じた方
針・体制を目指そうとする潮流がいくつかの西欧共産党に現れました。
この動きは、ヨーロッパのみならず、日本においても、党の内外を問わず、注目さ
れ、一般マスコミでも、「白い共産主義」(毎日新聞社刊)という書籍などが出版さ
れるほどでした。
「赤旗」紙上でも、かなり取り挙げられ、「ユーロ・ニッポコミュニズム」とまで、
書かれていたことを思い出します。
当時、スペイン共産党のサンティアゴ・カリリョは、その著「『ユーロコミュニズ ム』と国家」で、「我々が定義しようとしている共産主義の潮流は、本質的にはどの 発達した資本主義国にも妥当する――そのことを証明しようとしているのは日本の実 例である――」と、日本共産党の方針、自主独立・民主主義革命・「自由と民主主義 の宣言」路線を持ち上げていました。
複数政党制などを認めるということは、私達には当たり前のことでしたが、「マル クス・レーニン主義」を母胎とする共産党としては、当たり前のことではなかったよ うです。
ところが、その「ユーロ・コミュニズム」研究を進め、追求しようとすると、スター
リン批判からレーニン主義批判・前衛党批判へと進むのは、当然の流れであります。
このまま行くと、共産党自身とその組織原則、つまり、「前衛党組織論と民主集中
制」の批判と改革にまで、研究が進んでしまう…。
「これは、エライ事になる」と、宮本・不破中央指導部は思ったことでしょう。
事実、フランス・イタリア・スペインのユーロ3党は、その後、民主集中制を放棄
してしまったのですから。
そして、彼ら、宮本・不破中央は、案の定、突然に、「ユーロ・コミュニズム」研
究のストップという大号令をかけたのでした。
1978年、田口富久治氏は著書「先進国革命と多元的社会主義」の中で、民主集 中制を中心とする前衛党組織論批判とあるべき社会主義社会論などを著わしましたが、 これに対する形で、不破氏は、「前衛・79年1月号」誌上で「科学的社会主義か 『多元主義』か」という題名自体、頓珍漢な田口氏の趣旨・内容を全く理解していな い「無内容な」批判を行ったのでした。
当時、私がつけていたメモを見ると、党員たちの反応は、
「駄目だ~!!こんな理論水準じゃ、とても革命なんて指導できるはずがない…!!
」「まるで漫画だ!!恫喝している。論争するのはいいが、やり方がフェアじゃない
。」「まだまだ、だと思う。政治的恫喝だ。文献学のレヴェルで批判するな!!」
「批判の仕方に問題。噛み合っていない。」というようなもので、「個々には鋭い指
摘もある」というものもありましたが、総じて、「無内容」というものでした。
水田洋名古屋大学名誉教授も、後に「民主集中制」に触れた中で、「田口不破論争 の争点がこれであったが、議論が現実からはなれて、宙にういている。」と述べられ ています。
何故、かような「無内容」な反論を不破氏は行ったのでしょうか。
それは、やはり、「党破壊」に繋がりそうなものは、「双葉のうちに摘み取る」と
いう方針が、絶対だったからであろう、と考えます。
不破氏は、
「田口氏の研究が、残念ながら、氏自身の主観的意図がどうあれ、科学的社会主義と その事業を擁護し正しく発展させる立場からの前衛党研究ではなく、経過的にみても 反動反共勢力の日本共産党攻撃に触発されたものであり、内容的にもそれに誘引され た研究となっていることである」(前衛・79年1月号)
と述べています。
この発想は、「さざ波通信」に対する
「このようなホームページが、日本共産党への攻撃、内部からのかく乱を目的とした ものであることは明らかです。日本共産党員がそこに意見を発表することは、たとえ 善意からであっても、けっきょく彼らの党攻撃の目的に手を貸すことにならざるをま せん。」 (赤旗・2000.10.20)
という見解と全く同質であり、20年以上にわたる、この間の思考停止を意味してい るとしか思えません。
宮本・不破中央には、ここ「さざ波」で私達が何故、中央批判を行っているのかが 分からないように、当時も、正当な批判さえ、「革命的前衛党」の組織体質による 「警戒心」から、党破壊活動としか見えず、「党内問題を党外に持ち出す事は、敵を 利する行為である」という硬直した考えしかなかったのです。
「批判のための批判」では、何の説得力も持たないのは当然でしょう。
私達のような学生にさえも、上記のような感想を持たれる様では、とても、中央指
導部の指導者として支持を得られないだろうと思います。
不破氏の「カリスマ性」は、私達の中では、急速に失われていきました。
田口氏は、1979年「前衛9月号」において、「多元主義的社会主義と前衛党組 織論」という反論を行いましたが、1980年、3月号における、不破氏の再反論 「前衛党の組織問題と田口理論」の後、離党されたそうです。
同年2月、党は、第15回大会で、「田口・藤井理論に象徴される自由主義、分散 主義との闘争と全党的克服」「民主集中制の徹底」を決定しました。
田口氏の著書、その他のユーロ・コミュニズム関係書籍発行に関わった、加藤哲郎 氏は、圧力をかけられ、大月書店を退職しました。
藤井一行富山大学教授は、「現代と思想」誌における党組織論や著書「民主集中制 と党内民主主義」を批判され、また、中野徹三札幌学院大学教授は、「プロレタリア 独裁」についての論文で批判され、のち、「別件」で除名されました。
これら「ネオ・マルクシスト」、通称「ネオ・マル」達の「ユーロ・コミュニズム」
研究は、その後も圧力をかけられ、異論の発表を止められ、離党・除籍へと追い込ま
れていきました。
出版労連の党員たちが、学者党員たちとともに立てていた出版計画は、ことごとく、
中止させられてしまいました。
ソ連・東欧崩壊後の1994年5月、高橋彦博法政大学教授は、その著「左翼知識 人の理論責任」の内容が、「党を誹謗・中傷し攻撃している」として除籍されました。
「民主集中制」を徹底し、「党の上に個人を置かない」「下級は上級に従う」の名 の下に、異論・批判を封じられた中、「左翼知識人の理論責任」を自ら感じ、あえて 発言した高橋氏のような党員学者までも、文書通告でなく、たった1本の電話による 口頭通告により、除籍し、反論・弁明の機会も与えず、全く聞く耳を持ちませんでし た。
この間にも、1984年、平和運動に携わった古在由重氏を除籍、吉田嘉清氏を除
名。1985年、「宮本勇退決議案」問題で、東大院生「伊里一智」氏を除名。「民
主文学・4月号」問題で霜多正次氏、中里喜昭氏、武藤功氏らを順次、除籍。199
0年「日本共産党への手紙」を編集した有田芳生氏を除籍。
「古在由重先生を偲ぶつどい」の事務局員として、「つどい」の冒頭に、短い「経
過報告」を行った、川上徹氏を除籍、等々、数え上げればキリがないほどの党員たち
を、党外へと追いやって行きました。
川上氏によれば、「つどい」の二日前に、党機関から「呼び出し」を受け、
「今度開催される『つどい』は生前の古在の誤りを免罪し、その結果、反動勢力に よる『反共攻撃』に利用されるものであるから、党員は参加しないようにしてほしい、 ましてや事務局などの中心的な役割からは即刻退いてほしい、これは中央委員会の 『決定』である」
旨、告げられたそうです。
「半年間にわたって準備作業に関わり、多くの人々に参加を呼びかける中心メンバー の一人として仕事をしてきた私が、自分でも全く納得できない理由で降りることなど どうしてできよう。私は『決定』には従えないと答えた。」
と、その著書「査問」において、述べられております。
その後、彼は、赤旗紙上で、名指しで「批判」され、中央委員会の決定によって、
除籍されました。
彼は続けます。
「中央委員会統制監査委員会の責任者が、君を『除籍』にしたいとの決定を私に伝 えた。
『除名』ではなく『除籍』であること、つまり、君が積極的な反党活動をしたとい うわけではなく、党員としての資格、資質が失われたのだ、ということであった。」
「私には、党員としての資質はない。資格もない。」
と……。
私は、「ヒューマニズム」なるものを大上段に構えて、語るつもりも、また、その
能力もありません。
ただ、党の指導者たちは、ほんとうに、人を人として見ているだろうか。人を人と
して扱っているのだろうか、という気がしてなりません。
川上氏の態度と中央委員会決定を行った指導者たちの態度の、いったい、どちらに、 人として、想いを寄せられるだろうか。
「新日和見主義事件」の首謀者として、13日間も監禁・査問され、それでも離党 せずに、党と人民に尽くし、30年党員という表彰を受けた彼を、その翌年、かくも、 簡単に、「批判」し、追放してしまう。
中央の指導者たちは、党員としての資質、資格が十分備わった人たちなのでしょう。 人に対して「党員としての資質、資格」を判断し、除名、除籍ができる人たちなので すから。
「自由と民主主義の宣言」を作った人たちなのですから…。
しかし、私は、残念ながら、彼らに、人として、人間としての魅力を感じないとし か申せません。
川上氏は、
「もし日本がソ連・東欧型の社会主義国になっていたとしたら、間違いなく自分は銃 殺刑に処せられていただろうと思った。」
と述べておられます。
今回の総選挙惨敗も含めて4連敗という事態になった影に、戦前からのマルクス主 義哲学者であられた古在先生や、その教え子たちでもあるネオ・マル達、その他多く の知識人・文化人を弾圧し、「批判」し、除名、除籍を繰り返し、萎縮させてきたこ とが、陰に陽に、繋がっているという気がします。
これらの方々のみならず、末端で頑張っている党員たちの声を、一般の方々の声を、 中央は、どれだけ聞こうとしてきただろうか。
諫言は耳に逆らうでしょう。しかし、諫言を述べるものを傍においておかないもの は、滅び行くのが世の常であります。
この20数年間の思考停止状態から脱却し、党が、国民の信頼を得られ、再起でき るかどうかは、中央指導部が、これらの批判的な声に耳を傾け、これまでの方針や組 織運営に対する数々の間違いを、嘘や誤魔化しに終始することなく、真摯に反省し、 取るべき責任を取ることであると思います。
中央は、ここ「さざ波」での発言を、逐一、チェックしていることでしょう。
「不破、志位、市田3氏に辞任をお勧めする」と題する、11月16日の原さんの、
党外の方とは思えないほどの選挙分析と、提案に、私としては、有難いと思いつつ、
ほぼ全面的に賛同するものです。
また、選挙後における多くの皆様の批判と励ましに、この場を借りて、お礼を申し 上げたいと思っております。
「田口・不破論争」当時、学生だった私は、学問の自由と大学の自治、そして、表 現・出版の自由という人権に関わる上記のような弾圧が密かに行われていることに、 気がつかなかったことが、残念なほかはありません。
中央は、総選挙惨敗にとち狂って、「ネオ・マル粛清」のように、ここ「さざ波」 での発言者を摘発するようなことだけは、もう二度と演じないでほしい。そのような ことを行えば、党は、二度と立ち上がれない、壊滅的ダメージを受けることになるで しょう。
私達も、本当に党内問題であったり、個人に関する問題まで、ネット上で公開する ようなことはしない程度の節度は持っているつもりですし、「さざ波」編集部の方々 もそうであると私は、信頼しております。
かような心配をするくらいならば、党内民主主義を直ちに確立する規約の改正を、 次期党大会で提案することこそが、先決でしょう。
今から思えば、私自身は、幸いにも、田口先生のお話を、直に聞く機会が得られた ことを、光栄に思っております。
加藤哲郎氏は、その後、田口氏の助手を経て、現在、一橋大学で「政治学」の講義 をされており、ネット上でも、精力的に、「参加民主主義のモデル」とも言われてい る、ブラジル労働党政権下のポルトアレグレ市の紹介なども、行っておられます。
「ネオ・マル」達は、決して「反共ブルジョアマスコミ」の一員ではありません。 かような「レッテル張り」だけは、どうか、やめて頂けるように、心から、お願い致 します。
お読み下さいました皆様、有難うございました。
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追伸。原さんへ。
原さんは、綱領改定欄の原仙作さんと同じ方でしょうか。
もし違っておられましたら、失礼致します。
いずれに致しましても、私は、原仙作さんの分析に、たいへん、感銘を受けたこと
を、遅れ馳せではありますが、ここで、一言述べさせていただきたく思います。
人文学徒さんへ。
「『科学』の批判」面白く、ちょっと難しく、拝読させて頂きました。
私は、真下先生のお書きになられたものは、「理性とヒューマニズム」しか読んで
おりません。「ヒューマニズム」は考えれば考えるほど、難しい気がしております。
尚、私自身は、自分を共産党左派とは考えておりません。さざ波編集部の方々は、
左派の立場と仰っておられますが、私と近いのかどうなのか、まだ、よく判りません。
鍵は、「社会主義社会」論であるだろうと思います。
本当は、これこそ論じなければならないのでしょうが、非才の私には、大きすぎて、
未だ、考えが纏まっておりません。いずれ、「青写真の青写真の青写真」くらい描け
ればと思いますが…。
川上慎一さん。
そう「読んで」いただければ、幸甚です。