愚等虫さん
異論公表・交流の査問関連事件の数々をご紹介いただき、有り難
うございました。党員たるもの知らねばならないことばかりのよう
に改めて思いました。全て隠されたものなのかとか、それぞれどれ
だけの党員がご存知なのかなとか、考え込んでいたものです。これ
ら一つ一つを連載で描き、報知するともっと社会に役立ち、僕も嬉
しいのですけれど、どうでしょうか? 裁判所の事実認定様の詳し
いものほど良いと思います。もちろん一方的なものでないやつとい
うことですが。ご友人などに手伝ってくださる方はいらっしゃいま
せんか、どうでしょう?
なお僕の「『科学』の批判」について愚等虫さんが難しいと言わ
れたその部分と思われる点につきましては、今回この後で僕に可能
な限り、改めてまとめてみました。乞うご批判というところです。
なおこの点につきましては、他の皆さんにも論考投稿をお願いした
いです。桜坂さん、ヘーゲルさん、大鷹さん、N.Kさんなど、それ
ぞれ得意な部分がおありではないでしょうか?
僕の前の2論考も後述のそれも本来、こういう問題を専門とする
学者などが論じれば良いものだと考えています。しかしネオマルの
方々を除いては、党に近い人ほどなぜか語らない。言うまでもない
とか、大人げないかとか、もっと専門の学問的問題にしか興味がな
いよとか、異論公表になるから中央がうっとうしいとか、様々な理
由があるのでしょう。それとも民主集中制の異論公表禁止規定にう
んざりして、学者党員でももう近寄る人は稀少だということでしょ
うか。よって、誰かがどこかで語らなければいならないことだと、
僕はずっと考えてきました。
デモクラットさま
「主体的力量とは懐かしい言葉だが、要は人々、青年の新たな社 会理想、目標をどう再生させるかということだろう。これについて はよく分からないが、少なくとも党内外の知識人たちがこれを自由 に討論していけるということが最も大事なことであろう。そのため には『異論封じ込めの民主集中制』が桎梏になることは確かだ。」
このように言われたこと、本当にそう思います。ありがとうござ
いました。
なお、文中最後の以下のお約束?、「とりあえず、この程度で。
また、気が向いたら書きます」については、楽しみにしておりま
す。
大鷹さま
この6月10日投稿のグラムシのその先を是非聞きたいです。ヘ
ゲモニーと長期に渡るはずの陣地戦についてのことを特に。僕が前
2回に紹介した抽象的理論の諸焦点が、「生活圏などでの統一戦線
的実践」というところに収斂されていくものですから、当然グラム
シには前から興味があったのに、自分の迷いやその生活や、その中
での思考のここまでの進行やなどにエネルギーを割いてきたという
こともあって、脇に置いて通り過ぎてきてしまいました。具体的・
実践的問題よりも、それ以前の大前提になるような広い問題設定の
方が僕には死活的だったからです。ちょうどサルトルが、自分の実
存問題を片づけられた後で対ナチのレジスタンス運動参加なども含
む史的唯物論実践に安んじて入ることができると昔やったようなも
んです。
知的・道徳的ヘゲモニーの他に、文化的ヘゲモニーもなかったで
すか?
さて。
マルクスのイデオロギー論は、上部構造内の「過去
の」ある議論を「長期のスパンで」説明、研究していく方向、方法
としては有効なものだろうと考える。それでも生産力とか生産関係
とか階級とかの概念に少し付属物を付けた程度でこれらを説明する
のは、あまりにも乱暴過ぎるというものだろう。例えば、法律、制
度、現代で言えばマスコミ内の力関係などなどが間違いなく関与し
てくるからだ。さらにまた、その議論が例えば文学というような最
もイデオロギッシュな領域に属するものならば、その国内、国際的
な歴史的現状の「内容自身の中で」論じられなければならないもの
だろう。その領域内容から見て外のものはあくまでも外のものでし
かないということである。その領域の外のものを持ち出して「直
接」行うというような議論は、遠い将来に渡ってもしょせん「木で
鼻をくくった」ようなものとしか扱われないはずである。マルクス
主義が、文学、文化、風俗などの最もイデオロギッシュな領域に弱
いどころか、これら自身を避けてきたようにすら見えるのはこうい
う訳ではなかったろうか。こういう全てを無視して、土台から上部
構造が原理的にはもう説明できているというように扱う人々がま
ず、「科学」を哲学的方法論の替わりに使えると考えるのではない
か。
さらに以上は過去の事項の説明、研究であって、「未来の創造」
に関わるものまでを科学的に処理できるという「科学」となると、
もうどう表現したら良いのだろう。以下に見るような視点を欠い
て、実践らしい実践が提起できず、そういう領域を事実上は認めな
いというようになっていく教条主義、客観主義的な方法論という他
はないのではないか。そういうのが「『科学』の目」なのだと、結
局今、僕は理解している。
未来を目指す社会的実践の議論、例えばイラク派兵に対してどう
いう時期に、どういう態度、戦略・戦術をとるべきかというような
政治的課題は、何よりも実践的な問題である。このような実践に臨
む際には、相手やその分析に迫られ、己の陣地の小ささに迫られ
(やってもしょぼしょぼで元気が出なくて逆効果かなというような
恐れなど)、時間に迫られ、チャンスにも迫られ、こうしてこうい
う全てを勘案した決断というものが迫られる。さらに言うならば、
広い共闘の呼びかけなども含んで最高レベルの判断、決断をしなけ
ればならぬ立場にある政党指導者としては、自分の過去が関連する
言動などからくる「自分の立場」への執着のようなものを捨てた、
自己に誠実な決断とかまでも度々迫られるだろう。因みにスターリ
ン、毛沢東などの独裁者は、こういう時に自分にごまかしをやるな
どということを重ねて、あのような怪物にまでなり果てていったの
ではなかったかと思う。以上のような複雑な決断を要する生き生き
とした実践の世界までを、「土台」中心の「科学」という視点から
しか見ないことによって、事実上避けて通るといった政党指導部
は、しょせん「歴史はこう動く」と「解明」し、選挙という「抽象
的な量的変化」に一喜一憂するということしかなくなっていく人々
であろう。
最後に例えば、党指導部における社会主義概念の最近の混乱に関
わって、以上の考察をもう一歩具体的に展開してみたい(愚等虫さ
んが社会主義社会論に興味があられるということもちょっと意識し
ています)。
80年代の中ごろ日本共産党が「『社会主義完全変質論』は誤り
である」と未来に向かって言い続けていたことがあったが、ここで
の「科学の目」とはどんなものであったのかを振り返ってみよう。
まず初めに、84年出版、日本共産党中央委員会出版局発行、「基
本課程」(全党の教科書ということ)から、ある抜粋をする。
「もう一つ(の社会主義国を見るあやまった見かた)は、(中 略) 『社会主義完全変質論』で、社会主義国のあやまりの重大さ におどろいて、その国はもう社会主義ではなくなったとか、もう社 会主義国は歴史のうえで積極的役割をはたさなくなったなどという 見かたです(第16回党大会中央委員会報告)。」(312ペー ジ)
この社会主義概念とその適用にはまず、土台的性格付け中心の理 解が間違いなくあった。同書287ページから続く社会主義解説の 冒頭で、「労働者階級の権力」、「生産手段の社会化」、「社会主 義的計画経済」という三大要素が太字表記であげられてある。こう して、今の彼らとは異なるだろう社会主義概念の適用を相当の反論 を承知で頑張り通していたのだ。対して例えば、「この土台的性格 付け中心に社会主義を見るのでは全く不十分である。共産党の民主 集中制が有する異論の公表・交流禁止規則が指導部を真理の元締め となして官僚制を生み出し、そういう事態を通して(初めは社会主 義を目指そうとした)国家を異物に変質させてしまった。この歴史 的事実が、実践的な社会主義概念には土台的理解だけではとうてい だめだということを証明している」というような指摘が当時の党内 外に間違いなく存在したはずである。「完全変質論」が誤りだと指 導部が頑張ったということは、そういうことでもあろう。なお因み に、こういう反論でさえ党内ではまた、民主集中制の異論交流禁止 規則自身によってバラバラで小さな潮流に押しとどめることができ たはずである。さて、この土台的規定を主として付与された社会主 義概念は歴史の試練に耐えられずに、誤りと判明した。今は党自身 もあれらは社会主義国ではなかったと言っている。このことは、政 権党の性格という「相対的独自性」のみが付与された「上部構造」 に属するものが、土台と並ぶような大きなものであったということ でもあろう。「土台の規定性は絶対的、上部構造の独自性は相対 的」などと1世紀近く言っている間に、そう言っていた「社会主義 国」が崩壊し、そういう理論が1世紀近い実践の世界で全く不十分 だと証明されたというわけである。土台を強調し過ぎて成り立つよ うな「科学」によって他が見えないといった教条主義的主張を粘り 抜いた末の敗北宣言という事態とも言えよう。そしてこの重大事態 について当時の党指導部(ここでは中央委員会。これを指導する上 級機関や個人の責任、罪はさらに当然重くなるはずである。普通、 集団とはそういうものではないか)は極めて重大な罪を、しかも確 信犯的に犯し続けたわけだが、彼らを指弾する者は表面に現れな かった。この罪は、「将来の社会主義を我々はこう臨んでいたのだ が、これは少なくとも全く不十分であった。ただし、気づくまでに 1世紀の実践を要したという意味では、誤りという他はない。」と いう性格のものだから、「党の路線、方針に誤りがあった場合」と 自らが言う辞任理由に当然なるはずの大罪であるのに。こういう推 移を見ると、一体、日本共産党指導部には最高指導者が個人責任を 認めるという事態、時があるのだろうかとさえ思う。ちょうど世界 歴代共産党最高指導者がほとんどそうであったように。これでは、 無制限の、しかも理論政党であって理論的に不誠実ともいうべき、 あまりにも強大すぎる不条理な権力になってしまったとは言えない だろうか。これが僕には今、恐ろしいことだと思われるのである。
最後に一言。以下は、一般投稿欄11月28日の有島実篤さん
「いつまでも批判ばかりしていてもしょうがないしょ」が代表する
ような方々を意識しての発言である。なお、この点以外の有島さん
の主たるご批判、「党のために頼むことばかりではなく、体を張っ
て生活諸分野の中に事業、運動を作ろうよ」は的を得たものだと思
いました。さて。
以上一切にご自分は関係が薄いと思われた方がここまで読み進ま
れておられたら、本当にごめんなさい。きつい言葉を綴って、不快
な思いをさせました。でもやっぱり、クラス一剛腕の級長に虐めら
れた実に感じの良い親友を見過ごした体験があったとしたら、そし
て僕もその時同じ内容でその級長を批判していたとしたならば、こ
の体験をきっちりと整理しなきゃやっぱり次には進めないんです
よ。また、このクラスには感じの良い友だちも多いし、豪腕級長の
影響下にない彼らとならずっと付き合ってもいきたいし、だから4
0年近く続けたこのクラスを抜けたくもない。ただしもう、辞めさ
せられたらそれでもいいやとは思っていますが。そんなわけですか
ら、どうかご理解を。
またまた長い文章をここまで読んでくださった方々、ありがとう ございました。