この投稿は、以前、書き止めていたものに、加筆したものです。
社会主義社会論に関連して、「党改革」について、現在、思うところを述べてみた
いと思います。
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党は、ソ連・東欧崩壊前から、「社会主義社会のモデルとなる国はない。モデルは
考えない。」というようなことを言っていたように思います。
「自由と民主主義の宣言」に照らしても、前段は正しいと思うのですが、後段は、
どうなのでしょうか。
不破氏は、この間、綱領改定案報告や赤旗、前衛10月号等において「ゴータ綱領 批判」研究を続け、その中で、マルクス、エンゲルスは、社会主義社会の「青写真を 描くことを、厳しく戒めた」ということばかり、強調しています。
その意図は、別として、青写真を描くことを戒めている様じゃ、「社会主義社会」
を語れと言われても、党員たちは、語りようがないのではないでしょうか。
これでは、党外の方々は、共産党が、どんな社会を目指しているのか、解りようが
ないのではないでしょうか。
「社会主義社会」の青写真を描くことを戒めた、マルクス、エンゲルスの真意は、 その青写真が絶対視され、固定的な柔軟性のない、現実離れした社会となってはいけ ない、という智慧であろうと私は考えています。
それは、まさしく、ソ連・東欧のような固定的・官僚的な、まったく非弁証法的な 社会を「社会主義」国として築き、「社会主義建設のための自由と権利」しか認めな いような「憲法」を持った国の指導者たちと、そのような国を、「社会主義」国と見 なしてきた、わが党の、指導者たちの姿勢と責任を問うている様にも思います。
その反省の上に立って、「固定的モデルを作らない。固定的青写真を描かない。」 ということであれば、たいへん結構なことだと思います。
しかしながら、今度は、そのマルクスらの真意を歪め、それこそ、金科玉条の様 に、「青写真を描かない」では、「社会主義を語るな」と言っているようなものだと 思います。
「社会主義を語らない社会主義政党」とは、一体何なのでしょう。それは、「念仏 ・題目を唱えれば、極楽浄土に行けますよ」というのに、ほぼ等しいという気さえし てきます。
党外の友人などが、「共産党は、公明党・創価学会に似ている」と言うことがあり ますが、否定できないものを感じます。
私は、決して、宗教を馬鹿にしているのではありません。何しろ、私は、毎朝、仏
壇の前に坐り、念仏・題目を唱えている人間ですから。
その有用性は、私自身が認めるところです。
不破氏は、「『ゴータ綱領批判』の読み方」の中で、「青写真を描くことを戒め た」例としてエンゲルスの言葉を紹介しています。
「われわれは、生産手段を社会の手にもたせるだけでもう満足です。」と…。(前衛 ・03年10月号p18)
ソ連・東欧が崩壊し、残った「社会主義」国と呼ばれてきた国も、ことごとく危機 に陥るか、「資本主義化」している中で、このような、エンゲルスの言葉を、能天気 にも、いつもの権威付けの如く持ち出し、「青写真を描くな」などという感覚が、私 には理解し難い。
「社会主義」国といわれてきた国々は、生産手段を社会の手に持たせていたのでは ないのか。「国有化、社会化」していたのではないのか。
「それだけでは済まない」という教訓を引き出すことこそ、20世紀の壮大な「実 験」の犠牲となった人々に報いるためにも、今なお、「共産党」を名乗り、社会主義 を綱領に掲げる党の責任ではないのか。
しかしながら、不破中央は、選挙情勢も踏まえず、菅民主党・小沢自由党の合併と いう事態の中でも、斯くの如く、一所懸命、その「ゴータ綱領批判」研究やセミナー をやり、チュニジア旅行と訪問記を赤旗に延々と連載し、そして、選挙後は、これほ どの惨敗を喫した、この期に及んでさえ、「方針は正しかった。時間が足りなかっ た。」と、相変わらず、「正しい。正しい。」の繰り返しというような公式発表を続 けているのです。
本当に「正しい」のなら、4連敗などというようなことはないでしょう。
創立81年も経って、相も変わらず3%の支持率(ときには、1.5%)では、全
く、お話にならないでしょう。
何故、こんなことになったのか。
それは、「絶対的に、党内民主主義が欠如しているからだ」と、結論的には言える
と、私は、思うのです。
支部員10名ほどで、しかも、半数くらいしか集まらず、その中で、確信もって、 行動している人は、支部長だけ(もしかしたら、一人もいない?)というような状態 の支部は、相当あるでしょう。しかも、他支部との自発的交流もなく、全体的には、 「40万」人もの人間がいながら、その能力を、全く活かせていない。
民主がなくて、集中という名の命令だけが降りてくる。しかも、その命令・方針
が、納得しがたいものであれば、人間というものは、「はい、はい」と言って、全力
を注げ得るものではありません。
重い心を引きずりながら、行動することほど、苦しいものはありません。
しかも、「実践で検証する」と言っても、何度も失敗し、いつまで経っても、「正 しかった」では、検証に値しない。英雄的に行動してきた党員でさえ、疑問を抱き、 心のバランスを失い、党に対する不信と諦めの中で、ついには、未結集、そして離党 という道を歩んでしまいます。
党に入って、少しでも、暮らしやすい日本にすることに貢献したいと考えていた者 達が、櫛の歯が零れるように、離れていく。
「これでは、いけない」と、良かれと思って中央の方針と異なる意見を出せば、逆 に目を付けられ、処分の対象となる。
こんな、「デフレスパイラル」をいつまで、この党は、続けるつもりなのでしょう か。
私は、前に、「共産党宣言」を捩って、投稿しましたが、「さざ波」のような場 で、公開しながら、皆、意見を出しているという事実と実態があるのですから、もう 「民主」集中制や「分派」禁止などと言っている場合ではないでしょう。
本当に、党と人民の利益を考えているのなら、党の公式ホームページに掲示板や投
稿欄を開くくらいのことをすべきなのです。また、赤旗の「読者の広場」にも、反対
意見や批判的意見を載せるべきなのです。
きちんと討論し、疑問や質問に答え、「疑惑」があるのなら、晴らし、あるいは、
反省すべきなのです。
綱領などの公開討論版を、お金を取って、こそこそと出すのではなく、赤旗党活版
に、バンバン出すべきなのです。たった2000字という限定など、やめて、長大論
文も許せばいいのです。
その人は、絶対、本気で、党のことを考えてくれている筈です。
そうすれば、共産党のイメージは、相当変わるでしょう。
マスコミにも取り挙げられるでしょう。
共産党も、ようやく本気で改革し始めたか、と感じられるでしょう。
開かれた党に、一歩でも二歩でも近づくことができるでしょう。
何しろ、イラク戦争関連のアクセス件数は、開戦当時、共産党のホームページが、
事実上、最も多かったという実績もあるくらいなのですから。
また、党内的には、本当に、党員の意見を尊重し、支部、地域、地方、そして、全 国的規模で、民主的で有効な方針を築き上げることができれば、党員たちも、意見を 保留しながら、行動することもできることでしょう。
そして、敗北したときでも、少数派であった意見や異論・方針を主張していたもの が、選挙により交代ということも可能となるでしょう。
これまで、「国の制度と一政党の制度は異なって当然である」などという、くだら
ない屁理屈をもって、民主主義を尊重してこなかったことが、決定的に、重大問題な
のです。
それこそが、「革命政党」の「反革命性」なのです。
私は、党組織も、党活動も緩やかなものをイメージしています。
ネット社会において、中央にスーパーコンピューターを置き、統括するのではな
く、各端末のコンピューターやサーバーの容量を利用してネットワークを最大限に活
かすというような話を聞いたことがあります。
詳しくは、忘れてしまいましたが、党においても、そのような組織形態(Web方
式)こそ、一人一人の能力、自発的な行動を発揮させることができるのではないかと
考えます。
「革命的前衛党」組織は、まさしく、中央スーパーコンピューター管理システムで
す。
本当に、自治的共生社会を築こうとしているのなら、党自身が、そのような、水平
的な、フラットな組織に改革されなければ、築けるはずはありません。
社会は、人間一人一人が、基本でしょう。党員が、上意下達の思考しか持たないよ
うな、組織で、想像力溢れる、活性化した社会を築こうなんて、烏滸がましいと思い
ます。
本当に、開かれた党になり、日本を変えていこう、良くしていこうと考えている国
民の皆さんとともに、行動できるような党にしなければなりません。
各機関や議員だけではなく、各支部、個人のホームページなどで、いろんな意見や
行動を報告し合えるような形態の党に、改革・変革していく必要があると思っていま
す。
党の議員は、ホームページを開くことが立ち遅れすぎています。掲示板を掲げて、
せっかく開いていたところさえも、圧力をかけたりもしています。
中央と意見が異なることを、勝手に公表してはいけないなどと言っていれば、討論
などできません。討論の中で、党外の方の意見のほうが正しいと思ったのならば、素
直に、「私もそう思う」と言えばいいし、その意見こそ、議員は、中央に届ければよ
いのではないでしょうか。
各党員の生活環境・形態も、今や、ことごとく、異なっています。支部会議に全員 集まるなどということも、不可能なところが多いでしょう。このような状況を踏まえ た、ネットの活用は、非常に重要です。メールや、資料の配布など、様々な情報の共 有が、不可欠でしょう。
兎にも角にも、党内民主主義の確立のための、規約の改正が、絶対的に必要です。
これは、相手方の問題ではなく、此方側の主体的問題であって、中央が決断しさえ
すれば、明日の赤旗にでも発表し、規約改正の討議を加えることなどできることで
す。
しかしながら、このようにして、改革が少しずつでも進み、党の公式ホームページ
に掲示板・投稿欄ができたからといって、それで「さざ波」の役割が、終わる訳では
ありません。
中央に、もしも、改革する意志があるとしても、ここでの投稿のように、相当鋭い
批判を、直ちに掲載を認めるようなことは、決してありえず、ボツにされるものが、
相当数に昇るでしょう。
そのような意見が、何故駄目なのか、ということまで、「さざ波」では、討論でき
るはずです。もちろん、それは、「さざ波」の投稿規程にも反するようなものであれ
ば、ボツにされても仕方がない、ということなのですが…。
「さざ波」に投稿が来なくなって、まったく、開いている意味が失われたときこ
そ、共産党に、本当に言論の自由が保障され、党内民主主義が根付いた証であり、こ
こ「さざ波」は、「その本来的意味を失い、眠るように、死滅する」ことでしょう。
もちろん、「さざ波」情報局などとして、異端視されることなく、公式に認められ
たサイトに、アウフヘーベンすることがあるのかもしれませんが…。
これは、もちろん、私の大雑把な考えにすぎませんが、こうしたことをやらない限 り、本当に、多くの国民に信頼され、たとえ小選挙区制であっても、選挙で選ばれる ほどの、支持は得られないだろうと思っています。
社会主義社会が、人による人の搾取も収奪もない社会であるのなら、共産主義社会 が、自治的共生の社会であるのなら、いろんな面から、いろんな青写真の青写真の青 写真でも、また、そのヒントだけでも、皆さん、思っていること、考えていること、 気がついたことを、出し合って行きましょう。そして、智慧を共有し合っていきま しょう。
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先日、「赤旗」(12/4)10中総についての記事において、志位氏は、報告で、冒頭
に「おわび」を表明し、二つの反省点として、
「全党と後援会に総選挙のたたかいへの総決起をよびかけながら、党中央がその推 進のために必要不可欠な仕事を、時機を失せずおこなうという点で、自らの責任を果 たしたとはいえない弱点があった」
「財界と政治の関係が急激に変化しているのに、政党関係の基本を従来型の見方で みていた。そのために保守『二大政党制』づくりにむけた財界の様々な動きを見落と す結果となった」
と述べています。
これは、これまで「正しい、正しい」と言い続けてきた公式発表を、修正したよう
に受け取れます。
もちろん、不充分な言い回しであると思いますが、「赤旗」一面で、中央が、わざ
わざ、「自らの責任」を口にし、「おわび」したことを、私は、覚えがありません。
このことは、「朝日」にも取り上げられておりました。
これは、「さざ波」編集部、党員、たれりんさんや寄らば大樹の陰さん、獏さんを 始めとする党外の方々、ここに集う多くの皆さんの声が、少しは中央に届いた、「さ ざ波」効果と、もしかしたら、言えるのかもしれません。
反共のための中央批判ではなく、開かれた党になるための正当な批判、「批判のた めの批判」ではなく、かぎ括弧なしの建設的討論を、自分たちの興味・関心のあると ころからでも、少しずつ、繰り広げていきましょう。
お読み下さいました皆さん。有難うございました。
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追伸。原さんへ。
原さんのご投稿、拝読させていただきました。
何度か読み返すうちに、ふと、合点が行くようになりました。もしかしたら、「誤
読」かもしれませんが…(^^;)。
私の考えは、ほぼ、原さんに近いだろうと思っております。「現状分析と対抗戦 略」欄のご投稿は、まだ、消化不良ですが…。
私は、昔から、「左翼言辞」が嫌いでした。何でもかんでも、「~主義」とすぐに 言って、決め付けたがる人が、周りに多かったからかもしれません。「日和見主義、 教条主義、極左冒険主義、分裂主義、分派主義、事大主義、覇権主義、帝国主 義、……etc.」
どうしても、「左翼言辞」を使わなければいけない場合もあります。「統一戦線」
などは、そうかもしれません。それでも、私は、趣旨が伝わる限り、「共同行動」な
どと言うようにしています。
厳密に言えば、異なるのでしょうが、厳密な定義を私も知りませんし、一般の方々
に説明しながら、会話を進めるのは、非常に困難です。
また、私自身が、あまり好きでもない言葉を、一般の方々が、そう容易く受け入れ
られることもないでしょう。
私にとって、「主義」という言葉で、違和感なく使えるものは、やはり、「民主主 義」くらいなものでしょうか…。左翼言辞ではありませんが。
「ヒューマニズム」も、左翼言辞ではありませんし、普段の生活の中でも、使うも
のだと思います。ただ、「ヒューマニズム」は、考えれば考えるほど難しい、と言っ
たことに関しては、今もそのように思っております。
付け加えて申せば、かぎ括弧なしのヒューマニズムを実践することは、さらに、難
しいと思っております。
この辺り、お察し頂ければ、幸甚に存じます。
これからも、いろんなお話をお聞かせ下さい。
原さんは、英文法だけではなく、マルクス主義にも、明るい方だったんです
ね…(^^ゞ。
では、また。