愚等虫氏の天皇「君主論」(これについては愚等虫さんがオカシナことを言っているとは全く思わない)へのデモクラット氏の批判に始まり、多数の方々が参加して長期にわたり大々的に繰り広げられてきた一大論争を固唾を呑んでほぼ全て読んできた。いろいろ書きたいことはあるが、取り急ぎ一言。22日の綱領欄、川上慎一氏「反論権云々」に関わる。
初めに、「弁護人としての結論」。
「デモクラット氏の文章に『左翼狩り』を読み取られるのは訳のあることだとしても、『(日本共産党に現在は存在しないが、その)《統制委員会責任者》というような印象を私は受けます』という川上氏の言葉とこの言葉関連の一連の論述とは、この討論欄において少なくとも現在までのところは、誹謗中傷に属するものではないか」
初めにこの結論の説明に入る前に、弁護人を志願した私のスタンスを少々。私はかってデモクラット氏に熱烈なラブレターを書いた者だ。この熱烈さは今では幾分冷めたが、いわゆる上部構造や実践の観点やから物を見るという彼の視点、側面には、以前と変わらず十分に魅力を感じている。そしてまた私は過去の投稿で川上慎一・デモクラット両氏のある論争に介入して、そこではデモクラット氏に軍配を上げた。昨11月、「組織論・運動論」の、「私もやはり、不破、志位、市田3氏に辞任をお勧めする」という拙稿だが、その軍配の正しさについては今でも全く認識を変えていない。そのことがあったから両氏の投稿はおそらく誰よりも注意して見ている積もりだが、今回の川上氏には前述の結論のようなご批判を呈したい。さらに、この川上氏の態度を黙認すれば、私のように「左のさざ波に私は右の者ですが」などと明言して参加するということが非常に難しくなっていき、これがさざ波の参加層を著しく狭めていかざるを得ないと、危機感も抱いている。デモクラット氏は既にさざ波自身についてそういう「誤解」を持っているようだが、私はさざ波自身がそういう狭い了見、方針を取っているとは思わない。なお、デモクラット氏には、「左翼狩り」の要素が見えてしまうということも含めて、私も少なくない重大な批判を今は持っているが、そのことについては事態を複雑にするので、今回は言及しない。
さてデモクラット氏はけっして「共産党統制委員会責任者」のような立場の方ではない。過去の彼の文章が嘘ではないのである限り、そうであらざるを得ない。だとしたら川上氏はこんな断定に近い命題を語るべきではなかったのだ。酷い罪である。
第1にデモクラット氏は、党が民主集中制を取っていることに繰り返し反対している。そういう反対意見を繰り返し書いてもいる。このことは、党の民主集中制規約条項に違反した態度なのだ。幹部や党の都合があるとかならばこういう態度を取っても良いなどとは、規約のどこにも書いてない。
「社会主義理論の正統性を党中央が独占するかのようなこれまでのあり方と、『統一と団結』を重視して組織内の異論を封じ込めてしまう民主集中制の組織原則は、ビジョンの再構築にとって大きな桎梏以外の何ものでもないでしょう」(11/29、democrat「すいません、うっかりしていました(人文学徒さんへ)」より抜粋)ここの前半の「これまでのあり方」は、日本共産党を含まない東欧などのことを指していると強引に読んだとしても、後半の民主集中制批判は括弧付き民主集中制ではなく、その制度そのものへの批判と見るべきである。さらに、「現指導部は交代すべきだとはいえても、現在の党官僚組織と幹部養成の下で代わりうる指導部がいるのかどうか。結局、問題は民主集中制の閉塞的な現在の組織のあり方に行き着くようです。異論公表の自由を認め、赤旗に政策討論の公開フォーラムを常設する(中略)、これだけでもかなり風通しはよくなるはずですが」(11/24、democrat「人文学徒さんへ」から)。この二つだけでも十分な証拠となるはずだ。彼が民主集中制を批判し、自身その規約条項を無視してもいるという証拠だ。
第2に、彼の党(幹部)批判のいくつかを挙げてみよう。以下の言葉は「日本共産党統制委員会責任者(のような人)」が投稿できる文言だろうか。まず、先の例文いずれにも書いてあるが、かれは繰り返し「現指導部は悪い、やめよ」と言っている。「不破氏はじめ党幹部には、マルクス・レーニンの訓古学のような論文に貴重なエネルギーを浪費しないで、そんな時間があるなら、現実政治を切り開く戦略をよく考え、柔軟でしぶとい政治技術をもっと磨いてもらいたいと思います。いくら『正しい』ことを言っていても現実政治で力がなければ何の意味もない、と言ったら言い過ぎでしょうか」(前述、29日投稿)。「ついでに、『不破、志位、市田、3氏に辞任をお勧めする』については、『その言やよし』というところでしょうか」(前述24日投稿)
読まれる通り、読者諸氏には川上氏の文章だけからデモクラット氏を想像したなら、こんな文章を投稿される方だとは到底思えなかったはずである。それだけで十分、川上氏の罪は重い。これらの言葉に別の解釈があるとか、嘘だとかいうのであれば、川上氏はそのことを証明しなければならないだろう。例えそれが間違いなくできた場合でも、川上氏は稚拙で不注意な間違いを犯したとは言いうるのではないか。
さて私の今投稿としての最後のだめ押しになるが、デモクラット氏への川上氏の文章に対して、以下のことを最も恐れている。さざ波に少ない右の方が投稿されなくなるのではないかということだ。党内右派を公言してきた私は、投稿を控えるように編集部から言われているという思いは依然として毛頭ないのにである。デモクラット氏は既に皮肉っぽく、そう断言している。こんな調子だ「ご自由に仲間内の討論をお楽しみください」と(2/24、democrat「『左翼狩り』云々:川上氏へ」)。さらに、私が上げた証拠証言を全てきっちりと読みつつ、固唾を呑んでなり良きを見つめているはずのお二方がこの間発言を控えられているという事態もある。まず、デモクラット氏の天皇制発言の震源者、愚等虫氏、彼は「さざ波内では右か左かは分からない」と言われるが、デモクラット氏のように軽率で、礼儀知らずな面がある方ではなくて、誠実な方と私はお見受けしている。もう一人ははっきり「党内なら右派」と言って良いと思われる、原仙作氏だ。
以上、義憤と恐れに駆られるあまり、「とりあえず、敢えて」投稿した次第だ。現時点におけるデモクラット氏への批判の内容、川上氏へのそれは、改めて後刻、投稿することをお約束しておく。