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「組織論・運動論」討論欄

現状はもっと深刻では?(「大樹のかげ」さん、化石さんそして赤根さんへ)

2004/4/8 人文学徒

僕が1日に言及した勘太郎さんに二つの投稿がありました。「寄らば大樹のかげ」さ ん、「化石」さんから、いずれも4日のことです。勘太郎さんもお二人に答えられる でしょうが、僕もどうしても言いたいことがあります。

まず「寄らば大樹のかげ」さんへ。「共産党宣言」をもう一度読んでくださいと言わ れましたね。そこに書いてあることが今でも新しいと言われていますね。「ますます 少数の者への富の集中と大多数の貧困」が真実だからと。ところで、そのことや資本 主義の現状分析そのものについて「宣言」が現状に合致しているなんて、多少はマシ な学者なら資本主義擁護派でもみんな認めることですよ。資本主義では「過剰生産」、 「供給過剰」で物が売れていかないということから恐慌や失業など全ての大問題が起 こりやすいということもね。ちなみにこの点についての今の深刻さは、もう天井知ら ずの事態だという数字もあります。マスコミによく登場する経済評論家、内橋克人氏 がこんな数字を上げているんです。「世界の年間合計GDPは30兆ドル、その貿易決 済に実際に必要なのは8兆ドル。対して世界に流通しているドルは実に300兆ドル」 というもの。幾重もの搾取の果てに金持ちの金がこんなにも巨大になってしまい、当 然これの行き場がないから、この力は一体どこへ向かうんだろうかと怖いくらい。マ ルクスの予言が、それすら真っ青の惨状で、大当たりと言えましょう。こうしてさて、 議論の分かれる問題点はその先で、この途方も無い不条理をどうするか、どうできる のかということじゃないでしょうか。例えば、こうして虐げられた大多数の「労働者 階級」が宣言で呼びかけられたように実際に立ち上がるということがあるのか、「労 働者の前衛」と自認する日本共産党や世界の労働者党的な政党などにそうできる力が あるのかという問題も含めてね。そしてこれに関わっては、労働者が労働者であると いうだけで立ち上がるという「窮乏革命論」は信じられないというのが僕の1日の投 稿趣旨の一つなのでした。日本共産党が政権に加わったら、いったんはもっと景気が 悪くなって失業者も増え、それを立て直す力をその政府が持てるとは到底思えないと いう不安も僕にはあります。これらの思いがまた、化石さんへの僕の主要な反論内容 にもなるんですが。化石さんも実はほとんどそう思われているんでしょう? だから 絶望感があるのでは? まただから貴方の全体の論旨が不明確になるのでは? ちが いますか? こうして僕は化石さんよりひどい絶望派なんですよ、実は。僕のその絶 望のポイントを要約すれば以下のようになりましょう。

以上の問題解決というなら大資本の規制で実効をあげつつやがては社会主義を目指す ということしかなかろう、しかし、その社会主義百年の実践は途中で変質して失敗し た、その実践家たちをずっと「友党」と呼んできた日本共産党はいまや「あれと我々 とは全く違う」と言うだけで何の反省も無い、特に自覚的で理論的な真の意味での反 省がない、それどころか彼らの哲学理論は過去の「友党」と全く変わっていない客観 主義的唯物論なのだ。と、まーこういったところを僕は11月以来今までこのサイト で論じてきたつもりです。そしてこういう全てよりなお質が悪いと思われるのは、こ ういった日本共産党の態度がうまく納まる客観的な背景構造は、ご本人たちは意識し ていないかも知れないが、過去からの幹部を守るということしかなかったのではない かということなんです。そして、こういうごまかしの運命は、ますます「ごまかしの 泥沼」にはまっていくという道をたどる他はないということにもなっていくでしょう。 この日本共産党の幹部が入れ替わって、過去の悪いしがらみを全部なくしたうえで、 全く新たに清く正しく将来を討論していくのか、全く別の党ができるのか、いずれの 可能性も極めて低い、そういう絶望感もまた僕は持っています。そういう絶望感への 僕の原点を表現するならば、まー以下のようなもの、掌編創作文でやってみます。

 その前に赤根さんの「討論」に一言。

「存在」の形成には、個人であれ社会であれ、過去の「存在」だけでなく「意識」 (知、情、意など)も働いているのじゃないですか。だとしたら今の「存在」が意識 とどう分けられるのでしょうか。分けられないものを分けて論じるとするならば、もっ ときちんと区別の定義をしないといけないのではないでしょうか。なお、この場合に 客観的実在と言い換えてみてもまずいでしょう、純粋なそれは人間の意識というもの が生まれる前の、「純粋な自然」ぐらいしかありませんから。こういうわけで「存在」 という概念は、「意識」との区別という局面を言うのでしかないということ、つまり 「世界の始原に関わって、どっちが先か」という局面のものでしかないということ、 そうなんじゃないんでしょうか。いずれにしても歴史的現在の局面には使用できる概 念とは違うんだと思いますが。

  死屍累々の一人と出会った

四月初めのある日、太陽が西の水平線に向い始めたころのことだ。いつものように近所の公園の周囲一キロと少しをランニングしていた僕は、一瞬うんっと前方に目を凝らした。五十メートルほど向こうを歩いてくる男の体つきに見覚えがあったからだ。「共産党県委員会の書記長だった村松さん──?」 十四年前とその前年の、その衝撃以来何度も反芻してきた二つの県党会議(県レベル党大会のこと。全国大会の前と後などに、全県の各地区選出の代議員によって開かれる)がたちまち僕の脳裏に蘇ってくる。

委員長と書記長とが同時に退任するという異様な大会だった。しかも書記長は専従までもやめると報告され、僕の心の中で異様な感じがさらに膨らんだのを覚えている。そう感じたその瞬間にさらに重ねて、前年のもう一つの県党会議の異様さがまた連想されたものだ。前年のその会議では、委員長、書記長がわざわざこんな発言を繰り返したのだった。

「私たちが朝からお願いしていますように、さらにもっと本心からの討論を要請します。中央でも『最高幹部M氏は日本の鄧小平、独裁者だ』という人すらいるんです。県党の皆さんの数年来の実践からしたら、『もっともっと開かれた党を』という注文なんかいっぱいあるんじゃないですか!」

〈二人は分派工作で解任されたのかも知れない。村松氏は専従退職を申し出たとしか思えないが、それはこの前後のわだかまりの結末なのだろう。そもそも中央にはどういう幹部批判があるのか。社会主義国崩壊状況の中で、意見対立なんかはいっぱいだろうに。そこらの実態なんかも、本当のところはなんにも説明されない。そんな秘密主義の仕組ってなんだ一体!?〉 こんな暗い観測を、その他いくつかの事情、証言もあって、当時の僕は抱いたものだ。そして思った。民主集中制って、中央最高幹部にだけなんと有利に働くものなのだろうかと。そんな気分だった僕はその会議の議案採決で「保留」に挙手をした。千人近くの代議員の中で、反対はゼロ、保留が四人だったはずだ。それでも保留が出るのは珍しいことだったし、手を上げるまでには相当の逡巡、決断が必要だった。「党機関の役員ぐらいは中央と意見が違っちゃーまずいわなー」などという県幹部を幾度か目撃したことがあったから。

今ははっきりと村松氏と分かる顔が、僕のほうに近づいて来る。足元に目を落とした、その目元や頬などにしわが多くてどす黒いような表情は七十半ばにも見える。知識人・文化人担当でダンディだった昔の面影はすっかり失せていた。〈六十過ぎの僕とそんなに違わないはずなのに、生活は、年金なんか大丈夫なのかなー。〉僕は体を起こして前方遠くに目を向け直すと、ちょっとスピードを速めて彼とすれ違う。その時一陣の風があって、桜の花びらが二人の体を包むようにさーっと舞い流れていった。