百家繚乱様。30日に、僕の先日の要望にお答えくださることになったような文章をありがとうございました。今度は確かに焦点の所が良く分かります。日本共産党というよりは、今までの官僚主義的共産党全てが発展できない道をたどるしかなかったその背景となったような「唯物論」に対して、立派な批判になっている内容だと思った次第です。僕はこれをいつも書いているとうりに「科学」概念の限界、科学概念を哲学的方法にすること自体の間違い、実践という概念の欠如と述べてきましたが、トロツキーはこれを、「偶然性の自然淘汰」、「偶然性の人為淘汰」と呼んでいるのですか? 知りませんでした。トロツキーを読んだことがない僕の「実践概念」は、己の方法論を見つけたころの初期マルクスのものの積りです。ドイツイデオロギーのころのね。こんなふうに繚乱さんの文章を理解できたので、とても嬉しかったです。ここで一つお願いがあるのですが、僕の4月1日付けの「機械的唯物論」について述べた文章について、全般的なご批評、コメントをお願いできないものでしょうか。特に、「労働者階級ってあるの?」という部分についてコメントを希望します。繚乱さんの文章にこの「労働者階級」という言葉があったので、少し気になっているのです。
5月29日一般投稿欄に「S・T編集部員論文批判」がありました。横から入りますが、この批判は当たらないと思います。S・T氏は「異論交流禁止、民主集中制がなくなれば、党内民主主義が生きてきて、党の再生?は可能。」と考えているのではないでしょうか。さらに、異論交流禁止はいつかなくなるし、その際新しい理論観点、境地獲得も含めて党は再生?しうると僕も考えています。ただし僕は、前から言ってきたようにS・T氏と違って党に対しては右からの批判という立場ですけれど。また、党の人的財産はこの「一労働者」さんが見ているように、そんな軽いものではないとも考えています。この点もきっとS・Tさんは僕と同じ考え方なのではないでしょうか。