お返事が来る時には一度に来るものですねー! 愚等虫さんのお返事へのお返事をと考えているときに、さつきさん、浜吉さんから同じ日に僕へのメールがありました。嬉しい悲鳴です。なんか楽しくなってきました。みなさんありがとう。
まず、浜吉さんへ
丁寧な文章ありがとうございました。3回ほど読んだかな。党への現在の考え方や態度など、ほとんど僕と同じですね。「共産党支部の活動がなぜあのようになってしまうのか」と自問されて、「いずれ社会主義に前進することは歴史の必然とし、豊かな素質を持った党員と党組織を育てて人々から信頼される党を作ることよりも、選挙で前進することのみしか考えていないことからくる当然の結果です」と自答された。僕も全く同じように見てますね。去年の11月以来ここに僕の投稿を書いてきた、その内容のとおりです。ただ、気が長い話ですがと前置きされた上ですが、社会に対してできることを諦めてはいけないと言われた。僕にも、出版でもして若い人々に経験を伝えたらとも言われた。そこらは僕よりもちょっとマットウかも知れない。だけど僕には今現在はそこまでの気力が出ないです。一度しかない人生の少ない残りでとてもやりたいこともあるし、その権利くらいあるだろうと己に言い聞かせつつ、ちょっと失礼というような感じです。しかし何よりも大きいのは、「今の指導部のままなら選挙、拡大も伸びないほうがはるかにまし」と思っていることですが、浜吉さんもそう思われているのでしょうね。これからもここには書き続けていきますので、今後ともよろしくお願いします。
さつきさん
「やっとお返事だ!」、待ちかねていました。ことがことでしたから。「僕の自主的方針」は「私憤」ではなく「公憤」だったのですけれど、結論自身はきついことでしたし、あなたのあれがまたきつい口調でしたし。しかしあれはもうお互いに置くとして、ご質問にお答えしなきゃ。
「科学」は「科学の目」などと「全体的・根本的論議の方法論のようなものに使う場合は」という意味をこめて使ってきました。ただ普通の場面で科学という分には、異論などありようがないですから。とにかく「主観を無にして対象を捉えているのだよ」という「己自身への無自覚さ」、「己自身を絡ませていないと思っているが現にいっぱいそういう『不純物?』を持っている、そういうナイーブな意識、方法のあり方」への批判のつもりです。古い哲学用語に「素朴実在論」というのがありますが、ああいう客観主義の批判のことだとご理解ください。観念的なものを認識以外はほとんど切り捨てていく。だけど切っても切り捨てられないものがやがて「要求」とか言って復活してくる。しかしその諸要求の内容、様態はご自分らの「実在」の枠に収まるようにしか見ない。と、まーこんなところでしょうか。きっと今は、自然科学でもこんな素朴な方法論ではやってないのでしょうね。だからこそ、理系、文系をぱっくり分けたように僕が述べたことを、ご注意くださったのだと思っています。ただ自然科学(僕はここでは旧来の、自然、社会、人文という学問の区分で言ってます)の方々が、哲学的世界にもこういう客観主義を持ち込みやすいのは事実ではないですか?自然科学的に対処できない世界は極私的なものとして不可知論で処理し、「学問外の生活」をはっきり持つという二元論も含めてね。
なお、「考える葦」で僕を慰めてくださったこと、ありがたかったです。浜吉さんへの僕の返信内容に対するご配慮なのだろうと、一人うなづいていました。
さて、愚等虫さんへ。
長い文章をご苦労様でした。また、僕へのご返事としては、大変なご努力をありがとうございました。題名からしたら社会主義論を述べられたみたいなんですが、全てプリントして何度か読んでも正直言って「要は何か」が分からなかったです。時事問題の前置き、僕へのお返事としての「右左翼論」、「ネオマル」登場時の紹介、グラムシへの言及そしてこれらの中に目標である社会主義論をちりばめていくというような内容なんですが、相当に錯綜しています。社会主義の言語的・文献的説明が多くて、実態的説明が少なかったから分りにくいのかななどとも、考え込んでいました。でもなによりもまー、社会主義論というのが今は難しいのだと思いましたけどね。いずれにしても相当のお時間をとらせ、本当にご苦労様でした。
以上、取り急ぎお返事までに。