さつきさん、純文系人間の私には、基礎勉強をしてからでないと内容が十分に理解できないなと思いつつ、大歩危さんやSekioさんとのやり取りを、その議論の進め方に共感しつつ、興味深く拝見しています。
また、さつきさんの7/7投稿で、うっかり見落としていた愚等虫さんの6/17付投稿を読み、ささやかな私の投稿を愚等虫さんが評価して下さっていることを知り、さつきさんの7/7投稿にも、ちょっとだけ参加させていただこうと思いました。
さつきさんや愚等虫さんは、日本共産党内にいて、あれこれ苦悩しながらもこのサイトにも投稿している方ですよね。私も、約20年間党員として活動していましたが、党の方針の「正しさ」を大衆を騙してまで「論証」し、「それは嘘だよ」と指摘されると、終いには「質問・回答要求権」までバッサリと切り捨てて無視を決め込むような党中央のやり方に失望し、かつ、その誤った論証を自分自身が大衆に説得して回ることの苦しさに耐えられなくなり、党を離れました。
その後も、選挙などでは共産党を支持し続け、大衆運動に微力ながら参加しつつも、離党したことは妥当だったかをいつも自問し続けてきましたが、今年の綱領改定以後は、選挙でどうするか、本当に迷っているところです。原仙作さん(余談ですが、このハンドルネームは、かの『標準問題精講』からですよね?)の意見にも、相当動かされています。
地元の居住支部の人や地区の人とも行き来はありますが、以前は自分でも赤旗本紙や日曜版を配達し、集金し、パンフを売り、要求を聞き、署名を集め、大衆運動を組織し、選挙で支持拡大を行い、赤旗の拡大もしてきただけに、黙々といまでもそれを進めている人たちに頭が下がるとともに、超薄給で末端の活動を指導している地区専従だとか、高齢を押して配達に携っている支部員だとかの善意につけ込んで、これらの方々を結果的に「騙し」ている党中央に対して、やるせない憤りを感じております。
それはさておき、
>日本帝国主義の朝鮮侵略・朝鮮人連行と、現在の「拉致」をセットにして発言すると「左」と罵られ、過去の侵略を考慮する必要など全くないと主張すると「右」と罵られているのでしょうか。
確か愚等虫さんも言っておられたと思いますが、特にこのサイトでは、「右」だとか「左」だとかは、もはやどうでもよいことなのではないでしょうか。そのようなレッテル貼りで、何かが解決するわけでは全くないからです。逆に、自分に貼られたレッテルに対して反論したいという欲求が出てきたときには、要注意だと思います。さつきさんも、長壁さんへの投稿で述べられていたように、冷静な議論こそが大事だからです。
>例えば「拉致」問題に絡めて、現にある不幸を救済しようとする時にどうして過去の経緯など関係があろうかと主張する者が、では、現に山ほどある他の不幸にどれほど目を向け、立ち上がっているのだろうか、あるいは政府を動かそうと努力しているのだろうかと考えると、私などは、はなはだ疑問に思う訳です。
これは、さつきさんらしくない「議論の誤読」だと思います。
例えば、私の主張などは、さつきさんにとって「『拉致』問題に絡めて、現にある不幸を救済しようとする時にどうして過去の経緯など関係があろうかと主張する」ものとして評価されているのかどうか、不分明ですが、このサイトでまじめに議論していると思われる人で、多分さつきさんが「右」に分類するだろう人たちの多くは(中には?という方もおられますが)、四半世紀近くに及ぶ人生を不本意な形で過させられた拉致被害者の心情に、共感することから出発しているのだと思います。日本帝国主義の植民地支配の犠牲になり、家族離散や強制労働・強制連行・従軍慰安婦化の憂き目にあった人たちの苦悩はどうでもよい(そんなものには共感できない)と言っている人は、ほとんどいないと思います。
ですから当然、拉致被害者の心情に共感すれば、彼らの原状回復を独自の(「他の課題とは別個の」という意味であり、「先決の」という意味ではありません)課題として追求すべきだ、と言っているだけです。その際、「日本人拉致は明白な国際的無法行為であり、日帝の過去の行為の未清算が拉致問題解決の障害として正当化はされない」ということが共通の前提となっています。
ところが、これに反対している多くの人たちは、「日本帝国主義の植民地支配の犠牲になり、家族離散や強制労働・強制連行・従軍慰安婦化の憂き目にあった人たちの苦悩を考えれば、拉致被害者の原状回復が後回しになっても、やむを得ない」と言っているのです。ただ単純に「日本帝国主義の朝鮮侵略・朝鮮人連行と、現在の『拉致』をセットにして発言」しているのではありません。
解決の順番や被害者の数に拘っているのも、これらの人たちの特徴です。またこれらの方々は、拉致問題解決を語る「資格」という言葉をよく口にします。しかし、その「資格」を誰が・いかなる基準で認定するのかについては、決して明らかにしません。
さつきさんは、日帝の侵略・植民地支配という「過去の経緯」が、拉致問題の解決にどのように「関係」することが適切であると考えておられるのでしょうか。
少なくとも、この問題に関する意見の違いが、「現に山ほどある他の不幸にどれほど目を向け、立ち上がっているのだろうか、あるいは政府を動かそうと努力しているのだろうか」ということに直結する証拠はありません。それは、解決の順番や被害者の数に拘っている方々が、大衆運動への参加の投稿を多く書いているから、そう思われてしまっているのではありませんか?
しかし、書かれていないことは、存在しないこととは無関係です。
また、これらのさつきさんが「左」に分類されるだろう方々は、拉致被害者に共感する人たちの主張を、頭から「拉致被害者家族会」の主張とほとんど同視して論じていることも、特徴です。人道的食糧援助しかり、経済制裁しかりです。
しかし、人道的食糧援助について言えば、どこかで「コメは駄目で、トウモロコシならば(政権幹部は食べないから)よい」という提案がなされていたように、せっかくの飢餓救援物資が、末端の北朝鮮人民の口にほとんど入らず、金正日政権中枢部や取巻き連中の腹を満たすだけに終ってしまうなら、意味がないと考えるのは、ごく自然のことではないでしょうか。
経済制裁にしてもそうです。拉致問題でならば許されない「経済制裁」でも、核開発を断念させるためならば是認されるのでしょうか。むしろ、問題解決方法として、その方法が有効・適切なのかどうかを、具体的に検討することが大事なのではないでしょうか。その際、イラクへの経済制裁が、イラクの名もない人民を苦しめただけに終ったと言われている経験も、参照されるべきでしょう。
要するに、「北朝鮮はケシカランから、ありとあらゆる方法で痛めつけてやれ」と単純に言っているわけではないのに、そして多くの日本国民も、飢餓で苦しむ北朝鮮人民に「気の毒だ」という感情を持っていると思われるのに、それを、北朝鮮人民と日本人民との連帯・友好を強める方向へと、大きく論調を合流させ深化させられない決定的弱点を、「日本政府や日本人民に拉致問題を語る資格はない」という論者は抱えているのです。
拉致被害者家族ら自身が、このような「北朝鮮憎し」とでも言うべき主張に傾くのは、いわば自然の勢いです。彼らは、最近になってこの問題を政治的に利用している自民党政権からさえ、長い間無視され続け、ほとんど孤立無援状態にあったからです。
問題は、その心情に共感しながらも、それを政府自公連立政権に政治的に利用させないためにはどうすべきかにあると思います。特に、短絡的・心情的に被害者家族の主張に全面的に同調してしまう一般国民に対して、当該拉致問題を解決するためにも、どのような方法を採ることが適切なのかを、冷静かつ具体的に説得することが大事でしょう。ですからむしろ、「『過去の経緯』と『拉致』問題とをセットに」している論者は、「一体拉致問題の解決にどのように関わってきたのか、現に山ほどある他の不幸にどれほど目を向け、立ち上がっているのだろうか、あるいは政府を動かそうと努力しているのだろうか」と、逆に訊きたいくらいです。訳の分らない人々を、ただ頭ごなしに叱りつけているだけのように見えるからです。
ちなみに、2002年9月17日の平壌宣言についても、気になるところがあります。
その第2項第3段落では、国交正常化にあたって、「1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄する」ことが「基本原則」として確認されています。
同趣旨のことは、1972年9月29日の日中共同声明の「正常化の意義」の項の第5項でも「戦争賠償の請求を放棄する」という形で述べられていますが、これが、その後日本国内で提起された、各種の戦後補償訴訟(その中には、中国・韓国の従軍慰安婦を原告とするものもある)において一つの重大な障害となっていることは、よく知られているところです。
しかも平壌宣言では、ご丁寧に「その国民のすべての財産及び請求権の放棄」が、明示されているのです。日中共同宣言では、「中国政府」による、日本国政府に対する戦争賠償請求権のみが放棄されていることと比べても、1990年代からの相次ぐ戦後補償訴訟に手を焼いた日本政府が狡知を絞って、北朝鮮の金正日政権への諸援助と引き換えに、北朝鮮人民の請求権まで反故にさせてしまう危険性は大だと思われるのです。
ですから、平壌宣言万歳と喜んでばかりはいられません。
>また、海外での人道支援に民間ボランティアとして立ち上がっている大勢の方々がいる。これらの方々は、例えば昨今の「拉致」問題へ熱狂する方々とは異質に見えます。過去の経緯が問題とされるのは、やはり、過去において現に存在した不幸を誰も救済しなかったからです。
最近、ある雑誌で高遠菜穂子さんの手記を読みましたが、イラクでは、フセイン政権下で「国の恥」とされ施設に入れられていたストリートチルドレンが、空爆の影響で施設から抜け出したり、またその空爆によって新たに生み出されたりして、ドラッグ漬けになっている悲惨な状況があったといいます。保護してもすぐに逃げ出してしまうため、各国のNGOも半ば諦めて、素行の良い子を優先して保護していたところ、そこからも落ちこぼれたドラッグ漬けの素行不良児たちを、高遠さんは自分が中学生の時にシンナーにはまったこともあって、大人に対する不器用さが昔の自分に似ていると思い、「放っておけ」なかったそうです。
それで、その子たちのための恒久的施設を作るため、朝は千歳市の実家近くにある牧場で搾乳のアルバイト、夜はスナックで働く決意をして2月に一時帰国したところ、思いがけず前月の新聞記事を見た全国の人からの寄付金が実家に集まっていたため、これを持って、ストリートチルドレンの施設を借り上げ、最終的にはイラク人だけで運営できるようにするため、今回イラクに向ったと言っています。
私がこれを読んで感じたのは、このような、特に「立ち上がった」という雰囲気でもない無数のボランティアに共通しているのは、やはり、「放ってはおけない」という共感ではないかということです。
さつきさんが、「『拉致』問題へ熱狂する」という表現で、どのような人々を想定しているのか分りませんが、例えば拉致被害者の曽我さんは、当初政府のリストにも載っていなかった人でしょう? そういう、いわば北朝鮮側のパフォーマンスで帰国が叶った人の心情に、一般国民は特に「放っておけない」ものを特に感じているのだと思います。
だから、この拉致問題の背景に、戦後長い間、日本政府がアメリカの世界戦略に追随する立場から南朝鮮政権のみを朝鮮人民の代表者として扱い、北朝鮮人民を無視し続けてきたことがあるにしても、まず大事なことは、北朝鮮自身が認めているように、拉致はいま述べた背景によって決して正当化できない国際的無法行為であり、「国交正常化」の付属物として解決すれば足りる従属課題などではないと、はっきりさせることです。
その上で、国民世論が不当に政治的に誘導され、北朝鮮人民(あくまで人民であり金正日ではありません)を一層苦しめることがないように、最初の素朴な国民の中の共感を、適切な方向に向いた大きなうねりへと持って行くことです。決して、「おまえはこれまで、日帝の朝鮮支配に対する清算のために、どれだけの運動をしてきたのか。ろくに働きかけもしなかった人間が、拉致問題解決だけを声高に主張する資格などない」などと、第三者がしたり顔で何か言うことではないと確信しています。
>子供の前で平気で「勝ち組」「負け組」といった言葉を口にする大人を見ると、恥ずかしくないのかと思います。先の「イラク人質事件」における日本社会の異常な反応を目の当たりにして、まさに我々の「文化」が危機に瀕している現状を思い知らされました。この危機は当然左翼の中にも及んでいるでしょう。
さつきさん、私はあなたがおっしゃるような「左翼の中における危機」は、自分たちの主張に直ちに同調しない人を罵倒したり、これに対して軽蔑の意思を顕わにしたりして憚らない人たちに、確実に見られると思います。決して、拉致問題の独自の解決をこのサイトで主張している人たちに見られるものではないと、感じているのです。