樹々の緑さん、さつきさん、こんにちは。
お二人の、ご投稿を、拝読させて頂きました。
一般投稿欄で、樹々の緑さんは、
> 私の議論は、「組織論と運動論」に掲載されているさつきさんの7/11付投稿 を見ても、どうも難解だと思われているようなので、本人としては困っているのですが、…(7/15)
と仰っておられましたが、私も、議論にすれ違いがあるように、感じました。
さつきさんのご意見の、
> 例えば「拉致」問題に絡めて、現にある不幸を救済しようとする時にどうして過去の経緯など関係があろうかと主張する者が、では、現に山ほどある他の不幸にどれほど目を向け、立ち上がっているのだろうか、あるいは政府を動かそうと努力しているのだろうかと考えると、私などは、はなはだ疑問に思う訳です。(7/07)
という部分が、特に、取り上げられておられましたが、さつきさんに確認した訳ではありませんので、ハッキリしないのですが、一応、タイトル、“左翼内の「右」と「左」を考える”のとおり、「左翼」と呼ばれ、あるいは、自認している勢力の中の問題として考えると、その前の段落部分までの論と、「例え」の論旨にズレがあるのではないかな…というような感じを受けました。
「現にある不幸を救済しようとする時にどうして過去の経緯など関係があろうかと主張する者」が、「右」(?)と呼ばれるとしても、さつきさんの論で言われる、「「左翼」は、人類社会の歴史的な発展を展望し意識的に追求するという指向性を持っている」者たち、私が申しました、「歴史の中で、進歩派でいたいと思って」いる者たち、という訳でしょうから、さつきさんの論では、「過去の経緯など関係があろうかと主張する者」は、「左翼」と呼ばれる者の中には、入らないのではないか、と思ったのです。
そうした、さつきさんの言われる「過去の経緯など関係があろうかと主張する者」たち(「右」)が、「他の不幸にどれほど目を向け、立ち上がっているのだろうか、あるいは政府を動かそうと努力しているのだろうかと考えると、私などは、はなはだ疑問に思う」という言葉から感じましたものは、左翼内の「右」ではなく、金正日体制を「社会主義・共産主義」として「同一視」し、逆に、政治的利用を図っている「右翼」勢力のことではないか、というような印象でした。
以前の投稿で、私は、マスコミなどの扱いが「圧倒的な北朝鮮非難の放送量と比べて、あまりにも公正さを欠くのではないか」と、述べましたが、金正日体制や社民党、共産党などに対する正当な批判は結構ですが、これまでの日本政府・自民党の対北朝鮮政策、あるいは、国内における人権問題に対しては大目に見るような態度には、憤りを感じざるを得ません。
彼らは、憲法の平和主義を尊重し、最大限、極東の安全と平和を追求しようとして来なかったばかりか、小泉訪朝後は、「国内世論」を背景に、一気に、憲法改悪を進めようとし、また、悉く、選挙や人気取りに、利用してきました。
また、こうした左翼を攻撃しようとする勢力に関して思い出されるものは、「イラク人質事件」の際に、「声高に」自己責任論を叫び、世論誘導を行った者たちや、いわゆる「ネット右翼」などの「バッシング騒動」でありました。
私は、普通、投稿する前に、数回、読み返しておりますが、「人質事件」の時だけは、一度読み返しただけで、送信しました。
夜、「NEWS23」を見て、事件を知り、その後、直ぐに書き出したものですが、それは、もちろん、「三日」という期限が切られており、「さざ波」は、投稿の翌日か翌々日の夜に更新される、という事情があったからでした。実際、私の投稿が掲載されたのは、「事実上」、翌々日の夜のことでした。
送信後、各報道機関や政党に「自衛隊撤退、人質を救え!!」という一報を送りましたが、期せずして、同じ様な想いの人々が、日本中におられ、翌日には、あちこちで署名や要請行動が行われました。
ところが、こうした動きに対して、ネット・マスコミを通し、「異常に速すぎる」「自作自演ではないか」などなどの攻撃が行われたのです。
真相を究明するために、あれこれと想像を「逞しく」されるのはいいですが、このような人達は、人の命というものを、どのように考えているのだろうか、という疑問を、私は、抱かざるを得ませんでした。
さつきさんの文(7/07)を読ませて頂きながら、私は、上記のようなことを考えておりました。
また、
>現にある不幸はやはり救済しなければならないが、日本国政府の行動に政治利用を 目的とした二重基準を発見するのも、やはり左翼的な視点と言えるでしょう。 (7/11)
と言われておりますことからも、考えておられることは、基本的に、同じであろうと 思っています。私の読み取り方が、さつきさんのお考えになられていたことと違って おりましたら、申し訳ありません。
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樹々の緑さんが仰る、
> 多分さつきさんが「右」に分類するだろう人たちの多くは…拉致被害者の心情
に、共感することから出発しているのだと思います。日本帝国主義の植民地支配の犠
牲になり、家族離散や強制労働・強制連行・従軍慰安婦化の憂き目にあった人たちの
苦悩はどうでもよい(そんなものには共感できない)と言っている人は、ほとんどい
ないと思います。
ですから当然、拉致被害者の心情に共感すれば、彼らの原状回復を独自の(「他の
課題とは別個の」という意味であり、「先決の」という意味ではありません)課題と
して追求すべきだ、と言っているだけです。
ということについては、私も、同じ様に考えます。
おそらく、さつきさんも、お解りになられているのであろうと、私は、思っているのですが…。
樹々の緑さんが仰っておられるのは、例えて言えば、もしも、さつきさんのいう左翼内の「右」という考えの人々が、上記のように「疑問に思う」行動をとっていたと見なしてしまうなら、「右派」を自認される人文学徒さんなどは、立つ瀬がなくなってしまうのではないだろうか、ということではないでしょうか。
人文学徒さんは、「右」を自認されておられますが、植民地支配の清算など「過去の経緯など関係があろうか」とは、思われていないだろうと思いますし、「他の不幸」にも目を向けられ、行動されてきたと思います。
この問題に関しては、私自身は、「包括的に解決する」ということでよいのではないかと思っております。
拉致問題も植民地支配の清算などの問題も、解決されていない問題であると互いに認識しているのであれば、それは“現在”の問題であって、その解決には、誠意を尽くす意思があっても、時間のかかるものもあれば、早急に解決できるものもあるだろうということです。
要は、互いに、その誠意を尽くしているかどうか、だと思います。
ただ、樹々の緑さんがご指摘の、平壌宣言における「その国民のすべての財産及び 請求権を相互に放棄する」という点は、どのように考えるべきなのか、私もはっきり とは、致しておりません。
参考までに挙げると、「村山談 話」では、
> 従軍慰安婦の問題を始めですね、諸外国の人々から損害賠償や国家補償を求める 訴訟が提起されていることは承知をいたしております。しかし、先の大戦に係わる賠 償、財産請求権の問題につきましては、日本政府としては、既にサンフランシスコ平 和条約、2国間の平和条約及びそれとの関連する条約等に従って誠実に対応してきた とこでございます。したがって、我が国はこれらの条約等の当事国との間では、先の 大戦に係わる賠償、財産請求権の問題は、所謂、従軍慰安婦の問題等も含めてです ね、法的にはもう解決が済んでいるというふうに思っておりますので、今お話のござ いましたような個人補償を国として行う考えはございません。このような立場に立っ て、所謂、従軍慰安婦の問題等、現在取り組んでおる戦後処理の問題についてはです ね、これからも誠意を持って対応していきたいというふうに考えておるとこでありま す。
と述べております。
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本題に戻ると、「右」「左」と区別するよりも、やはり、何がベストの判断であ り、方法であるのかを、いろんな分野で考え合うことだと思います。
専門的にならざるを得ない場合もあるでしょう。DUの問題などは、その典型かも
しれません。正直、「理数系に弱い」と申しました私などは、陰ながら応援するしか
ありませんでした。
しかし、問題を追及し、解決することは重要であるし、お互いが真摯な討論の末
に、納得できれば、それが一番だと思っています。
さつきさんの言われる、
> 事実に反したり、故意に一部の事実を隠蔽したりしない限り、人の考えることに は必ず一分の理はある。
> 道は違ってもお互いを統一戦線の相手として認め合えるのではないか
> 先に述べた第一の側面に絡めて言うなら、「理想郷」への想いを共有する限りに おいて、左翼としては踏み外すことのできない節度のようなものは、確かにあるのだ と確信します。
ということに同意します。
ただ、「左翼としては踏み外すことのできない節度のようなもの」が、何であるの か、ということが問題であると思うのです。
私自身は、自由と平等、民主主義、人権などの面から、考えてきた人間ですから、 新綱領の「君主制(天皇制)廃止」規定の削除ということが、どうしても納得がいか ない、「譲れない一線」であるという訳です。
この問題は、自治的共生の社会を目指す基本であると思っています。
また、民主主義革命と呼ぶのであれば、その根幹でありメルクマールであると考え
ています。
共生の社会を目指すということについては、社民党も、うたっている訳ですが、し かしながら、社民党は、「天皇制廃止を目指す」とは、党としては言っておりませ ん。
ただ、又市征治幹事長の記者会見 (04/1/16)では、
> 環境権の問題とかプライバシーの問題とか、あるいは知る権利、国民投票制につ いて、本来は書かれてもいいのだと思います。しかし、問題なのはこれらを我々が言 い出せば、前文や9条を変えるための「ダシ」に使われるということです。ですから 基本は、前文や9条を守るということで護憲と申し上げている。その他の部分につい てすべてがいいといっているわけではない。
と述べており、これは、直接、天皇制について触れたものではありませんが、「その 他の部分についてすべてがいいといっているわけではない」ということに関して言え ば、そういう意見を持つ者の存在を否定するものではないということだろうと思いま す。
不破氏は、創立82周年記念講演で、
> 新しい綱領は、日本社会の将来的な発展の中で天皇問題を解決する方向につい て、将来、国民の合意にもとづいて天皇条項の存廃を決めるという日本共産党の考え 方をきちんと示しました。天皇条項をめぐる問題はいろいろ出てきますが、それをタ ブーにしないで、民主主義の立場から発言してゆくことが大事であります。(赤旗・ 04/7/24)
として、改めて、「将来、…存廃を決める」と述べ、「廃止を目指す」立場ではない ということを、「きちんと示し」たようです。
これでは、両党にどれだけの違いあるのだろうかと、私などは感じます。
志位氏は、昨年、綱領改定案が出された後、口を滑らせたのかどうかは判りません
が、サンデープロジェクトで、「天皇制の廃止をめざすという立場にたっている」
と、一応、述べておりました。(赤旗・03/7/7)
しかし、党大会では、私たちの求めにも拘わらず、斯くの如く、「君主制廃止」の
文言が綱領から削除され、その立場さえも曖昧にされてしまいました。
私自身は、「天皇制廃止」を明確に掲げていたからこそ、共産党に入ったのであっ て、これでは、社民党でもいいではないか、とさえ思います。もちろん、その他の政 策の問題もありましたが、今の共産党の政策は、本当に「道理の通った政策なのか。 いろいろと、問題ありなのではないか」と思うことが、実に多い、という気がしてい ます。
因みに、元社民党・政審会長の辻元清美氏は、
> 第一条から第八条までの天皇に関する規定を削除すべきだ…
> 私は、天皇制は日本国憲法の主権在民、法の下の平等という精神とは相容れない ものだと、ずっと思っていた。だから、天皇という存在を国家の枠組みからはずし、 国家が法律によって維持する制度をなくす。
> 税金で維持することがなくなっても多くの支持者・崇拝者によって支えればい い。(『辻元 清美の永田町航海記』)
と述べております。
私は、先の投稿で、
> 社会民主党などとも、互いに、反省すべきところは反省し、国民の生活向上のた めに、最善の行動・統一戦線を組んで貰いたいと願っています。
と述べました。
社民党も共産党も、一応、「左翼」と呼ばれるのでしょうが、政党の党員とは、そ
れぞれの主張(綱領)の下に結集し、自ら、党費を払い、支え、活動している者たち
です。
そうであるから、他党に対し、正当な批判を互いに行い、党外の人々に、自らの党
の主張に対する理解と支持を訴え、広げていけるというものでしょう。
政党間で、統一戦線を組むということは、互いに根本の主張が異なりつつも、一致
点で行動するということだと考えます。
主張の“根本”が同じであるのなら、別の政党として存在する必要もないし、合併
すればよいのであって、さまざまな傾向の中の一潮流として存在すればいい、という
ことになると思います。
しかしながら、併せて申しますならば、共産党が、「民主」集中制を維持したま ま、「形」だけ社民党に“擦り寄った”としても、社民党は応じないであろうし、志 位氏が、唯一、「道理しかない党」と言っていた“道理”さえもなくしていくことに しかならないと、私は、思っています。
***
P.S. 樹々の緑さん。
できましたら、もう少し、段落に、空白のための改行を入れて頂けると、私として は、読みやすく、有り難いと思っているのですが、お願いできますでしょうか。
また、以前の投稿でも申しましたが、長壁さんに共感するところも多いです。
「命の公正さ」という言葉を、綱領改定に関して使ったことがあります。私も、人
権の普遍性などを通して、ずっと考えて来ましたことではあるのですが、それは、長
壁さんがお使いになられていた言葉を、お借りしたものです。
さつきさん。
「新しい文化を創造」するために、それぞれの立場で、さまざまな方面から、でっ かく考え、そして、地道に、できることをやって行きましょう。
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お読み下さいました皆さま。有難うございました。