6月15日投稿の浜吉さんに、何か書こうと思っていましたが、真夏のガーデニング、参院選での息をのむような共産党の議席減、パソコンが2台共に故障とかがあって、悪戦苦闘していました、2台を1台に組み直して、すべてを再インストール、やっとネットが出来るようになりました。
「もっと下を見よう」の浜吉様、共感、うれしかったです。古い言葉で、労農派的な方でしょうか。 日々民衆と共に歩む姿が目に浮かびます。
「草の根との連携と原水禁運動の分裂」「抜本改革は急務」の投稿、30年以上も前から言い尽くされてきた事ですから、絶望かな。理想的な良い運動を創るには共産党の解体、再スタートしか無いとも考える。真摯な立場でマルクス主義で世直しを考える人たちとNGO的に世直しを考える人たちと、税金福祉党にはっきりと分かれていけば良いとも思う。
社会主義崩壊とあわせ、共産党が振りまいてきた分裂、歴史改ざん、理不尽な査問、除名とかの党公害は、どんなにつじつま合わせをしようが、自己批判しようが修復できるわけがない。おびただしい数の反共産党の活動家、文化人、政治家等を排泄してきた。宮本共産党時代の負の遺産は甚大、絶望的だ。これは意図的なものと見るべきだ。
新綱領への改変、ソ連中国に対する体制評価などは、笑うに笑えない、下部の党員はわかっていても、あきれつつ、息をのみつつ党中央に着いて行くしかない。中央にNOと言えない共産党員、戦闘力を喪失していく共産党員。不破共産党の涙ぐましい瞑想ぶりが見える。
昔々、10代の頃、党の細胞会議で君は原水協の活動をやりなさいという事で、地域の原水協理事を何年か務めました。ベトナム反戦と併せて強力な票読み活動が出来ていた時代です。当時の活動の一コマ、8ミリの映写機、スクリーン、フイルムは原水禁大会、南ベトナム解放戦線の記録とか、それと資金集めの中国物産を自転車に積んで職場の先輩たちの家を回る。自転車は前も後ろの荷台もいっぱい。日本共産党と中国共産党は兄弟だった、そんな時代がありました。
文化大革命で、党の仲が悪くなって、中国物産の取り扱いは日中友好協会が分裂して正統派だけになって、共産党員が運営していた地域原水協がそれを売るわけにもいかず、資金集めは平和バッジとあわせ東欧圏のブルガリアのジャムとかの販売になりました。我が党は一貫して自主独立の党である、、我が党は大衆組織に干渉しない、、と言うものの、苦笑いの想い出、青春。
長壁さんの爆弾投稿が無くなって、実に寂しい感じになった。長壁さんをたたくのに元気だった人たちはどうなったのでしょうか。右に優しく左に厳しく、の、方々かな。
憲法改悪を目の前にして、運動の再構築を考えなければならない情けなさ。それでも無産階級は闘うほか無しか。