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「組織論・運動論」討論欄

8/7さつきさんへ

2004/08/11 樹々の緑 50代 会社員

 さつきさん、あなたの7/7付投稿の問題提起に直接答えないままに、当面の お答えだけしていることを、心苦しく思っております。今回も、8/7付のあなたの 投稿に関連してお話しするだけですが、何れ、7/7付投稿の主題にも考えを纏めて、 投稿したいと思っております。

 まず、私の方こそ、あなたが大歩危さんと交わされた劣化ウラン弾に関するねばり 強い議論に、教えられたのです。それは、このサイトを閲覧している方々の大半が、 認めるものと思います。そのお礼をここで述べさせて下さい。

 次にまた、私は決して「国際法の専門家」ではありません。「お前は法律を勉 強したんだから」と言われて、契約書のチェックなど、あれこれの法律関連業務を担 当させられている一介の小企業の会社員でしかありません。日常は、民法や商法のよ うな国内私法に接しているだけで、ここでの議論も、国際法の専門家が見れば「かな り粗い議論をしているな」と感じるだろうと思います。ただ多分、表記等の凡ミス (例:「除斥期間」と書くべきところを「時効」と書く等)を除けば、嘘を言ったり 基本線を外したりはしていないと思っております。

 さらにまた、後先になりますが、このサイトのタイムラグと他の方からの反応 の可能性を考え、あなたの上記投稿中で気になった点から先に述べさせて下さい。

〈イラク日本人人質事件は「テロ」だったのか、という疑問〉

 さつきさんは上記投稿の中の、「私は、イラク討論欄での『テロ』の問題に絡 んで要約、次のような主張をしたことがあります。…(中略)…その瞬間、彼らは 『テロリスト』であることを止めたのです。」という2つの段落の中で、高遠さん・ 今井さん・郡山さん等3人の日本人の人質事件自体は「テロ」だったという前提で話 していらっしゃいますね。

 私は、これは分析を要する事柄だと思うのです。私自身も、まだ十分考えを固 められていない事柄ですので、そのつもりで読んで下さい。もちろん、これは国際法 的な検討ではありません。

 実は私には、あのイラク日本人人質事件を「テロ」だと言い切る自信はないの です。それは、現に行われている不法な軍事占領・武力行使を排除するための武装レ ジスタンスの逸脱ではないかと、漠然と考えているからです。4/25付投稿でも、 そういうスタンスで書いています。

 「テロ」の語を手元にある辞書で引いてみると、「テロリズム・テロリストの 略」とあり「テロリズム」は「①暴力・暴力主義、②恐怖政治」、「テロリスト」は 「暴力をふるう人、暗殺者」と説明されています。暴力を行使する状況・相手方・原 因・背景は一切捨象されています。
 テロをこのように外観的・形式的に捉えて定義すれば、「自衛隊を撤退させなけれ ば人質を殺す」と要求し、人命を自己の要求受容れのための手段として使った行為は、 立派なテロだと言えるかも知れません。

 しかし、?当時、日本の自衛隊という武装部隊が、同じ国家領域内に「人道支 援」との名目の下、米国軍隊の不法な占領支配(その中には、ファルージャに対する 無差別爆撃も含まれていました)を補完する客観的役割を果たすために駐留していた ことは事実であり、①「犯人」らが3人の国籍を知った上で拘束に及んでいること、 ②解放条件も、自衛隊の撤退という、自衛隊派遣と日本人保護に責任を持つ日本政府 に対するものであったこと等から、いわゆる9.11国際テロのように、場所や被害 者の国籍如何を問わず、人命自体を無差別に手段として使って自己の要求を強行しよ うとする行動(ビンラディンの場合、要求が事前通告されていたかどうか自体も不明 で、極めて自己顕示的ですが…)とは、かなり違っている、という認識があるのです。

 現に、「被害者」である高遠さん自身は、先日紹介した雑誌(「日経ビジネス」 6月7日号)の手記の中で、「犯人」との呼称は一切使わず、彼らを「ムジャヒディ ン(イスラム聖戦士)」と呼んでいます。彼女に少し遅れて拘束-解放された安田純 平さんも、『囚われのイラク』(5月25日 現代人文社刊)の中で単純にテロリス ト扱いはしておらず、ただ「民間人を殺したらお前らをテロリストと呼ぶぞ!」と彼 らに対して言っているだけです。

 安田さんは、『囚われのイラク』の中で次のようにも言っています。

 反米武装勢力を「サダムの残党」「テロリスト」などと呼ぶ人もい る。しかし、私の接した範囲では、彼らのほとんどが、自分たちの暮らしを守るため に戦う素朴で屈強な農民だった。それを支えているのは豊かな農村で、裾野はまさに 大地に広がっている。彼らを敵にまわすということは、「泥沼」に足を踏み入れると いうことなのだ。しかし、彼らを襲っているのは米軍の「虐殺」である。彼らが解放 されるのはいつになるのだろう。
 彼らが私たちを解放したのは、彼ら自身が紳士的だったからだ。そして、自衛隊を 派遣した国の人間として拘束していながら、誰もが日本に興味を示していた。ヒロシ マ、ナガサキ、トヨタ、ニッサン-。拘束中に何度も耳にした「日本」だ。そのたび に実感した。「日本の市民が積み重ねてきた歴史、文化に救われているのだ」と。 (89~90頁)

 これに私が付け加えるならば、安田さんらを「危険」に曝したそもそもの原因を作っ たのは、自衛隊を派遣した日本政府だと。

 もちろん、高遠さんは、自分を拘束したムジャヒディンに「これは最悪のやり 方だぞ。日本人はイラク人を危険で怖い人だと思う」と批判しています。その一方で 彼女は、先に一般投稿欄に報告した7.22集会で「拘束の途中から、砂漠の真ん中 のような所に移されたが、それは彼らが、空爆を受けているファルージャ近辺から自 分たちを遠ざけ、護ってくれていたのだと知った」と、声を詰まらせながら語ってい ました。

 たしかに、人の命を「ダシ」に使うやり方は許されない。まして、イタリアや 韓国の民間人が「人質」として殺されていることを考えると、「テロリストとどこが 違うのか」という気にもなります。
 しかし、これら一連の事実経過と、被害者自身の受け止め方とを総合して考えるな らば、今回の日本人人質事件は、米軍を中心とする占領軍の暴虐に対する、イラク人 民の武装レジスタンス行動の、不適切な逸脱形態と評価できるのではないか、と思え るのです。それが「テロ」なのだ、といってしまえばそれまでですが…。

 さつきさん、こうして私は、あなたと同じように、今回の人質事件に際して、 これを「テロ」だとして非難する動きに簡単には参加しませんでした。
 しかし、それは決して、「国際法が、大国の都合で簡単に反故にされ続けている現 状では、ある行為を『テロ』として非難する規準としての正当性などを、国際法自身 が主張できる立場にはない」と考えたからではありません。むしろ、今回の人質事件 のそもそもの原因となっている、イラクに対する米英軍による戦争行為と占領支配が、 何ら正当化・合法化されえないことを明らかにする上で、国際法こそ、その普遍的な 規準となるべきだと考えております。そのような、国際法上の無法行為に対する、イ ラク人民の自決権に基づく武装反撃行為だからこそ、その逸脱が、一定の場合には違 法だが非難できないものとなりうる、と考えているのです。

 大事なことなので念のために言っておきますが、いま述べた私の立場は、「ファ ルージャ空爆などで無惨に殺されている罪もないイラク人の夥しい数に比べれば、人 質の1人や2人殺されたところで、文句を言える筋合いはない」というような考え方 とは、根本的に違います。
 民間人を人質に取って要求を通そうとし、相手方が応じなければ人質を殺すことは、 その人数の如何を問わず許されるべきでないけれど、現に不法な武力(占領米軍によ る数々の虐殺)が行使されている領域内では、本来は正当である反撃行為の不幸な逸 脱形態として、非難できない場合があるのではないか、ということです。

 このような見地から考える限り、最近の、被害者にイラク人自身を含む爆弾テ ロは、決して容認できるものではありません。また、最近では、例の国際テロ組織 「アルカイダ」の流れを汲む一派も、イラク人民の怒りに便乗してイラク国内で策動 しているそうですが、これも容認できるものではありません。

〈拉致の不法性を北朝鮮に対して非難できるか、という疑問について〉

 さつきさん、私は、北朝鮮の現金正日政権に対する評価(極度の人権抑圧政権 であるという)や、拉致問題の国際的課題としての性質(国交正常化とリンクせずに 解決できる「人道問題」であるという)に関する意見は、かなり早くから持っていま したから、イラク人質事件問題とは関わりなく、自説を述べていたわけです。
 ただ、「異常な集団バッシング」という点に関しては、高遠さんらに対する「自己 責任」バッシングと、5月の小泉訪朝の成果について被害者家族が「子供の使い」と 感情的に批判したことへの「首相に対して失礼だ」バッシングとの間に、非常に共通 するものを感じておりました。
 それで、高遠さんが帰国後怖くて家を出られなくなっていることや、横田さんが 「反省」の弁を述べたりする姿に、悲痛な感じを持っていました。

 今回、さつきさんの8/7付投稿を拝見して、イラク日本人人質事件へのアプ ローチを北朝鮮問題にも適用してみるというあなたの方法論を、自分の意見について も試してみて、その有用性に気づかされました。

 すなわち、
① 日本人拉致は、現に不法な武力が行使されている状況下での反撃行為としてなさ れたわけではないので、「本来正当な反撃行為の不幸な逸脱形態」として是認される ことはない、
② 日本帝国による朝鮮植民地支配や戦時下の様々な不当行為による被害者の数(≒ ファルージャの惨劇の被害者数)が、被拉致日本人の数(≒日本人人質の人数)を著 しく上回っていたとしても、それによって、拉致被害者の被害が「取るに足らない」 ものとなるわけではない、
③ 拉致被害者の原状回復(≒日本人人質の解放)が、植民地支配・戦時賠償の清算 (≒イラクからの違法占領軍の全面撤退)の後回しにされることも正当化できない、
 という結論は、イラク人質問題へのアプローチの類推で、直ちに導けると思います。

 寄らば大樹の陰さんとの議論の最初あたりで、私は彼に対して、「拉致を、植 民地支配や戦時加害行為に対する正当な反撃行為だと評価しているのか」と問いかけ たことがありますが、もちろんこのときに、上のようなアプローチをしていたわけで はありません。ただ彼のいわば「お合い子論」を、少し法律的に表現したまでです。 彼が、「法的にはまだ日朝は戦争状態だ」と強調していたからです。

 ただ、今回副次的に、(おそらく)大阪高槻むくげの会の声明を引用し、これ に関する天邪鬼さんの過去の投稿も引用されて、仮に拉致問題について私のような意 見が正当だとしても、日本人である私が、日本国民や日本国政府に向けて言える「筋 合い」のことではないのではないか、という新たな問いかけがなされています。そし て、「どのような立場のものにとっても真理が一つであれば、この世はどんなにか分 かり易く、簡単であることでしょう」というコメントが付されています。
 長壁さんが、おそらく私に対して「またですか、飽きるな」とおっしゃっていたの は、「がんばれない共産党員」さんと天邪鬼さんとのやり取りが5か月前にあったか らでしょう。私は知りませんでしたが…。

 私は、この高槻むくげの会の声明を、寄らば大樹の陰さんとの議論が始まって からしばらくして、6/6付「伝言板」上でトトロさんが紹介して下さっていたこと から知りました。私の7/15付一般投稿欄への投稿で「大阪摂津の在日組織の声明」 と書いたのは、「高槻」の勘違いでした。
 これを読んで、私もホッとしたことを憶えています。なぜホッとしたのかは、前記 投稿に書いたような心情を、私が感じていたからです。また、おそらくあなたや天邪 鬼さんらと同じように、私も、戦後長期間に亘って北朝鮮との国交が正常化せず、在 日差別の上に、さらに総聯差別のような二重の差別が、日本社会の中から放逐されて いない状況に、申し訳ない感じを懐いていたからです。

 しかしさつきさん、「これは在日の側からいえることで私達日本人側で同じこ とは言えない」とする、この「筋合い論」は、いわば表現を変えた「拉致問題を語る 資格論」であることに、お気づきでしょうか。
 あなたの「どのような立場にあるものにも真理が一つであれば、この世はどんなに か分り易く簡単だろうか」というのは、皮肉なのでしょうか、それとも慨嘆なのでしょ うか。

 もしも皮肉だとすれば、そこにおける「立場」とは何か、「真理」とは何かが、 厳しく問われなければなりません。「同じ事象が、資本家にとっては『資本の利得と しての利潤獲得』であり、労働者にとっては『自らが創造した剰余価値の搾取』であ る、というように、『立場』が異なると『真理』も異なってくるのは厄介だ」という ようなことは、成り立たないはずだからです。人民内部の問題であれば、なおいっそ う、「真理は一つだ」と言えるでしょう。

 さつきさん、多分あなたは慨嘆しているのだと思うのです。そして、これは前 提として大事なことですが、あなたはこの「拉致問題」が、人道問題として、今回日 本政府が決定した対北朝鮮食糧援助と同じように、国交正常化・戦争賠償・植民地支 配清算交渉の進展如何に拘らず解決できる性質の問題だという、確固たるご認識をお 持ちですか?

 当事国両政府が、ともに拉致は不法な行為だと認めており、しかも、国交正常 化については、日朝平壌宣言によってその基本的な道筋が明確にされているのですか ら、当事者にその気さえあれば、拉致被害者の原状回復に何の困難もないはずです。 最近の報道でも、行方不明の10名について、「当初の調査にはいい加減なところもあっ た」と北朝鮮高官側が認めているのですから、何の障害もありません。北朝鮮人民が、 国交正常化前の拉致問題解決に反対の声を上げているという話も、とんと聞かれませ ん。むしろ、高槻むくげの会の声明のように、人民の意思は逆でしょう。

 このように、その気にさえなればとっとと解決できる性質の問題であるはずな のに、なぜ解決が滞っているのでしょうか?それは、日本政府(小泉政権)が、食糧 援助や国交正常化プログラムを円滑に進めていないからなのでしょうか?
 そうではありますまい。それは主として、北朝鮮の金正日政権が、拉致問題を食糧 援助その他自己に有利な対応を引き出すための「拉致カード」として使っているから ではないでしょうか。

 そして、「筋合い論」や「拉致問題を語る資格論」は結局、このような場面に おいてさえなお、日本人民(その中には、拉致被害者家族も含まれています)側から 拉致被害者の完全な原状回復を主張することが、あたかも倫理・道義に反するかのよ うな印象を与え、拉致問題解決の主張自体を阻む実践的役割を果たしているのです。 われわれは、この点をこそ直視しなければなりません。

 北朝鮮政権による日本人拉致が、国際的不法行為であることは、両当事国政府 が自認しているのです。拉致被害者とその家族・これを保護する責任を負う日本政府 は、権利として原状回復を求めることができます。被害者の属する国の日本人民は、 そのことを権利として主張することができるのです。拉致問題の解決は、決して誰か の「恩恵」として与えられるものではありません。
 日朝両国政権が、それぞれの思惑によって拉致被害者の原状回復を「調整」し、こ れを政治的に利用する(旗色が悪い参議院選挙のサヨナラホームランに使うというよ うな)暴挙に出る場合、両国人民は、両国人民の本質的連帯の見地から、手を携えて これを批判し、解決を促進しなければならないのではありませんか。

 「筋合い論」者は、結局、このような見地に立ち切れず、いつのまにか、「日 本民族の誇りをかけて日本政府に植民地支配・戦争賠償等の清算を要求する」という ように「論点のスリ替え」を行ってしまうという、決定的弱点を抱えているのです。

 次に、少し観点を変えて別の角度から「筋合い論」を検討してみます。
 さつきさんの7/7付投稿本来のテーマとも関連しますが、当面であれ遠い先のも のであれ、われわれが目指す社会関係は、「本当は…いいたいことがあるでしょうが つばを飲み込むように触れ」ないような、言いたいことがあってもグッと堪えてやせ 我慢をする社会関係ではなかったはずです。
 そうではなくて、われわれが目指している社会関係は、誰もが自分の言いたいこと を自由に言え、これを通じて深く相互に理解できるような「共生社会」関係だったは ずです。

 これは、あけすけに物を言うことを「興醒め」のように感じる、われわれ日本 人に沁み付いている心性とも関連して、実践的には困難な課題だとは思うのですが、 「言いたいことをやせ我慢する」態度を褒め称えるニュアンスや美意識が、「筋合い 論」者の上記言い回しから感じられはしないでしょうか。

 論者は、「それは違う、われわれ日本社会が、彼らにこのようなやせ我慢を強 いているから、それに耐えつつ自国政府を非難している点に、共感しているだけだ」 と言うかも知れません。

 それでは、論者がこの「やせ我慢を強いる日本社会の風潮」に対して、どのよ うな打開策を提示しているのかと言えば、結局、拉致被害者のために拉致問題の解決 を北朝鮮政府に対して訴えることを「やせ我慢」し、自国の日本政府に対して、「かっ ての強制連行や朝鮮植民地支配に対して本当に謝罪し賠償せよと。又、日米安保条約 を破棄し有事立法を廃案にせよと。平壌宣言を誠実に実行せよと。」要求するだけで す。
 このような「やせ我慢比べの応酬」が、「民族の誇り」だというのです。

 これは、未だに在日差別や偏見を色濃く残している日本社会に対する、裏返し のアリバイ主張とでも言うべきものです。その、あまりの消極性は、明白ではないで しょうか。
 「両国政府が、それぞれおかしなことをやっている、そしてそれは、何れも日朝両 国人民の根本的利益に反するものである、それゆえ、両国人民は、連帯・共同してこ のおかしな両政府の行動に抗議し、政治的態度を改めさせよう」という素直な呼びか けに、どうして発展させられないのでしょうか。

 この点でわれわれは、むくげの会の声明が「何より拉致被害者・家族の『悲痛 な叫び』を真摯に受け止め、手を取り合わなければならない。拉致事件被害者・家族 の『悲痛な叫び』は、まさに植民地時代に朝鮮民族があげた『悲痛な叫び』であり、 その痛みは、在日韓国・朝鮮人もよく知っているはずだ。『国家』ではなく、人間の 『痛み』を通して見れば、自国が他国にいかに非道なことをしてきたのかがよく見え る」と述べていることから、深く学ぶべきだと思うのです。

〈われわれ日本人民の課題と、左翼内での取組みの立後れについて〉

 以上からも明らかだと思いますが、われわれ日本人民固有の今後の課題として は、日本政府の不当な政策を変更させ、不当立法を廃止させ、国交を正常化させて戦 争賠償を速やかに実行するよう(北朝鮮人民の請求権を不当に消滅させずに、個々の 戦争被害者が実質的に補償を受けられるよう配慮しつつ)、働きかけること、日本社 会に残存するコリアン差別を一掃するため、日常的な活動を展開すること等々、とい うことになるでしょう。
 その点から見逃せないことは、「新しい歴史を作る会」の教科書採択問題に見られ るような歴史の偽造を許さず、ドイツ人民が重く背負っているように、日本帝国によ るアジア侵略・植民地支配の歴史的教訓を、日本国憲法前文・第9条・教育基本法の 精神に立ち返って、われわれが守り抜くことでしょう。
 その中からこそ、新しい日朝人民の連帯と、北東アジアの新たな安全保障の展望と が生まれてくるに違いありません。

 さつきさん、あなたはこの点に関しても、「いままで、左翼内でも、日朝国交 正常化や両国人民連帯の活動は活発でなかったように思うのに、そんな『超楽観的』 でノー天気なことで済むのか」という疑問をお持ちなのでしょうね。

 実は、私も、個人的には本当に、日常接触する(といってもほとんどありませ んが)在日の人たちとごく普通に接するというだけで、取り立てて何かをしてきたわ けではありません。まあ、以前の投稿に書いた「強欲な日本人にいじめられながら事 業を進めようと苦闘している」人のために、弁護士と一緒に作戦を練ったという程度 です(この人は、実質勝訴の和解で決着を得ましたが、その後何年かのうちに亡くなっ てしまいました)。

 そして、私も、日朝国交正常化を目指した両国人民の連帯活動があまり活発で はなかったという印象を持っているのですが、事情をよく知らないため何も語れませ ん。
 ただ、その点に関して自分の経験から若干思い当たることがあります。

 それは、韓国の朴・全両軍事政権下における民主化運動には関心があったが、 1970年代以降、「金日成主席の誕生祝賀」キャンペーンだとか、学生団体への「高麗 連邦共和国構想」支持署名募集依頼だとか、何か総聯系の人々とやろうとすると、 「人民間の連帯」というよりは「他国の人民運動の利用」という側面が色濃くなる事 実があったことです。
 それで、「両国人民の連帯で、一刻も早く国交を正常化させよう」という感じには ならなかったように思います。

 なお、正義味方さんが言っておられるように、不破議長の正月の談話に従って 解決が図られるのであれば、それは愚等虫さんが言う「包括的に」ということでもあ るのでしょうから、私も異論はないのですが、ちょっと注意を要することがあります。
 それは、この「包括的に」「どれかだけに固執することなく」ということが結局、 拉致問題の解決を、「日朝国交正常化交渉のテーブルに載せて」ということであるな らば、それは明確に違う、ということです。
 この点は何度も述べているので繰り返しませんが、拉致問題の解決を国交正常化交 渉の「一部」として行おうとすれば、拉致問題が「人道問題」として解決できるメリッ トの大半は失われるのです。

 また、正義味方さんが不破談話を引用しておられるのは、むしろ「この線から ズルズルと説明不能のシフトをしたりしないでくれ」という、日本共産党の北朝鮮政 策に対する警戒と期待を込めての意が強いと考えています。
 しかし、私はこの点で、現時の日本共産党に、とりわけ何の説明なしにとんでもな いことを言い出す不破議長には、あまり期待はできないと感じております。

 以上、この何日かは、ネットにアクセスせずに考え抜きました。これからアッ プしますが、疲れたので、ちょっと休憩いたします。
 読んで下さったみなさんには、心から感謝いたします。