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「組織論・運動論」討論欄

日本共産党の惨状の本質にかかわって

2004/09/16 人文学徒

1 はじめに

 私は昨年11月から、月平均2本ほどの原稿をこの欄の討論に供してきた。最大関心事は、日本共産党の停滞、諸欠陥の本質をできるだけ根っこのところから考えてみることであった。そしてその本質の最大のものの一つが、民主集中制と「科学的真理の党」という二つの側面が絡み合って織り成してきたものというところにまとまってきたようである。今ここに、このことの全体像を、現在の党情勢、段階をも関わらせつつ、改めて一文にまとめて提示したいと思う。複雑な事柄を1回で書こうとしたため長くなってしまい、400字詰め30枚の論文になってしまった。首尾一貫した、分かりやすい内容にしたかったからだが、終わりまで読んでくださればありがたい。全部で3部の構成になっており、真ん中の本論をまた3部に分けてそれぞれ表題を付したので、それを見てお好きなところから読まれることも可能にした。

 私の以下の論議の骨子は既に数十年前に、当時名古屋大学教授、政治学者、田口富久治氏によって不破哲三氏との雑誌「前衛」誌上などの論争という形で公表されているものだ。田口氏のこの提起は、今やますますその全体的根本的正しさが明白になってきており、この「さざ波」投稿でも多数の方々がこれに言及されている。中には、田口氏の議論には触れずとも自ら意識せずして内容上は同じことを語られているかとも見える投稿も多い。しかしながら不破氏および党はその後相変わらず、全世界的には「社会主義」、国内政治としては「天皇制」など幾多の重大な「解釈改変」を行ってきたにもかかわらず、民主集中制と「科学的真理の党」という二つの点においては、どんな変更も加えていないのである。それのみか、民主集中制はさらに強化され、「科学的真理の党」は不破氏の古典文献再読の出版などを通じてますます喧伝されることになってきた。現在の党敗退諸現象を、これらによって引き締め乗り越えていこうと表明しているわけだ。私が以下に述べることは、こういう党情勢を意識したうえで、これと関連づけて田口氏の理論提起自身とそれがもたらす諸結果とをできるだけ広いその全体像においてかつ分かりやすく描写してみるというものでもある。

 なお、この投稿の直接の動機は以下のお二方の最近の力作、呼びかけに微力ながらお応えするつもりということだ。まず原仙作さん。4日「現状分析」欄への投稿、そして9日から「理論・政策」欄に4回にわたって連載された力作からは大きな示唆と刺激を受けた。私は以前から、彼の何を書こうかというモチーフ選択そのものに常に親近感を覚えてきたのだが、今回はこの親近感がさらに深まったという思いだった。彼の9日からの連載などは、私が書きたくても書く準備も素養もないものを書いてくださったと感じたものである。感謝しつつ、「出版されれば良いのに。その気があるならさざ波で支援者でも募れないかな。僕も呼びかけ、販売予約方式を作っても良いけど。どっかの出版社に協力願えないだろうか」などと考え込んでいたものである。そして、さつきさん、10日付の「組織論・運動論」でこう言われている。「日本共産党の、とりわけ上層部の病理は、いよいよ深刻なものになっていると危惧しています。まさに『糸の切れた凧のような予測不能の自己運動』に陥っていないでしょうか。」と。この拙稿は、さつきさんのこの呼びかけに応えたいと意図したものでもある。

2 本論

①党の惨状、その諸現象の概観

 国会議員選挙に4連敗し、数十年前の国会議席数に戻ってしまった。しかも戦後ずっと続いた自社2党体制の一方がほとんど消え、他方が自立した万年与党の座から滑り落ちたという、「普通の国民の目から見れば」50年単位の政治史の変わり目のような、そんな時点においてなのである。原さんもあげられていることだが、こんな大事なときのその背景としての党の組織指標は2中総でこう報告された。参議院選挙に取り組んだ党員は55.3%、大会以降半年過ぎて大会決定読了党員率は25%、昨年の総選挙から日刊紙は後退、日曜版は3%弱の微増などなどという惨状である。以上の意味はさしあたって次のようにまとめられるだろう。党は常に、客観的情勢はわが党の出番でこれを党の主体的力量に結実させることこそ最大課題であると言い続けてきたのであるが、明らかにこの実践にひどく失敗しているという惨状でもあるということだ。ところがこの2中総で幹部たちが出した今後の選挙対策は、自らにどんな反省を加えるでもなく、党の議席の従来と同じ値打ちをやせ細った党員たちの力であらためて世間に押し出すのだという。今までと変わらないものをなのである。人生各局面での諸困難を承知の上で自主的に加入してきた党員たちの心に届くことさえできなくなっている「内容」を訴えて、どうして世間を動かせると考えることができるのだろうか。不思議な幹部たちの不思議な認識、神経である。

 こういう場合、通常の組織の通常のやり方ならば、「自分たちが原案を作ってきた方針は構成員にどうも支持されず、失敗し続けている。総辞職するから、新しい幹部を選出して新鮮な頭脳で出直して欲しい」と自ら潔く申し出るか、周囲の力でそう申し出るようにさせられるかのどちらかであろう。社会通念ではそうなるはずのその時にこの組織は、ここまで指導を失敗してきた幹部が「構成員が動かないからだめなのだ。我々の言うことをもっと認識してもっと動け」とばかりに、従来の指導をさらに強めるのだと言う。もう何年こんな方針ばかりを続けてきたことだろう。はてそれでいてこう言われたほうの組織構成員代表者からは何の反論も起こらず、全会一致でこれが採択されたらしい。またまた実に従順でおとなしい人々ばかりが集まった、風変わりな組織ではないか。このような風変わりさ一つとっても、多様な世間との接点というものが難しくなるはずだということを通じて党の今後をもますます難しくしていくと、私には思われるのだが。

 こういう風変わりさ全体は一体どういうところから生まれてくるのであろうか。

②「科学的真理」が民主集中制下で解釈、実践されていくということ

 私たちが民主集中制を批判する場合、多数決を批判するわけでも、それで決まったことを皆で実行しようというそういう行き方を批判するわけでもない。民主集中制の、中央理論への異論を所属支部や機関の外部に出したら(その論で党内部や世間を工作しようとしていると拡大解釈されて)分派活動と目されてしまうという側面の元では、採決以前の民主的討論というものが不可能で、幹部独裁が生まれるということを言い続けてきたのである。まず、こういう命題自身を説明してみよう。

 日本共産党だけでなく世界の共産党一般が「科学的真理の党」だとされてきた。「科学的真理」の実体、表現は先人や党の文献だが、それらの過去の文献の中にそのつど起こってくるすべての社会的、政治的問題の理解、対処法があらかじめ明示されてあるわけはない。そこでそれらの問題の「科学的解釈」、党としてのその変更ということが避けて通れないものとなる。近年でも、暴力革命、労働者「独裁」、社会主義、前衛党、天皇制などなど、解釈変更を時には強行した重大問題はあげれば切りがない。これらを一体、誰が変更(その初めは異論の提起ということになる)するのか。形としては党大会であり、緊急時には中央委員会であろうが、それ以前にそもそも、あることの解釈変更という問題意識を誰がいつも持っていて、だれが全党に最初の原案提起を起こしたりできるのか。こういうことの全てにかかわって中央委員会議長、中央書記長などの幹部と、他党員との間にはものすごい格差があるのだ。当たり前のことだという前に、その内実を考えてみて欲しい。

 不破氏の権利はこうである。幹部会への問題提起の権利、幹部会の討論リードや党内機関等での講演や「解明」の権利、党出版物での意見表明や「解明」の権利、こういうこと全ての準備のために専従としての学習時間を最大限に保障されているということなどなど、これらのことを宮本顕治氏に次ぐナンバー2であった時代も含めると実に数十年にわたって保障されてきた「党最高の理論家」、「科学的真理の党最高の解釈能力者」と扱われているという大変な権力の持ち主なのである。もちろん彼といえどもしかるべき変更提起以外には、党への異論がどこかで述べられる立場ではないということにはなっているのだが。 しかも彼は個人ではなく、議長という一つの機関でもあるというわけだ。「科学的真理」と民主集中制をとった世界の共産党のほとんどが、これとそっくり同じ人物をもっていたということは偶然の一致であろうか。レーニン、スターリン、毛沢東、金日成なども党最高幹部であると同時に党の「科学的真理」の「最高解釈能力者」と扱われてきた。人柄や事実はほとんど知らないが、ホーチミン、カストロ、チャウシェスクなどなども同じ存在なのであろう。もちろんわが宮本顕治も。これらの人物はほぼ共通して頭さえ働いている限りにおいては晩年までこういう絶大な存在であり続けたが、そうできたわけは以上に述べたことにあるのではないかと、私は考えている。

 他方、ここに田口富久治氏に似た、一人の著名な私立大学政治学教授党員がいたと仮定しよう。ここでは特に田口氏のように民主集中制の分派禁止規定をなくせという理論の持ち主であったとすることにしよう。一体彼にはこの理論流布についてどんな党的権利があるのだろうか。彼がどれだけの学識者であるにしても、実にご自分の支部でこの理論を語る権利しかないのである。この理論を党中央に提出することはできるが何の処理もされず、回答がなくても通常のことだ。支部外の学生党員や院生党員にこれを語ってさえ、「分派工作」になるのである。この理論を学者の仕事としてどこかの学術出版物に展開しても、それが日本共産党もこの議論の対象になるという感じさえあれば(そんなことは容易に「証明」できるであろう)、党員としての彼は分派工作で査問の対象になるはずである。このように、この分派工作とは無限に拡大解釈、適用されるものだということが、過去の事例で実に数多く示されている。そしてもちろん、彼の理論が党内に伝えられることはないし、党内に同じ理論の持主がどれだけいるかということが彼に知らされるということもない。彼はまったく孤立感に囚われ、周囲からは少々敵視もされるしで、全く寂しい思いをしているだろう。彼が田口氏のようにその道の専門家であったなら、どんなに悔しい思いであろうか。これと同類の悔しさを原動力として、田口氏の学問的権威と粘りとを無視できなくなって例外的に実現したのがあの「前衛」誌公開論争だったのではないかと私は推察しているくらいだ。中央委員や常任幹部たちでも以上は全く同じことで、所定の組織、機関以外で異論を語ることはやはり全く許されてはいない。

 さてこういうわけで、ある党内重大問題についてかなり多くの異論者が存在する問題でも、その間の交流はできず、これらが一つの声にまとまるということはない。田口富久治氏はこのことを、民主集中制は、その異論の外部公表禁止規定、分派禁止規定によって党から異論というものをスクリーンアウトする機能を持っていると表現した。つまり、異論が「分割して統治」されることによって、論者の支部、所属機関以外の構成員たちの目に見えるということを全く消してしまった組織なのである。こうして、数十年にわたる「科学的真理の党最高の解釈能力者」はまた、民主集中制を防壁として強力な党内反論の攻撃にさらされるということがない存在ということにもなるのだ。党内での過去数十年の重大論争の全てに関わった彼からすれば、このように孤立した一人の党員を黙らせることは、彼のポストや権力や異論処理習熟なども加わって、赤子の手をひねるも同然だろう。その一人がたとえ常幹であろうと中央委員であろうと、その会議場にちょっと波紋が起こるという程度だと思う。大会代議員だとその波紋が大きすぎるから、そこで異論が出そうな場合にはさすが必死に防御する。東大全学支部がその複数の代議員に大会で宮本顕治氏解任決議案をあげさせることを決めたとき、必死にもみけしたのは有名な話だ。東京都委員会から動きを事前に察知して、代議員個人の党員権を剥奪し、別の代議員に差し替えるというというところにまで持っていったと聞いている。剥奪理由がまた、分派活動ということだったという記事を読んだこともある。(ここでお願い。この事件について当事者だれか自身の報告を聞けたら嬉しい。読者の中に当事者がいられたらぜひお願いしたい。この事件の当事者報告というだけで、この私の論文テーマ自身に関わって、かつこれよりも何倍もの価値があると考える) これではまるで、ローマ帝国かその皇帝かというような存在ではないか。ただし、「科学的社会主義」を民主集中制という組織制度で追い求めていくということを承認した人々の世界でのみ通用する皇帝、外から見ればつまり「裸の王様」でしかないのではあるが。外からは「裸の王様」だというこのことは党自身も認めている。「政権を握った暁にも、民主集中制を国民に押し付けるなどということは決してしない」、「これは我々だけの内部規律でしかない」などと必死に弁明している有様である。弁明すればするほど気味悪く思われるような規律を、戦時でもなく、「平和革命で行く」と不破が言えるような世の中になって、なぜ今なお死守しようとしているのだろうか。不思議な話であるが、これは原さんも連載論文の最後のほうで理論的矛盾点としてあげていることだ。

 さて次は、こういう皇帝いや法王のその権力というものを考えてみよう。法王庁内部のこと、特にトラブルに属するようなことが私たち下々にもれ出てくるのは、漏出を防げない「事件」や不注意な言動しかない。それも、民主集中制が作る過度の秘密主義によるのだから、以下の展開が状況証拠と常識的な論理とで行われるしかないということをお許し願いたい。民主集中制法王庁の内幕を推察して「科学的真理」という「美しい話」を中心に信じているかの善意の中央委員氏が多そうだから、逆にこういう推察をするウオッチャーが一人ぐらい現れても、許されたいということで。 

③「党最高の理論家」の権力とその周辺

 どんな団体にも以下のような構成要素はあるだろう。目的・理念、中長期計画、決定機関、執行機関(能力評価や賞罰などを含む人事体制としての側面を持つ)、財政などのことだ。さて、こういう構成要素に関して、先に見てきたような「科学的真理の党における最高の理論家」の数十年にわたる存在はどんな影響を及ぼすであろうか。

 中長期計画は彼の影響が色濃く、彼の発想の範囲から大きくははみ出さないものになるだろう。そして、その実践における彼を中心とした長年の反省などから、目的・理念の一部も彼の発想、発意、発議を中心として変えられていくことになるだろう。組織・人事はと見れば、中央機関、都道府県委員長、同書記長などの重要メンバーには「そういう目的・理念、中長期計画の発想のタイプの人々」が評価され、抜擢されていくことにもなるだろう。現に僕は党の幹部たちから数々のこんな声を聞いたことがある。「方針が違う人が幹部になるのはちょっとまずいわなー」と。「異論は留保できる」と表向きは言っていても、実際の人事ではこう処理されているのである。さらにそういうメンバーはまた、目的理念変更や新計画策定に関わって、「彼頼み」、「提案も彼の発想の範囲内」となりやすいのではないか。平目、支持待ちばかりで、よくて能吏である。レーニンが「実務に熱中するのではなく、理論・政策ができる人間がもっと必要だ」とよく書いていたようだが、「偉すぎる理論家」と民主集中制とのもとでは、レーニンといえどもそういう人物を育てられなかったということでもあろうか。こうして、「文献読み」をするのはもちろん不破ばかりであろうが、基本的な理念や戦略を常時考えているのも彼だけではないのだろうか。

 こうしてつまり方針も組織も全体として彼色に一面的になっていくということである。ということであるから、現下の党の惨めな敗退全体について彼の責任、罪こそ絶大であると言わなければならない。

 こういうこと一切は逆にはて、法王自身をさらにまたどんな人間に育てていくのであろう。その人格の誠実さなどにもよるが、必死に努力をしても自らが中心になって永年作ってきた理念、目的、計画が長年成果を上げないどころではなく絶好機に当たって数十年なかったような敗北の打撃をこうむり直したようなときには、こういう立場の人物はどのように考え、どのように行動し、どのようにして自身を、そのたった一度の大切な生涯を自己了解できるのだろう。以下は一つの物語としてお読みいただきたい。

 私が考えるには、法王自身も取り巻きもよくてマンネリ、悪ければそれを通り越して予想以上に腐敗しているのだと思う。世間の腐敗とは多少意味合いが違うかも知れないが。こういう投稿を私が構想し、書き始めていたまさにそのときに、9日からの原仙作さん「レーニンが無知なのか、不破哲三が無恥なのか?──『議会の多数を得ての革命』について」(全4回)という投稿があった。レーニンが先人の平和革命論議を知らなかったから暴力革命以外は考えなかったと不破は同書で結論したが、不破が問題にしたレーニンの「国家と革命」自身に状況によっては平和革命をとることもありうるという記述があり、「エルフルト綱領草案批判」などにあるエンゲルスの二つの革命論述をレーニンも読んでいたなどなどと、原さんは証拠文章を掲載して反論された。そして、「学問的良心のかけらもない」、「破綻承知の確信犯」なのだが、これは「学問に対する政治目的の優先」から来ている、とまで断定された。そして私は、さもありなんとうなづくばかりだった。党がこれだけ困難なときの選挙の最中に(招待なのだからと)中国へ行く神経。あげくに、数十年ぶりの敗北結果の総括講演として、ご自分の責任は不問とし党員にお説教を垂れる神経。こういう人物がまた、旧社会党票が一時回ってきただけの98年の勝利に際しては、この勝利には国民のかってない支持の厚みを感ずる(これからもこの勝利は続くだろうということを含意しているはずだ!)などと語っていたのである。これら全てこのさざ波投稿で批判されたことばかりだ。こうして私たちはこの法王をば「裸の王様」とだけ見るのではなく、文献読みとしても情勢読みとしても「裸という自覚もご本人の頭脳にチラツキ始めた王様」と理解したほうが良いのかも知れない。そういう法王ならば、自分に対する周囲の言動には極めてナーバスになってもいよう。これは初めのうちは無意識のうちにでも、周囲にお追従を要求しているに等しい態度となって現れ出るのではないだろうか。

 では、その周囲はどうなのだろう。みんなが「すばらしくお似合いで!」か?、一人ぐらいは「王様は裸だ」と声を上げる「子ども」はいるのだろうか? 原さんは、問題にした不破の最新著作「議会の多数を得ての革命」への幹部連の推薦文行列を、提灯持ちと形容された。ただの提灯持ちか、本心ではないのか。裸と見抜いているのか、美装と実際に理解しているのではないか。私は、この皇帝の実際を知っている少なくとも普通の世知ぐらいには通じている人ならばもう大なり小なりフリをした提灯持ちであり、正直な子どもの目に見える通りに振舞いうる人はほとんどいないのではないかと推察している。専従や議員は、このリストラの世の中、生活もあることだろうし。(私は議員としての数々の困難を己に納得させるのに、「党の議員というよりも、まず私ら家族の生活の道と考えることにしました」と明言してくれた地方議員を数名知っている。そして、こういう議員のほうがよほど党に貢献しているのだろうとも推察している。対の議員人種とは、これがどんどん少なくなってきたと聞いたのだが「演説だけ得意なようで、周囲に信頼されていないことを知らない人」なのだそうだ。) さらにまた、拡大解釈されがちな分派活動容疑者への宮本顕治以来の仮借ない流儀も既に皆が先刻ご承知だろうし。側近の一人がセクハラを訴えられ、その内容自身も一片の弁解すらも公表されなかったという事件は、なにかこういう人々の実態、精神を象徴しているような気がする。少し前にも、もっと古参のいわば法王の先輩だか同僚だかが同じような不祥事を起こしたこともあったなー。あの人の生活は今はどうなっているのだろうか、年金はどれぐらいあるのかなー、彼もたった一度の人生を今はどう総括しているのだろうなどと、そんなこともここで私の頭に浮かんで来る。

3 おわりに──不破哲三氏は党幹部を辞任すべきだ

 不破哲三氏は党幹部を辞任すべきだと思う。それが今、彼が党に対してできる唯一の、しかしこの上なく大きな貢献なのだと思う。以上のような欠陥の帰結として、党が重大すぎる間違いを犯したとはっきりしてしまったのに、その誤りを現在まで清算してもいないことが多すぎることでもあるし。以下に改めて二つの例をあげてみる。多分、彼が辞めなければこれらの清算はできないのだろう。いや逆に今や、彼自身が己の権力を守るのが本音で、そのためにあれこれお得意の理屈をつけてこれらの清算を党にさせないでいという可能性の方が高い。そして、近い周囲もそういう彼を恐れてか、「おそれながら」と言えない人々ばかりなのだろう。それぞれそうとしか考えられない致命的な間違いだからだ。この清算をしないで放置しては、党の将来がけっして見えてこないような。

 一方は私が以前の投稿ですでに述べたことだ。80年代の中ごろ日本共産党が「『社会主義完全変質論』は誤りである」と未来に向かって言い続けていたことがあったが、ここでの「科学的社会主義」とはどんなものであったのかという問題だ。84年出版、日本共産党中央委員会出版局発行、「基本課程」(全党の教科書ということ)から、抜粋する。

 「もう一つ(の社会主義国を見るあやまった見かた)は、(中略) 『社会主義完全変質論』で、社会主義国のあやまりの重大さにおどろいて、その国はもう社会主義ではなくなったとか、もう社会主義国は歴史のうえで積極的役割をはたさなくなったなどという見かたです(第16回党大会中央委員会報告)。」(「基本課程」312ページ)

 党はこういう教育を全党員対象に行った。この時の社会主義の定義はどういうものだったのか。そして、現在は、「あれらは社会主義とはえんもゆかりもない」といっている。その定義が変わったのか。定義は変わらないけれど自分らが対象を見る目が間違っていたというのか。「科学的社会主義」を標榜する党の、党員全員の精神を巻き込んだこんな重大事件に、誰かが説明して、誰かが責任を取ったというような話は全く聞いていない。

 また、このような「科学的社会主義」の定義から日本共産党は、「ソ連の核兵器は防衛的なものだ」、「いかなる国の核実験にも反対ということには賛成できない」と強弁し通して、原水爆禁止世界大会を分裂させたままである。そしてその謝罪はもちろん、このことに言及することさえ避け続けているように見える。この問題も、きちんと清算しなければ党が他に共同行動を呼びかける資格さえないというような重大な誤りではないか。こうしてこれも過去の問題ではなく、現在なお続いている現幹部たちの責任に属する問題になっているはずだ。今後の党の活路は宣伝、知の押し出しではなく、いくつかの部門の共同行動自身にとことん誠実さを示していくことであると考えている私にとっては、これまた党の死命を決するような試金石の課題だと考えられるのだがどうであろうか。

 長い私の投稿の中でも、過去最長となってしまいました。ここまで読んでくださった方には、心からお礼申し上げます。