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「組織論・運動論」討論欄

民主集中制を無くさなければならない理由

2004/09/28 さつき 40代

 人文学徒さん、このたびの長文の投稿、ありがとうございました。
 「科学的真理」の党を標榜することは、無謬の党を標榜することであり、「民主集 中制」という組織原則とのいわば相乗効果により、現在の党の惨状が立ち現れている ことを分かりやすくまとめていただけたと思います。一般投稿欄ではロム3さんより、 9/19付「民主集中制は悪くない」という趣旨の私へ向けた投稿がありましたので、返 信を兼ねて、私なりの視点から「民主集中制」の弊害を論じてみたいと思います。

1.日本共産党の民主集中制はいかに定められているか。

 ロム3さんは、「民主集中制」の規定そのものが悪いのではなく、「不破さんを神 様にまつりあげてきたこと」や「内部の問題を外部に出してはいけないという規約の 方が」悪いのだと書かれていますが、既に人文学徒さんが書かれていますように、こ れらのことは「日本共産党の民主集中制」と深くかかわっています。しかし、ロム3 さんの視点が現に存在する意味は重要と思い、先ず、そこにある認識の差を整理して おきます。

 「日本共産党の民主集中制」は、日本共産党規約の中で組織の基本原則として第三 条によって規定されたものです。以下の議論に関連する条項を引用しておきます。

 第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中 制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
 (一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
 (二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にた いする公党としての責任である。
 (三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
 (四) 党内に派閥・分派はつくらない。
 (五) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 第五条 党員の権利と義務は、つぎのとおりである。
 (一)~(三)省略
 (四)党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる。
 (五) 党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見 を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見 を、勝手に発表することはしない。
 (六) 党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。 また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもと めることができる。
 (七) 党大会、中央委員会の決定をすみやかに読了し、党の綱領路線と科学的社 会主義の理論の学習につとめる。
 (八) 党の内部問題は、党内で解決する。
 (九) 党歴や部署のいかんにかかわらず、党の規約をまもる。
 (十) 自分にたいして処分の決定がなされる場合には、その会議に出席し、意見 をのべることができる。

 第十五条 党機関が決定をおこなうときは、党組織と党員の意見をよくきき、その 経験を集約、研究する。出された意見や提起されている問題、党員からの訴えなどは、 すみやかに処理する。党員と党組織は、党の政策・方針について党内で討論し、意見 を党機関に反映する。

 第十六条 党組織には、上級の党機関の決定を実行する責任がある。その決定が実 情にあわないと認めた場合には、上級の機関にたいして、決定の変更をもとめること ができる。上級の機関がさらにその決定の実行をもとめたときには、意見を保留して、 その実行にあたる。

 第十七条 全党の行動の統一をはかるために、国際的・全国的な性質の問題につい ては、個々の党組織と党員は、党の全国方針に反する意見を、勝手に発表することを しない。  地方的な性質の問題については、その地方の実情に応じて、都道府県機関と地区機 関で自治的に処理する。

 第二十五条 中央委員会は、訴願委員を任命する。訴願委員会は、党機関の指導そ の他党活動にかかわる具体的措置にたいする党内外の人からの訴え、要望などのすみ やかな解決を促進する。

 付則 第五十六条 中央委員会は、この規約に決められていない問題については、 規約の精神にもとづいて、処理することができる。

 実際には第三条だけを読んでも民主集中制の中身はほとんどわかりません。この第 三条は民主集中制一般の基本原則を抽象的に述べただけのもので、「日本共産党の民 主集中制」としての具体的な運用指針は規約の他の部分にちりばめられた形で規定さ れています。例えば、党員の権利と義務を定めた第五条、各級組織の任務を定めた第 4~7章、規律について定めた第11章の各条項など、「日本共産党の民主集中制」は 規約の全体を通して具体的な姿をあらわしているわけです。ロム3さんが問題視され る「内部の問題を外部に出してはいけないという規約」は第五条です。

 民主集中制の問題については、かって「綱領改定討論欄」などでも議論があり、私 も少しばかり参加したことがあります。その中のばるさんさんの「悪名高い『民主集 中制』について」(2003/7/8)や、ぽっぺんさんの「未来派さん「民主集中制の弊害」 について」(2003/7/28)などが、民主集中制を擁護する代表的な見解と言ってよい でしょう。お二人の主張は、これまでも党の公式見解としてくり返されてきたことば かりですが、その特徴は、民主集中制の基本原則を示した規約第三条の文面だけをと り上げて、何も問題ないと結論づける点にあります。ロム3さんも同様の視点からの 意見だと感じました。この点で人文学徒さんは「多数決とか「決まったら皆で実行」 とかいうことなどはだれも批判しないと思います」(一般討論欄9/19)と書かれ、問 題は他にあることを示されました。

 第三条の字面だけを問題にする限り、おそらく(四)項の派閥・分派禁止規定を除 けば、ほとんど異論はないものと思います。この派閥・分派禁止規定についても、派 閥・分派の定義があいまいなので、善意に解釈して納得している党員が多いというの が実状ではないでしょうか。何をもって派閥・分派と定義するのかは規約のどこにも 書かれていません。実はこのことが最も重要なポイントの一つなのですが、この点は 後でもう一度ふれます。ここではとりあえず、党規約が、「日本共産党の民主集中制」 を知りたければ第三条を読めば良いと誤解を受けるような構成になっているけれども、 そうではないということを確認しておきましょう。

2.民主集中制の弊害

 さて、私が特に重要だと感じるもう一点は、各級機関の役割についての序列規定 (第十七条および第4~7章)です。規約の全体を通して丁寧に読めばわかりますが、 各級の党組織が会議の議題として採り上げ、討論し、独自の結論を導きだし、実践の 場に移して良い事柄は、支部であれば支部が管轄する経営や居住、学園に固有の問題 だけ、地区であればその管轄地域内に限られた問題だけ、都道府県委員会は各都道府 県独自の問題だけであると、事実上規定されています。その他の任務は、ひたすら党 中央の方針を学習し党勢拡大をするだけという規定になっています。つまり、代議員 以外の末端党員が議論できる場は、班や支部会などに限られるのですが、末端組織に 限らず、中間機関においても、例えばイラクや北朝鮮の問題のような「国際的・全国 的な性質の問題」を議題として採り上げることが事実上禁止されています。まあ、バ レなければかまわないのですが、その結論が中央の結論と異なる場合には、どこにも 反映させることができず(第十七条)、無意味です。

 規約をいくら読んでもそんなことは書かれていない、少なくともどこにも「禁止」 とは書かれていないといぶかしく思われる方がいるかもしれないので、後で、具体的 に起こった事件に則して、規約運用の実態を示しましょう。とにかく、規約の全ての 条項を整合的に捉えるためには、「国際的・全国的な性質の問題」は中央委員会の専 有事項であって、末端党員の任務は上級機関で決められたことを「学習」し、宣伝し、 党勢拡大に努めることだけであると規定されていると、そう読まなければだめなので す。その結果、大多数の共産党員は、「国際的・全国的な性質の問題」が新たな局面 へと情勢が転化した時、上級の指示があるまで何も対処できない、発言できないとい うことになります。それだけならマシなのですが、末端組織で議論することさへでき ないということは深刻です。

 第三条に、「党の意思決定は、民主的な議論をつくし」と書かれていることが、い かに空文句であるか、言い換えれば、いかに「民主」がなく「集中」ばかりであるこ とか。「みんなで議論して決めたことはみんなで実行する」などと言いますが、集中 の具体的なありようが、多段階の差別的階層構造と派閥・分派禁止の両輪よりなって いるために、そもそもみんなで議論などやってはいけない仕組みになっているわけで す。日本の左翼の中の実に30万人を超える貴重な英知・頭脳を無駄に浪費する仕組み とも言えましょう。党員でもない私が規約について差し出がましくあれこれ書くのは、 この点を大変残念に思うからでもあります。

 極めつけは、付則の第五十六条です。先に、派閥・分派の定義が曖昧であると書き ましたが、曖昧な問題はその時々の中央委員会が勝手に判断して良いという規定です。 後で述べるように、上級機関が扱うべき問題を、異なる支部に属する党員が勝手に集 まって議論することは分派活動とみなされ、処分の対象となります。実際にさざ波投 稿者が摘発され、処分が始まっているらしいことは前回書いた通りです。もっとも、 この規定ができる以前から、そのように運用されてきた「実績」があり、そのせいで あっと驚く数々の「査問・粛正事件」が起こされました。そのほとんど全てが、組織 原則である民主集中制の名の下に整備された各項規律に違反したことが理由とされて います。

 次に、それらの事件の中でも特に象徴的と思われる85年の東大院生支部による「宮 本議長解任決議案事件=伊里一智氏除名事件」(以下、「伊里一智事件」と略称)を 参考に、「日本共産党の民主集中制」の運用の実体に則して、今後の党改革推進のモ デルを示し、懸念されるいくつかの事項を整理したいと思います。

3.民主集中制の運用の実態と中央への異議申し立ての方法

 「伊里一智事件」については人文学徒さんもその重要性について注意を促しておら れますが、党の民主集中制の本質をみる思いがします。詳細は、伊里一智著「気分は コミュニスト」日中出版(86年)で知ることができます。この本は、「日本共産党の 民主集中制」の運用の実態はどうなっているのか、党の民主的組織原則は本来どうあ らねばならないかを学ぶ、実に優れた教科書であると思います。今でもアマゾンコム などを介して入手可能ですので、まだ読まれていない方には一読を勧めます。私は、 この本を出版直後に読み、伊里一智氏の次の言葉に共感と尊敬の念をいだきました。

 まず、僕がこういうことを考えたのも、一つには田口教授にたいするちょっとした 批判がありました。田口教授の場合は、結局学者からの批判の枠内にとどまっている と思ったわけです。
 田口教授が党員であれば党の組織を通じてどうしてやらないのか、党内で改革のた めになぜ努力しないのかという批判をどうしても避けられませんが、僕の場合は、社 会的にも庶民の一党員にしかすぎないわけです。その一党員としてどれだけのことが できるのだろうかということを、現実に明らかにしてみたいというのが素朴なきっか けでした。  そこで、党の現在の規約のなかで、最大限どこまでやれるのかを、現実に確認しな がらすすめてゆきたい - そういうことを確認しながら、すべて、運動の最初から 都委員会とか中央委員会にたいしても公然と運動をすすめてゆこう、規約にもとづい てどこまでゆけるのかやってみようということで始めたわけです。(p.88)

 彼らは、今日の不破指導部への不満と同質の不満を、当時の党中央、とりわけ宮本 議長に対して抱いていたわけですが、そうした中央に対する異議申し立てを党大会の 場で、広く全党的な議論にしようと願った。当時の東大院生支部の決定として、あく まで規約に則り、選挙で選ばれた代議員を通して、上級機関とも相談しながら、筋を 通して「宮本議長の勇退勧告」を党大会の場に提出しようとしたことが、結果的に伊 里一智氏の除名という事態に発展しました。これは、党改革をめざす善意の党員の作 戦上の誤り、つまり、末端党員が規約を精読して思い描いた民主集中制と、党中央が 考える民主集中制の中身とのギャップを測り損ねたためにおこったというような単純 な事件ではなく、党中央の深刻な歪みをえぐるものでした。

 伊里一智事件の前には日市連問題や原水協問題、民主文学四月号問題などが起きて いた訳で、それらの「事件」は彼らの作戦にも教訓として反映されていた筈です。そ れでも彼らは失敗した。それは、一言で言えば、先にもふれた付則第五十六条が威力 を発揮したということでしょう。彼らの「失敗」の後には、有田芳生さんの「日本共 産党への手紙」編集・出版に端を発する除籍事件、熱心な支持者だった作家森村誠一 さんが赤旗記者2名の処分に際し、党と絶交した事件などが起きています。私たちは これらの全ての事件を参考にすべきです。

 さて、現在の規約の下で、末端党員が中央に異議申し立てをして、何らかの成果を 生む可能性があるでしょうか。先に引用した第三条(五)、第五条(四)、同(六)、 第十五条、第十六条、第二十五条などを読めば、道は洋々と開かれていると錯覚しま す。実際、これまで、上記条項を根拠に個人的に中央への異議申し立てを実行した党 員は少なからずいた筈です。しかし、そのほとんどは表面化することなく握りつぶさ れてきました。何故なら、逆説的ですが、民主集中制の下では少数の異論は保留した ままにして良いことになっているからです。したがって、異議申し立てを各人がバラ バラに行っても、例えその数が膨大であっても、それだけではほとんど効果はないと 考えた方がよいでしょう。

 個々バラバラに存在している末端の意見を反映させる形で中央の方針を変えるには、 その異議申し立てを、支部、地区、都道府県と遡上する各級党会議での代議員権の獲 得を通して、最終的に全党大会の場に議案として提起し、採択を受け、採決に際して 相対多数を獲得する以外にありません。このようにして、東大院生支部は、ことをな す唯一の道を、上級機関とも相談しながら慎重に歩んだのでした。

 それが何故つぶされ、優れた理想主義的共産主義者である伊里一智氏の除名という 最悪の結果に終わってしまったのか。具体的には、班-支部-全学支部と民主的な討 論を積み重ね、代議員選出を通じて党内世論を党大会に反映させようとする中で、代 議員選挙にあたって、彼らの準備した決議案を複数の支部員の連名で提案したことが 分派活動であると見なされ、当選した都党会議代議員の資格を剥奪されたことに端を 発しています。彼らは一連のとりくみの中で、規約違反になることを避けるために中 央委員会と一回、都委員会と二回計三回協議を重ね、その助言を受けています。中央 の突然の豹変は、まさか代議員に選ばれるとは思っていなかった「造反一派」が都党 会議の代議員として当選してしまった時点で始まったようです。

 彼らは、各党員が自らの意見を党大会に反映させようとする場合にできること、で きないことの一切について、中央委員の一人から説明を受けています。その内容こそ が、「日本共産党の民主集中制」の運用の実体を物語っています。詳細は前出の本を 読んでいただくとして、重要なポイントを整理しておくと次のようになります。

1)下級組織が国際的・全国的な問題に関して決議をあげることは分派活動に当たり、 やってはならない。
2)党会議の意見は代議員の選出を通じてのみ上級党会議に反映される。
3)議案提出の主体は、代議員個人であって、代議員有志など複数であってはならな い。また、各級党組織が提案の主体となってはならない。ただし、中央委員会のみは 党組織として提案できる。
4)代議員による提案は、会場内で初めて行われるのであって、党会議の事前に文書 を配布することはできない、ただし、中央委員会提出の議案は、事前にも会場内でも 自由に配布できる。
5)事前に他の組織の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、会場での正 式の発言以外の手段で行ってはならない。ただし、上級による指導の一環として行わ れる場合はこの限りではない。
6)夫婦の党員であっても、支部が異なれば、大会議案の討議を行ってはならない。 また、支部が同じでも、正式の支部会議の場以外では議案の討議を行ってはならない。 ただし、中央委員会の議案に賛成する立場で学習援助する場合はこの限りではない。

 中央へのあらゆる異議申し立ては、現在の民主集中制の下では大変な困難を伴うも のであることがわかります。諸悪の根元は民主集中制にあると言っても過言ではない でしょう。従って、党中央への最大の異議申し立ては、「不破議長の解任」を求める ことではなく、民主集中制の改廃ということになるでしょう。それが実現しない限り、 別の問題が生じて異議申し立てをしようとするときに、同じ絶望的な困難・労苦を繰 り返さなければならないことになります。

 規約の民主集中制を改めるべく党大会の場で提起することを目指した正面からの (正攻法の)とりくみは、以下のようにまとめられるでしょうか。

1)支部総会での議論を通して民主集中制を改めることを支部の多数意見とし、地区 党会議の代議員を選ぶ。他支部の党員と意見交換をすることは、例え夫婦であっても 分派活動と見なされるので、準備段階を含め、以降も一切やってはいけない。また、 党外の者に口外することも、規約第五条の五項、同七項違反とみなされ、処分の対象 案件となる。特に代議員にとってはこれらが最も重要なポイントで、酒の席でちょっ と話題にすることや、メールでのやりとりも御法度。

2)平行して、党大会の前の赤旗討論版へ積極的に意見を寄せる。支部を越えた多数 派工作の場はこれ以外になく、決して他のメディアに意見を寄せてはいけない。その 際には、党員の良識を信じて、他の支部でもこの問題で積極的な討論をお願いする内 容にとどめる。民主集中制を正面切って攻撃する内容は掲載されない可能性大。

3)他の支部でも偶然にも同じ意見の同志が代議員として多数を占めていることを信 じて地区党会議に臨み、都道府県党会議の代議員権獲得をめざす。

4)運良く都道府県党会議の代議員権を獲得できたら、ここでも、偶然にも、他の地 区でも同じ意見を持つ同志が代議員となって多数を占めていることを信じ、党大会の 代議員権獲得を目指す。

5)党大会の場で中央委員会が準備する議案に「民主集中制の改廃」が含まれること は考えられないので、代議員の個人的資格として議案を提案する。ここで議案として 採用されなくても、伊里一智氏がおこなったような、不規則なビラまきなどは御法度。 これをやると、運動そのものが潰されてしまう。次回の党大会を目指してねばり強く 運動を積み上げるしかない。

と、まあ、こんな具合でしょうか。これで本当に民主集中制を改めることができるで しょうか。都党会議の代議員権が、分派活動を理由に奪われた後でおこなわれた伊里 一智氏の無謀とも言える党大会会場前でのビラまきは、「正攻法」に絶望した末の行 動であったとしても、一方で党員の良識を信じればこその行為でもあったのでしょう。 彼の犠牲を無駄にしないことが全ての良識ある党員の責務ではないでしょうか。

4.まとめ

 先にも触れた数々の査問事件は、日本共産党を一般市民につなぎ止めている最も良 質な党員を「粛正」するという、日本の民主的革命の事業に敵対する行為に他ならな いと思います。その全ては組織原則である民主集中制を具体化すべく「整備」された 規約の各条項への違反が根拠とされました。これらの事件と同期するように党勢の深 刻な後退がおきてきたと認識しています。日本共産党は、まるで何かの謀略にでもか かったかのように過ちを繰り返していますが、国民の中にある共産党アレルギーの原 因も、もとを正せば民主集中制に由来していると言えるでしょう。

 おそらく、党中央の中でさへ疑心暗鬼が広がり、誰一人互いに異論を口にできない 膠着した雰囲気になっていることが伺い知れます。不破議長の神格化は、その結果の 一つの現れに過ぎません。これらのことは、若いマルクスが説いた自己疎外が、風通 しの悪い組織に典型的に顕れたものではないかと考えます。そうなら、日本共産党に とっての民主集中制の廃止は、組織の自己矛盾が行き着いた先の革命的な大転換を意 味するでしょう。その時点で、党は蘇生できる余力を残しているか気がかりです。

 そう考えると、今や多数派である「未結集党員」こそが、除名されて元々と腹をく くって立ち上がる他ないのではないか。分派活動は即除名の覚悟が必要ですから、と りあえずは一人一人が自発的に党中央へメールを送るなど、簡単な行動から初めましょ う。その事は、規約にも認められた末端党員の重要な権利です。願わくば、同時多発 的な各支部の取り組みが積み上げられて、党大会に結集することを希望とし、私達党 外の者も、さざ波において「援護射撃」をするくらいのことは必要だと思います。

 民主集中制の問題は私の離党とも関係して期することがあり、ついつい長くなって しまいました。