続きを送るのが遅くなりました。10月3日(日)未明に送信したのですが、何ら かの不具合によって掲示が遅れているので、再送しました。
9/25付私の投稿によって、さつきさんと私の間にかなりな思考過程の 違いがあることがはっきりしてきたと思います。
その淵源は、さつきさんが私とは異なり、
(1) 「拉致の問題を人道問題として捉えるなら、その解決の方策もまた人道的な
ものでなければならない」という規準を立てて、これに従って北朝鮮政権による
日本人拉致問題の「人道的と言える」解決法を探究されること、
(2) また、より一般的に「『人道=人の道』を説く者は、少なくともそれに値す る『人』でなければならない」という規準を立てて、日本人拉致問題の解決を 「第2次大戦・植民地支配の清算」と「切り離して」解決しようとする人物は、 この規準に照らして「人の道に反する」疑いがあると評価されていること、 にあると思われます。
そして、さつきさんは、上記(1)の規準を立てられる理由として、
(3) 「国際法がまったく機能していない状況下では、人道に基づいて解決法を探
る以外にない」ことを指摘された上で、
その例証として、4月の高遠さんらに対する「イラク日本人人質事件」の場合 を挙げ、
これは、ファルージャ等のイラク民衆にとっては、1)正当な理由もなく家族
や友人達を残虐な殺され方をして、2)社会が手をさしのべ心を寄せ癒してくれ
る情況になく、3)なおその犯人達を誰も罰しようとしないがために(犯人達が)
世にのさばっている、という基準で判断すると「国際法が現に全く機能していな
い情況」で起きているが、
このような「国際法が現に全く機能していない情況下」において「正気を無く
している」「無差別テロ」の相手方に対しては、まずその「正気を呼び戻させる」
ことこそが行われるべきであり、その行動が手段として誤っていると非難するこ
とも、国際法実現のための闘いの妨げになると説くことも、無意味である、
そして現に、この事件でテロリストらに「正気を呼び戻させた」のは、日本の
国会前に詰めかけて「(被害者=人質を含めて-私の註)私たちは、君たちの味
方だよ」と真剣に訴えた日本の民衆の声であり、これは「私たちにとって大変貴
重な経験であった」、
と総括した上で、「国際法によらない人道に基づく解決」として位置付けられて
いるわけです。
(4) また、さつきさんは上記(2)の規準に照らして、日本人拉致問題の解決を第 2次大戦・植民地支配の清算と「切り離して」解決しようとすることが、「人の 道」に反する疑いがあると評価する理由として、次のように言われています。
その行為が、比べものにならないほど残虐で非人道的な行為によって誘発され ているという情況認識に立つなら、個々の行為だけを取り出して非人道的である と非難することが、必ずしも「人道」の見地に立つとは言えない場合がある > 拉致とは比べものにならないくらい非人道的で凶暴な日本の過去の侵略とその 後の米国と一体化した敵対政策が、金日成・金正日体制の凶暴化と無関係である 筈がありません。そしてその凶暴化は、正気を無くして敵対関係にない筈の第三 国にまで矛先が向けられる程に達しました。無関係でないという認識に立つ以上、 「人道的な解決の方策」を考えようとする者にとっては、どうしても両者を分け て考えることはできない。
そこで以下では、この(1)から(4)の諸点について、順不同になりますが簡単な 検討をする形で、私のお答えとします。
4. 「拉致問題が人道問題ならば『人道的解決法』で解決すべき」という点につ いて
(1) まず、9/25付私の投稿(以下「9/25付」と略します)で述べたように、私は、
標記さつきさんの一般的テーゼに対して、賛否を明らかにすることはできません。
前提である「人道問題」の理解から違っているからです。
ただ、解決規準として主張されている「人道」について言えば、「何が人道的
か」は、人々の価値観によって異なってくるものであり、だからこそ、異なる価
値観や宗教・政治体制が併存する現代国際社会の中で、一般に認められた共通の
国際問題解決規準として、合意規範性を特質とする(これは国際法の特質に対す
る立ち入った議論ですが…)国際法が規準とならねばならないと考えております。
もっとも、最近では、国際法の中にも合意を無効とする「強行規範(jus
cogens)」があるとか、人道に基礎を置く「国際人道法」と呼ばれる国際法領域
も出ていますが、これらが「法」として主張されていることには変りはなく、あ
くまで「人道」そのものの主張ではありません。
ところで、9/25付でもお解りになったと思いますが、本田さんへの投稿で私が、 北朝鮮に対する経済的制裁に反対したのも、さつきさんが言われる「拉致問題の 『人道的解決法』」として、経済制裁が不適当だという趣旨ではないのです。
経済的制裁に私が反対する理由を簡単に再言すれば、
第1に、経済制裁は、湾岸戦争後のイラクに対する国連主導の経済制裁の経験
を見ても、政権を弱体化させて民主的に交代させるどころか、民衆を苦しめ
るだけの、本来の目的外の結果に終る可能性が高いという、国際社会・国際政治
の最近13年にわたる経験の分析を前提として、北朝鮮現政権についても、極
度の経済的困難の中で金正男氏が東京ディズニーランド見物のため訪日した事実
や、現に北朝鮮の民衆が、極度の人権抑圧体制下で飢餓に苦しめられ続けている
事実、日本からの禁輸・送金停止は、これを頼りとしているであろう北朝鮮在住
親族等に厳しい打撃を与えることを併せ考えれば、イラクのフセイン政権に対す
る経済制裁と同じ結果に終る可能性が高く、手段として無効であると同時に、
堪え難い「劇薬的副作用」を伴うこと、
第2に、国連憲章第39条に照らすと、経済制裁を発動する要件が充足されてい るか疑わしく、また、単独又は国際協力に基づく任意の「共同的経済制裁」は、 実効性や実現可能性が乏しいこと、
第3に、制裁が「経済的」なものに止まらず「軍事的」なものへと発展する可 能性を阻止する内在的モメントを、経済制裁論が持っていないため、容易に軍事 的制裁へと誘導されていく危険があること、
そして、これらのデメリットを考えた上で、金正日政権が実際は国際的孤立を 恐れていることを考え併せると、北朝鮮の民衆に対して人道的援助を継続するこ とによって「連帯のメッセージを送り続け」、「人民自身の力による金正日政権 の打倒若しくは政策の根本的変更(その何れかは彼ら自身が決めること)を実現 する受け皿形成を促す」ことこそ、迂遠に見えて実は有効な方法と思われる、と いうことです。
このような、方法としての有効性と副作用に着目するからこそ、さつきさんへ
の 7/9付投稿でも「拉致問題でなら許されない経済制裁が、核兵器開発問題の解
決手段としてなら許されうるのか」と述べたのです。
もちろん、このようにいう私の中に、ただでさえ飢餓線をさ迷っている北朝鮮
人民への連帯・共感の気持ちがあったことは事実ですが、そこからストレー
トに「そんなことをしたらかわいそうだ」という形で結論が導かれたわけで
はありません。
(2) 次に、この間のさつきさんと私の議論がより錯綜してしまった原因として、
私が安易に「イラク日本人人質事件の論理を、北朝鮮による拉致問題に類推する」
やり方に乗っかってしまったことがあると思い、反省しています。さつきさんが、
このような方法論の背景に、「人道問題の解決は人道的方法でなされなければな
らない」という一般論を前提されていたことは、今回9/10付の投稿でよく解りま
した。
そうすると、私はこのような一般論とはまったく異なる観点から議論をしてい
る以上、「類推」の手法だけを使って何か結論を出すことは、意味がないことで
す。ですから、せっかく「第1・第2のテーゼには賛成だが、第3のテーゼには
直ちに同意できない」という形で、さつきさんの回答をいただいていますが、私
のこの3つのテーゼ自体(全部)を撤回させて下さい。
ちなみに、この3つのテーゼを撤回する以上どうでもよいことですが、「イラ クの論理を北朝鮮にも類推する」というときに、何と何を対比させるかは、「ど ういう議論に即するか」ということに規定される事柄です。私が、「イラク日本 人人質の解放とイラクからの違法占領軍の全面撤退」を「北朝鮮の拉致被害者の 原状回復と第2次大戦・植民地支配の清算」と対比させた際、誤っていたのは 「自衛隊の撤退ではなく違法占領軍の全面撤退」を掲げた点ではなく、 「第2次大戦・植民地支配の清算」に限ってしまい「南北朝鮮の統一」としなか った点にあります。寄らば大樹の陰さんは、「拉致問題の解決は南北朝鮮の統一 まで実現しない」と主張し、日本のみでは如何ともし難い事象にまで、拉致問題 の解決を係らせていたからです。人質事件で「犯人が何を要求したか(金正日政 権が何を主張しているかに相当する)」ということは、類推にとって重要な事柄 ではありません。
5. 「国際法の機能停止」とイラク人質事件・拉致問題の「人道に基づく解決」
さつきさんの9/10投稿では、ご自身が「論理的に成り立たない」(これは、9/ 25付で述べた通り留保が付きますが)主張を「自然なこと」として行ってしまう 理由として、次のように述べられていました。
私自身が、1)正当な理由もなく家族や友人達を残虐な殺され方をして、2) 社会が手をさしのべ心を寄せ癒してくれる情況になく、3)なおその犯人達を誰 も罰しようとしないがために世にのさばっているとしたら、私自身が正気を無く した残虐なテロリストに豹変するであろうことを自覚しているからです。
その上で、
上記の1)~3)が同時に成立するのは、現にありうべき国際法が全く機能 していない状況にあることを意味するでしょう。
と評価されています。
ここでさつきさんが、「現にありうべき国際法が全く機能していない状況」と いっているのは、米英軍の侵略とその後の多国籍軍による占領支配という「テロ の前提状況」のことであって、テロ(註:この議論では、「人質を取って何 らかの行為を強要すること」に限定して用います)が実行されていることで はないでしょう。というのは、ここにいうテロ行為も立派な国際法違反行為であり、さつきさんの論理に従えば、これが実行され現に高遠さんらが拘束 されていること自体も、「現にありうべき国際法が全く機能していない状況」だ とも言えるからです。まず、状況認識としてこの点を確認しておくことは、これ からの議論の上で重要だと考えています。
このような、いわば「国際法違反行為に国際法違反行為を以て対抗する」状況
について、さつきさんは、「先行する国際法違反行為に対する国際法の機能停止
状況に直面して『正気を無くした』人たちがテロ行為を働いているまさにその時
に、彼らに対して『それは国際法を実現する闘いに妨げとなるからやめろ』とか
『君たちが選択した手段は間違っている』と批判しても無意味だ」と主張されて
いるわけです。
そして、「私たちは、被拘束者も含めて、君たちの味方だよ!」というメッセ
ージをテロリストらに届けることが、「まず彼らテロリストの『正気を呼び戻さ
せる』のにとって有効・不可欠だ」と、国会前に名もない多数の民衆が集結し海
外メディアに訴えた経験から主張されているわけです。
さらにさつきさんは、この主張になぞらえて、
その行為が、比べものにならないほど残虐で非人道的な行為によって誘発され ているという情況認識に立つなら、個々の行為だけを取り出して非人道的である と非難することが、必ずしも「人道」の見地に立つとは言えない場合がある
拉致とは比べものにならないくらい非人道的で凶暴な日本の過去の侵略とその 後の米国と一体化した敵対政策が、金日成・金正日体制の凶暴化と無関係である 筈がありません。そしてその凶暴化は、正気を無くして敵対関係にない筈の第三 国にまで矛先が向けられる程に達しました。
という評価の下で、「正気を無くした」金日成・金正日政権が「凶暴化」する 過程で起きた拉致問題の解決にも、まず以て、上記イラク日本人人質事件の解決 で有効性を発揮した「人道的方法」を用いるべきだと、主張されるに至っている わけです。
ここには、私もまだうまく整理が付かない複数の問題点が絡み合って含まれて いるように思うのですが、整理が付くまで待っていると時間切れになるおそれが あるので、とりあえず思い付く範囲で意見を述べさせて下さい。
(1) まず第一に、素朴な違和感を感じることですが、さつきさんがあのイラク人 質事件のテロリストが「正気を無くしている」と評価される一方で、「私たちは、 被拘束者も含めて、君たちの味方だよ!」というメッセージが、彼らに有効に届 き「心変わり」をもたらした、と評価されている点です。
違和感とは、仮にさつきさんが言われる通りならば、テロリストは何ら「正気
を無くして」などいなかったのではないか、ということです。
その点私は、国会前に集結した日本の民衆の声もさることながら、それよりも、
人質の家族自身が、汎アラブのテレビ放送(アル・ジャジーラ?)を通じて、被
拘束者がどのような者であるか、家族や日本の多くの民衆も、決して日本政府の
自衛隊派遣を支持しているわけではないことを訴えたことが、「犯人」に伝わり、
イラク聖職者協会による解放斡旋とその受入れを促進したと考えています。
現に、安田純平さんの『囚われのイラク』73頁でも、「『米軍と戦うのはいい
が、なぜ民間人三人を人質にしたのだ。なかでも女性は、イラクのこどもたちを
助けているのだ』と問いかけると『そのことは知っている』とCは言った」とい
う会話が「犯人」の1人となされていることからも、「犯人」らが、この人質家
族の訴えを見ていることは明らかです。別のところで「犯人」の1人は、高遠さ
んらについて、「まあ、民間人を傷つけることはしないだろう。今に解放される
よ」とも言っているのです(『囚われのイラク』47頁)。
また、高遠さんらに対する「犯人」が、要求ビデオで首に突きつけたナイフの
刃先が逆を向いていたことは、当時から指摘されていました。これに対して、
「犯人」らが、「日本の民衆が国会前に詰めかけて、人質の解放のために自衛隊
を撤収せよと訴えた」ということ自体を知っていたかどうかは、(そうあってほ
しいけれども)定かではありません。ましてや、当時、世界中に、「犯人」らに
伝わる規模のアメリカ非難の民衆運動が成長していたとは、言えないと思います。
さらに、高遠さんらに続いて拘束された安田さん自身も、何度かの尋問に対し
て「自分はイラク人民の悲惨な状況を伝えるためにここに来ているのに、これを
殺してしまったら、世界にこの現状を伝えられなくなるではないか」と、繰返し
訴えて、解放されているのです。
このような横の連繋を持ち、拘束中も人質とこのように会話ができる人たちが
「正気を無くしている」とはとても思えません。
ですから、さつきさんが言われるような「正気を無くしたテロリストに、まず
正気を呼び戻させる方策を考える」という基本方針は、その前提の評価に疑いが
あります。彼らは、厳しい情況のせいで判断を誤ってはいるけれども、錯乱はし
ていません。
また、さつきさんがその有効性を実感された、「連帯メッセージを送る」方法 とは、私の考えでは、「私たちは、人質も含めて君たちの味方なのだから、君た ちが採っている手段は間違っている」「国際法違反行為を非難する者が、自ら国 際法違反行為をしてしまっては、多数の国際世論を味方につけることはできない」 と真剣に訴えることと、ほとんど差はありません。それをなるべく「一方的非難」 と相手に受け取られないように工夫することは、主張の趣旨からいっても当然の ことです。
話がやや横にズレますが、私も、拉致問題の解決法に関して「北朝鮮人民に支
援を通じて連帯のメッセージを送り続ける」ことが、迂遠なようで根本的・原則
的な解決法になる、と本田さんに対して述べているので、何となく似たようなこ
とを言っていると思われるかも知れません。
しかし、私が連帯メッセージを送り続けるべきとしている相手は、拉致被害者
の原状回復を遅らせている当の金正日政権ではありません。さつきさんが、高遠
さんらの人質事件の「犯人」(=拉致問題での金正日政権に相当する)に連帯の
メッセージを送るべきだとしている点とは、根本的に違います。
また私は、金正日政権に対して言葉を通じて「説得」することはほとんど不可
能であると考えており、周囲の国際世論による包囲こそが、彼らを動かすと考え
ていますが、高遠さんらのイラク人質事件の「犯人」らに対しては、言葉による
説得は十分に可能だと考えておりました。その点で、アルカイダやザルカウィ氏
一派(引いてはチェチェンのバサエフ一派)らと、この「犯人」らとは、まった
く人的系統を異ならせる、とも考えておりました。ちなみに、アメリカのブッシ
ュ政権も「説得」の対象ではありません。
このようなわけですから、「何となく」イラクの経験を北朝鮮にスライドさせ
ることはできません。
(2) 北朝鮮政権の「正気喪失論」と日本が「凶暴化に追いやった論」
次に、長くなりそうなのでついでにここで言ってしまうと、私は、金正日政権 が「正気を無くしている」などとは、決して考えておりません。ラングーン事件 にしても、大韓航空機爆破事件にしても、拉致事件にしても、彼らなりの国際情 勢認識と政治判断(利害判断)によって、極めて冷静に遂行しているものと考え ております(この点につき例えば、共同通信北朝鮮取材班『はるかなる隣人 日 朝の迷路』2004年8月25日・共同通信社刊等を参照)。ただそれが、国際社会の 民主的常識からは受け容れ難いだけです。
そのように、彼らが決して「正気を無くしている」わけではないにも拘らず、 彼らに対して「説得」が不可能であるのは、彼らの政治権力保持と運営が、既に (本来の)社会主義・人民民主主義とは似ても似つかない特殊な原理に従って行 われているからです。国際政治の場面に即すれば、ほとんど剥き出しのパワー・ ポリティクスとしか言いようがありません。だからこそ彼らは、パワーの総大将 であるアメリカとの2国間協議・安全保障に固執するのではないでしょうか。
人民に対する彼らの仕打ちを見ても、その異常性は際立っています。まるで国 家全体が、監獄化されているような状態だと思います。このような悲惨な状況に 北朝鮮人民が置かれているからこそ、現に力となりうる食糧・医薬品援助(人道 的援助)を行い、これを通じて北朝鮮民衆との連帯を図らねばならないのだと、 私は考えています。
決して、日本政府が過去の植民地支配や戦時加害行為を未清算のままに放置し てきたからではありません。それがあろうとなかろうと、「人の苦しみは、それ を見た者に義務を負わせる」(最上敏樹『人道的介入』-岩波新書-の中で引用 されている、フランスの哲学者ポール・リクールの言葉)からであり、また地理 的・経済力的にも、日本がその「義務」を果たす上で最適の立場にあるからです。 そのことは、先日参加した旧東ドイツ出身の北朝鮮国際援助活動家マイク・ブラ ツケ氏の講演会(9月11日・「本当の北朝鮮を知る会」主催)でも、特に強調さ れていました。過去の未清算は、この義務をいっそう促進する理由となる地位を 持つに過ぎません。援助は償いではないのです。
このような、内外ともに凶暴かつ異常な政治が行われている原因の有力なもの として、さつきさんはどうやら「拉致とは比べものにならないくらい非人道的で 凶暴な日本の過去の侵略とその後の米国と一体化した敵対政策」があると、お考 えのようです。
というのは、先に引用した9/10付投稿においてさつきさんは、
その行為が、比べものにならないほど残虐で非人道的な行為によって誘発 されているという情況認識に立つなら、個々の行為だけを取り出して非人道 的であると非難することが、必ずしも「人道」の見地に立つとは言えない場合が ある
とされた上で、
拉致とは比べものにならないくらい非人道的で凶暴な日本の過去の侵略と その後の米国と一体化した敵対政策が、金日成・金正日体制の凶暴化と無関係で ある筈がありません。そしてその凶暴化は、正気を無くして敵対関係にない 筈の第三国にまで矛先が向けられる程に達し
たと言われているからです。
さらに言えば、さつきさんは、だから、個々の行為である北朝鮮による日本人
拉致事件だけを取り出して非人道的であると非難はせず、これに先立ってこれを
誘発した日本の過去の侵略等と「関係づけて」、両者を一体のものとして扱う、
とされているわけです。
そしてその上で、いわゆる拉致問題と日朝国交正常化とを「切り離して」解決
しようとする立場は、このような関係を見ない「人の道に反する」ものだと結論
づけられているわけです。
これはおそらく「左翼」を自称する論者によってかなり広く挙げられている、 「拉致事件解決と国交正常化とを一体化すべきである」という主張の根拠(いわ ゆる「北朝鮮を追いやった」論)だと思いますが、納得し難いことです。
もちろん、さつきさんが言われるような事情が、日本人拉致にまったく「かす りもしないほど」無関係であるとは思いません。
しかし、よく考えていただきたいのです。
日本人拉致は、「国際諜報活動-特に対韓政治工作-を円滑に遂行するには、
ネイティブの日本人から、日本語や日本人の生活習慣を徹底的に教え込ませ、工
作員を完全に『日本人化』する必要がある」という理由で、行われたと言われて
います。
ささやかに暮らしている日本の民衆を突如として連れ去り、工作員教育に当ら
せるという、人間を必要に応じて駒のように動かす発想は、日本人拉致の特殊性
を捨象して考えれば、程度の差はあれ、旧「社会主義」国家に普遍的な現象だっ
たのではないでしょうか。歴史的な民主主義の未発達による国民の民主主義的経
験の圧倒的不足、実質的一党独裁制の中での「民主集中制」による民主主義の形
骸化・建前化こそが、これら一連の異常な政治の根源ではありませんか?「拉致
問題」も、そのような政治の一環として、起るべくして起きているのだと思うの
です。
それを「対韓工作が必要となったのは、朝鮮が南北に分裂しているからであり、 それは元を糾せば日本が植民地支配をしていたからだ」とでもいうのでしょうか。 それこそ、「対韓工作」の国際謀略性を不問に付する、一面的な見方と言わざる をえません。
さつきさんのご意見において、「無関係でない以上、切り離して考えることは
できない」というくだりがありますが、「無関係でない」ということが、分
析するとどのような「関係」になるのか、その「関係の深さ」はどれくらいなの
か、その点の解明なくして、「かすって」でもいれば「切り離せなくなる」
というのは、率直に言って私の理解を超えています。
それで私は、さつきさんへの 7/9付投稿で、「さつきさんは、拉致問題と国交
正常化とがどのような関係に立つことが適切であるとお考えなのか」と尋ねたの
です。
この点に関連して、比較的早期(といっても戦後27年を経てですが)に国交正
常化が図られた中国の事例で考えてみます。
もちろん、真の「正常化」は、靖国参拝への固執に見られるような自民党政権
の反動性によって、依然なされないままではありますが、一応、1972年の日中共
同声明によって、両国の戦後処理は終ったとされたわけです。そして、それまで
の長い期間、日本政府は、東西冷戦構造の下でアメリカの各個撃破政策・対中封
じ込め政策に忠実に従い、台湾の国民党政府を「中国政府」だとしてきたわけで
す。
ところで、その国交正常化が成った6年余り後、ヘン・サムリン政権を後押し
してポル・ポト政権を打倒したとして、これに「懲罰を加える」という公言の下、
中国はベトナムに侵略戦争を仕掛けたのです(1979年2月)。その後、中越関係は
国境確定などによって正常化されましたが、中国が「あの戦争は侵略戦争であり、
申し訳なかった」と謝罪したという話は、とんと聞かれません。
また、民主化を求める民衆に対して軍に命じて発砲させ多数の死者を出した天
安門事件は、1989年の出来事であり、日中国交正常化から17年近く経った後のこ
とです。中国政府は、これを「暴乱」と規定し、未だにそれを訂正してはおりま
せん。
さらに中国は、1998年10月に国際人権規約B規約に署名しておりますが、その
翌年7月に、治安上問題があるという理由で「法輪功」を非合法化しており、最
近でも石原東京都知事が法輪功日本支部をNPOとして認証したことを非難して
います(8/28付毎日東京版夕刊)。
また、「北朝鮮は自国の国民の生死を顧みず、生活水準を上げる努力もせずに
核兵器を開発している」「中国の政治的支持と経済援助に全く感謝せず、肝心な
時に我々への理解と支持を欠いている。このような国を全面的に支持する道義的
責任はない」などと強い調子で批判したオピニオン誌『戦略と管理』2004年4期
号を、「北朝鮮がこの論文の出版について中国に強く抗議したことから、核問題
への影響を考慮して」発行停止処分にしています(9/21付朝日)。
これらの侵略と都合による非常に安易な人権抑圧を特徴とする異常な中国の政
治が、「異常かつ凶暴な日本の中国侵略と、戦後のアメリカと一体となった中国
敵視政策によって日中国交正常化が遅れたことによって誘発された」とは、おそ
らくさつきさんもお考えにはならないでしょう。もともと、これらの侵略と人権
抑圧は、日中国交正常化のずっと後に生じたことだからです。
その原因は、ひとえに中国共産党の統治が、実質的一党独裁制と「民主集中制」
とに支えられ、徹底した民主主義の経験を経たものでないところにあるのではな
いでしょうか。北朝鮮と本質的に選ぶところはありません。
結局、北朝鮮を「追いやった論」は、このような歴史の実態を直視せず、日本
政府の不当な行為と、これに関する日本人民の罪障感を隠れ蓑にして、北朝鮮現
政権を美化する結果に陥っている、と考えるのです。
金正日政権は、「日本政府による非道極まりない行為のいたいけな被害者」で
はありません。さつきさんは、現北朝鮮の金正日政権による統治を、どのように
評価されているのでしょうか。
(3) 「国際法が機能停止」だから「人道的解決」?
最後に、より原理的な問題になりますが、さつきさんがイラク日本人人質事件 を素材にされて、
ありうべ国際法が現に全く機能していない情況下にあって問題解決を図ろうと する時に、その国際法を盾にすることはできません。私たちにできることは、せ いぜい「人道」の名の下に人としてなすべきことを考え、できることから行動に 移すしかない
といわれていることについて、私の「思い入れ」を交えてお話しします。
まず、さつきさんが指摘される1)~3)の条件が存在するとき、国際法の機 能停止が起きているとされるわけですが、これについて明言できることは、国際 法の機能停止状態は、国際法による解決を強く要請しこそすれ、解決規準として の国際法を放棄することを決して正当化しない、ということです。
さつきさんが言われる「国際法の機能停止」とは、国際法の侵犯が系統的かつ 継続的に行われているのに、これに対してあるべき法状態を回復する有効な手立 てが取られていないことを意味するでしょう。おそらくその「あるべき法状態の 回復措置」として期待されているものは、何らかの「強制」の要素を含む措置だ と思われます。
しかし、もともと国際法は、主権国家が平等の地位で併存する国際社会におけ る法として、受範者(法による規制を受ける者)の上に立つ強制的権力の存 在を予定しない性質を持つ法なのです。国内法が、国家権力という統一的な 受範者の上に立つ強制権力を前提とするのと、この点まったく違っています。国 際連合も、各加盟国が対等平等の地位で参加する国際機構でしかなく、総会決議 の効力も、内部運営(組織事項)や手続事項を除いて法的拘束力を持たず勧告的 効力しかないとされています。したがって、もともと国際法の順守について、国 内法と同じイメージで強制措置を予定すること自体が、ないものねだりなのです。
学者の中には、このような「国際社会の分権的構造」に基づく国際法の特質を
根拠として、「だから国際法は『法』ではない」という者さえいる始末です。
しかし、現在の国際社会がまさに、主権国家の併存という分権的構造を持つか
らこそ、その間の関係を規律する客観的規範としての国際法が必要なのであり、
武力行使が一般的に違法化された現代社会にあっても、事実上の強制力を持つ諸
国家の行為(集団的経済封鎖・圧倒的多数の国家による非難等)を通じて、不十
分ながら、法としての「強制」の要素は、国際法でも発揮されうる(したがって、
国際法は「法」である)とするのが一般です。国際社会の諸国家の実行において
も、国際法が、受範者の意思如何に拘らず規律を予定されている「法」であるこ
と自体を否定する例はありません。
次に、それでも、そのような弱い法であれば、国際法侵犯行為に対して「国際 法を盾にすることは意味がない」ことではないか、という疑問が当然出るでしょ う。それについては、どうしてもR.v.イェーリングの次の言葉を、さつきさ んに紹介したい誘惑を禁じえません。
権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法 による侵害を予想してこれに対抗しなければならないかぎり-世界が滅びるまで その必要はなくならないのだが-権利=法にとって闘争が不要になることはない。 権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、 諸個人の闘争である。
世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。重要な法命題はす べて、まずこれに逆らう者から闘い取られねばならなかった。また、あらゆる権 利=法は、一国民のそれも個人のそれも、いつでもそれを貫く用意があるという ことを前提としている。権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きした力なの である。(イェーリング・村上淳一訳『権利のための闘争』岩波文庫29頁)
これは、おそらく法律を大学で学ぶほとんどの者が、1度は見ている有名なフ レーズです。何も問題がないとき、例えばわれわれが商店で何か買物をして商品 を受取り、代金を支払うときに、「売買契約法に従っている」などという意識を 持つ必要はありません。しかし、インチキ商品を買わされたと気づいたとき、債 務不履行による解除権行使や詐欺による取消権行使という、「法に基づく権利行 使」が主張されるのです。
また、卑近な例で言えば、連続殺人事件が起きたからと言って、刑法が機能停 止状態にあるとは誰も思わないでしょう。山口県で起きた、母子暴行殺害事件の 被害者である夫が、「死刑にできないなら、早く犯人を社会に出してくれ、そう すれば私が殺す」と叫んだことは記憶に新しいことですが、これも、刑事裁判と いう法が本来予定している手続を経た後の話です。現在のイラク情勢になぞらえ て言えば、アナン国連事務総長を始めとする、各国の国際的非難への反応や、ア メリカ大統領選挙の帰趨を見ないで、いきなり「国際法違反行為には国際法違反 行為で対抗する」ことが是認されるわけではないと考えています。
マルクス主義の立場からは、法は社会構成体において経済的土台の上に立つイ デオロギー的上部構造であり、ブルジョア社会においては、ブルジョアジーの権 力支配を維持する道具としての本質を持っていますが、寄らば大樹の陰さんとの 議論の終りでも述べたように、ブルジョア法固有のイデオロギー的構造の特質 (双面的拘束性・一般的抽象性)から、人民による階級闘争の武器ともなりうる 側面を持っています。ブルジョア民主主義レベルで十分主張されうる民族自決権 の主張に関して言えば、階級を超えた民族解放闘争の有力な武器となりうるので す。
このような立場からは、法はその侵害行為がなされたときにこそ主張され
ねばならない、ということになります。法の無力(とりわけ国際法の無力)
を嘆いて、回復すべき法状態を指し示す法自体の主張を放棄することなど、到底
考えられない、ということを述べて、私の長い回答を終りたいと思います。
また暇を見て、簡単にでもお返事をいただければと思います。
読んで下さった他の方々には、心より感謝いたします。(10/3)