「寄らば大樹の陰」さん。9日付けのお返事で、当方が厳しすぎる内容、口調だっ たにもかかわらず、ていねいにご応答くださってありがとうございました。また、僕 へのいくつかのご指摘も心に留めさせていただきました。その内いくつかについてお 応えします。
「日本共産党は理論的には共産主義から遠く離れすぎており、理論的にこれを回復 することは困難だと思っています。」。僕もその通りと理解しています。しかしその 「理論」とやらが僕にはかっこ付きでして、マルクス、レーニンの中にさえ守り、貫 かねばならない「理論」は多くはないと考えているのです。その点についてはいまま でここに書いてきました。関連して次の言葉に、お答えしたいです。
「今このサイトでも曖昧模糊とした投稿が多くまるで仲良しクラブ的になっていて、
訳の分からない事でもお互いが納得している」。正しくもマルクスが言った「資本家
をばら色に描かないのは、その個人についてではなくて、その立場についてなのだ」
という見解を踏み外したような機械的階級闘争史観など、明確すぎる「理論」には、
僕は眉唾で臨むことにしてます。生産力と生産関係との矛盾だけを歴史の中に観るに
等しい「土台主義」や、そこから来る「資本主義破局必然論」のような「一見楽観主
義」や、それらと理論補完的に関連した、20世紀に発展した民主主義などを無視して
マルクスの時代も今も上部構造がほとんど変わらないというように観る「時代、敵の
全否定論」などなどにも。こういう理論信仰はいつの時代も明瞭、明確なものですが、
時代的中身に欠けるという意味で、リアルでない。逆に時代的中身の方を理論で強引
に裁断していく。この「中身が欠けた抽象性」とは、マルクスも彼の先生ヘーゲルも
最も嫌ったものでしたのに。僕にはやっぱり「訳の分からない事」特に人々の感情な
どを、「曖昧模糊とし」て、「仲良しクラブ」のように観察したり語ったりしてる方
がよっぽど好ましいし、結局は実効的でもあると考えています。例え、「これだけの
悲劇を見ぬ振りするのか」とか、「今立ち上がるべきこのことがあるだろう。街頭へ
出るべきだ」とか言われても。理論信仰の人ほど、そういう言い方をする。そして次
のような人生最も大切な真理を知らず、無視し、干渉するような態度も臭う。
「僕のたった一度の人生、僕が決めたい。誰でもそうでしょう」。この言葉にちょっ
と感情を害するような人には、人類の明日を語る資格はないと僕は思います。
最後に「寄らば大樹の陰」さん、このことどう思われます。他ならぬ「樹々の緑」 さんの次の資料のこと。1月6日北朝鮮欄で彼が紹介してくれた自由法曹団の「経済制 裁決議に反対する声明」です。この「内容への見解」を簡単明瞭にお聞かせ願えれば、 嬉しいです。
次に「通りすがりNさん」。
次のような物言いは僕は好きですね。自分を置いて物を語らない「自覚的態度」が です。「私はこれまで、社会主義というものの理想についてはそれなりに評価し、そ れが人々を幸福にするんじゃないかと考えてきましたから、まあ、同罪と言えば同罪 なのかもしれません。」。そして、貴方の次のような願いがかなえられることをぼく は期待するものです。「社会主義を目指す方々が『社会主義が人々を幸福にするのか』 という疑問に真摯に答える努力をしてくれるのかどうかを見たいのです。それによっ て私の考えも改めるべきは改めようと考えているところなのです。」。それならばと いうことで、長い文ですけど僕も一応はそういう努力をここで何回もしてきたつもり ですので、僕の諸見解へのご意見もお聞かせください。
「人づてに聞いた話では民主教育に取り組んできた良心的な先生方も自分達が考え ていた方向が実現してきたということを言っているということでした。」。「九九と いうやつがありますね。これはどんな民主主義的先生であっても理由をとやかく言わ ず、まずは覚えさせます。」。「受験のために無駄な知識を覚えさせられていると思っ てしまったところに悲劇の始まりがあったとすら私は今振り返って見直しているので す。」
「人づて」の話を持ってくるとか、それで「民主的教師」へのトラウマを訴えると か、社会主義に結構詳しいけれどその未来や左翼をセピア色にだけ描くとか、なんか 原水爆禁止問題を論じまくって暮れに消えていった方を髣髴とさせるようなご経験、 論調であって、貴方の責任ではないのですが心配になってきました。改めてお聞きし ますが、貴方の前述の社会主義への願いは本当なんですか?もし、失礼ですがフリし て投稿、質問されているのでしたら、「かく乱」、「荒らし」、擬似討論、ゲームと も見える。まーそれであったとしても僕は「参加、結構」とは言いはしますが、 なんか気分は良くないなー。
「スターリンが官僚国家を作ってしまったところに問題があるというのなら、何故 社会主義の社会が官僚国家となってしまったかということを考える必要があるのでは ないでしょうか。北朝鮮を見ても中国を見ても結局官僚国家なんですね。さらに官僚 国家は何故そういうことになってしまうのかという分析ではないでしょうか。問題は (全てとは言いませんが)計画経済を推進するには、個々の社会の構成員がばらばら にやっていては計画は作れないので、政府が計画を作らなければなりません。民主主 義的に国民の意見を吸い上げて科学的に分析して計画を立案する・・・まあ、理想的 に言えばそういうものだろうと思います。しかし、これは大変に時間がかかる。
一国社会主義は成立しないとか、帝国主義者の巧妙な宣伝によってつぶされたとか、 これまで失敗した社会主義は実はあんなもの社会主義じゃないんだというような反論 ではまったく寂しい反論ではありませんか。」
これらも全て、「社会主義を望む者として」賛成です。よって正にこれらの質問に もかなり答えている投稿として、以下の拙稿についてご意見を伺いたい。12月15日の 党員欄拙稿で貴方にもお願いした2論文のことです。あとそれに、この1月1日の論文 にもご意見をいただければ嬉しいです。こういうご質問をされるはずの方には是非ご 意見をいただけるものと思って、僕は心待ちにしていたのですから。