前回と併せて50枚近く、完結を予告された第3稿を加えると一体どれだけのご努力に なるのか、有難くて心が震えました。形としては貴方が僕に宛てられたメールとはい え、公論としても述べられたものにこういう言い方はちょっとおかしいところもある かもしれませんが。自分の職業、活動、生活の中から抱えてしまった疑問、執着に端 を発して、僕が20年近く学び、考えて来たことを、改めて整理し発展させてくれそう な問題提起だという震えです。第1回目の貴投稿モチーフ自体が、僕のこういう問題 意識にがっちりと噛み合うように意図されていて、やはり僕の心を揺さぶるものでし たしね。
2本ともコピーし、何回も読んで、内容は掴みましたが、よく考え、次の完結投稿も 待ってまた考えて、それからお返事したいと思います。あるひとつの根本的な諸命題 へのまっとうなご批判というものであって、さらに広くて根本的な次元へ導いてくれ る機会を与えられたというような性質のお応えだなと構えている次第です。マルクス が、自分の娘たちの質問「好きなモットーは?」に『全てを疑え』と答えたように、 自分にどういう結論が出てくるか、恐れも面子も既得知識・体系の墨守みたいなもの もその他何か拘りのようなものから一切離れるように努めて、改めて虚心坦懐なとこ ろからお答えしてみようと考えています。貴方が言われている、知的エリート主義 (的感覚)のようなものに対しては職業自身の選択をも通じて自分の中で闘ってきた つもりですが、時代の苦悩というような事象にさえ敢えて拘らずにというのが、僕の 現在の態度です。ちなみにレーニンの背骨をクループスカヤはあのように表現しまし たが、マルクスはちょっと違いますね。「経済学批判」の序文末尾にこう述べてあり ます。
「学問の入り口には、地獄の入り口にと同様、『ここにて汝あらゆる狐疑を絶つべ し、ここを過ぐれば、いかなる逡巡も許されぬ』という要求が立てられねばならぬ」
上はある方の訳ですが、大月国民文庫版訳では「学問」が「科学」になっています ね。ちなみに二重カッコの中はダンテの「神曲」からの引用らしいです。
そもそも、時代の諸困難に対して誠実に未来を目指そうという政党とは、それと理論 との関係は、そして、弁証法的・史的唯物論とは、これら全てを一体のものとして根 本的に考えてみなければ、答えられないような問題提起です。もちろん僕に刻印され ている全ての過去の活動、生活、人々を思い浮かべ、もう一度改めていろんな書物も ひっくりかえしながら。そんなふうにお応えしてみたいと考えています。とにかくご 自分の30年の総括から導き出された「時代の苦悩」という原理から出発するべきとい う「弁証法的・史的唯物論」を提起されたわけなのですから。
ともあれとにかく、とにかく、まずはありがとうございました。
すぐにお礼をと思い立ってこれを書き始めたのですが,あまり気分を昂ぶらせて書い てもとあえて送るのを遅らせ、何度か書き直していた次第です。