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「組織論・運動論」討論欄

雑感。01/31の Forza Giappon 様へ

2005/02/09 化石 60代以上 年金待ち失業者

 それぞれの分野での中身の濃い貴重な思いのこもった投稿が続いています ので、非党員、悲活動家に過ぎない自分が、これから伸びゆく若い人達に何かを 書くという事は、なかなか出来にくいという事があります。
 自分はとうとう60歳になりました。これから、団塊の世代が、大量に定年退 職してきますので、会社企業から解き放たれた潜在革命家のような方達の投稿が 増えてくるのではないかと期待もしています。会社では、赤い人々は差別されま すが、年金受け取りは赤い人も黒い人も平等、減らされるのも平等ですから、デ モも発言もしやすい筈、あくまでも筈ですが。若い世代にとっては学ぶ事が多 く、貴重なモノになると思います。皮肉の言いっばなしの後ろ向きのやり取りも ありますが、若い人達が希望を持てる社会をどうすれば創れるのか、それが大事 だと思っています。

 彼女(H子さん)のこと、良い家族もいて、友人達もいて、少し安心しまし た。人間の精神というのは、不思議なもので、激務の任務をいきなり外しすぎる と、今度は、燃え尽き症候群になると言う事もありますから要注意です。困難で も、にこやかな活動をしてほしいという思いです。
 自分は社会復帰出来たから幸いですが、精神病院での3年と言うは、大変な事 でした。結婚して子供が出来て間も無しの入院でしたので、妻には言いようのな い苦労をかけてしまいました。離婚もせずに耐えてくれたものだと感謝していま す。

 さざ波、初話題かも、病院の紹介を少し書きます。
 通常は精神病院と言いますが、世間体を気にするとサナトリュームと言いま す。差別語では、ノー病院になります。これは強力な差別力があります。自分 は、堪え忍びつつ蹴散らしてきました。昔の民青新聞で、「けつまずいても、転 んでも、、」と言うのがありました。(真に受けて転ばないようにしましょう。 組織は冷たいものです。自己責任になります。)
 檻のある閉鎖病棟もありましたが、基本は開放病棟というもので、作業療法、 園芸療法も取り入れた先進的な病院でした。入院患者には、毎日、聖書を読んで いるクリスチャン、毎日お題目を唱える真面目な創価学会員、ヨボヨボの入れ墨 の元ヤクザのお爺さんとかが居たのを思い出す。どう見ても正常と思えるが、世 間が嫌で病院に住み着いている哲学者様みたいな奴も居た。残念ながらマルクス 主義者は居なかった。

 お正月は新年会、病気が軽度の患者は年末年始に帰宅するので少なめだった。 節分は豆まき、医師も看護士も、鬼の面をかぶったり。3月は食堂にお雛様を 飾って、ひな祭り。毎月、誕生会。クリスマスは盛大で、劇とかコーラス、奇術 手品とかがありました。
 ビックリしたのは、文集の発行。ガリ版刷りで、ガリ切り出来る患者が居まし た。プラトニックラブは治療目的で容認、手をつなぐは要注意、接吻以上は絶対 禁止。病院所有の畑、温室で、イチゴ、サツマイモ、ジャガイモ等の世話、収 穫、観葉植物の栽培とか。風呂は週2回。
 悲しいのは、社会から家族から、精神病者として病院に捨てられている人が大 半だという事です。社会の歪みを背負って苦しんでいる、愛するべき人達が大半 だったと言う事を叫びたい。当時は終末老人病院の役割もあって、別棟収用で家 族は患者が亡くなった時に引き取りに来るだけというのも現実だった。30年 経って進歩改善されたのか、日本革命の展望より困難な課題です。

 さざ波の投稿者は、学生運動経験者が多いかなという感じで見ています。自分 は、中卒工員から労組青年部、民青共産党、離党のコースですから、文献、主義 主張、解釈の議論は参加しがたいという事があります。暴力革命を否定するか、
 議会主義かとかは、それぞれの国、時代、支配形態で違ってきますから、意味 を成さないと思っている。敵の出方論は、巧い言い回しだとは思いますが。暴力 装置としての自衛隊、警察が、どう動くか、民主政府の内閣、議会の多数派に従 うか、と言う問題がありますが、憲法と法律がある限り、現在日本の社会機構の 中で多数派形成の活動に邁進するしかない。議論好きな人達は別として、人間社 会ですから各種の選挙の意義、重要性は絶対的なものです。議論の余地はない。 現時点での公明党の選挙戦略は見事なものだと言えます。

 70年代以降、国政選挙、地方議会選挙では議席を増やしてきた実績がありま すが、労働組合選挙では、会社側、右翼社民と一体となった攻撃で、圧倒的後 退、敗北になっていた。我々職場の共産党勢力は、役員の3割を勝ち取ってい た。産業の国際化、再編成で資本の攻勢が強まった。毎年、組合の役員選挙でも 血みどろの闘いをやってきた、自動車産業の下請け工場と言う制約の中、党勢力 の後退を止める事が出来なかった。
 70年代前後から80年代というのは、革新自治体や共産党の議員が増える中 で、重要基幹産業では、共産党がすごい後退をしていったという時代でもある。
 間の抜けた党幹部の指導のもと、資本の全面攻撃に対する現場の共産党員達の 闘い、抵抗はすごいものがあった。要領の良い共産党員もたくさん居た。さざ波 での革命論議、権力奪取とかの議論は、労働組合の再生を抜きにしては、ムダと は言えないが、何おか言わんやという思いがわく。絶望感で、うまく書けませ ん。

 ストライキ権を持った労働組合の役割の重要性は、資本が一番知っているわけ だ。だからこそ、労働組合から共産党の影響力を無くしてしまうと言うのが、資 本の主要課題だった。ケネディ、ライシャワー路線という言葉があった。古典的 マルクス主義を世界から除去すると言う。日本では労働運動の右傾化、確か IMF・JCかな、総評の解体、共産党系労組の孤立化、現在の連合になる。宮 本共産党は、民主勢力内部からアメリカ帝国主義、独占資本の要望に見事に答え た。これが歴史の結果と思う。反転攻勢は、何時になるか。

 革命とか、権力奪取とか色々議論しても、武器を造るのも労働者、軍需物資を 運ぶのも労働者、労働組合をしっかりしたものにする。議会選の票読み、労働組 合選での票読みの両方が出来ていかなければ、何の意味も無しかと。
 共産党議員が支持者と工場の前で騒ごうが、軍需物資を運ぶトラックの前に座 り込みしようが、機動隊に制圧されたらおしまい。労働者がストライキ権を行使 出来れば止める事が出来る。内外連帯した闘いがあって、運動は勝利すると教え られてきた。
 簡単な事だが、それが出来ない情勢にされた。大衆運動と党勢拡大が切り離さ た議論は、不幸の始まりで、共産党員の力量の無さ、我々の力量の無さだと感じ ている。

 労働運動は諦めて、議会主義中心にするので有れば、それはそれで重要な 事だと思っている。ただ、もう少しマシな地域、議会活動にならないものかとも 思う。
 党運営から切り離した議員活動が出来ればいいとも思うが、無理かなとも。  現実の課題になると、まとまりませーん。共産党の批判とか、過去の分析はし やすい。人は見えても自分は見えない。そんな自分が情けないと思う時もある。 反転攻勢は、それぞれの活動力、切磋琢磨が創り出すもの。

 Forza Giappon さん達の健闘を祈ります。ただ、自衛の為に投稿は控えめが良 いとも思いつつ、北九州市議選での議席死守の感想とか、批判と論争中心のオジ さん達に対して、具体的な行動指針、若い人達の思いなんかをぶっつけて、もっ と建設的になるように、カツを入れたりしてほしいなーと。