丁寧なお返事、こちらこそお礼申し上げます。ここのところ仕事日程がタイトなため、ご返事が遅れました。ロム3さん、ものぐさして申し訳ありませんが、内容的に重複する部分があるので、過去へのこだわりさんに対するこの投稿を、あなたへの実質的なご返事(の一部?)にもさせて下さい。ロム3さんの投稿の引用は、その都度明示します。
また、書いている途中で長くなりそうになったので、2分割させて下さい。
《全体項目目次》
1.「新日和見主義批判」の評価に関連して
2.「社会主義の崩壊」の評価に関連して
3.大衆運動を軽視して選挙・党勢拡大に走ったから党が後退したのか
4.川上氏らが考えた「日本の変革」の姿と選挙重視へのシフトの評価
過去へのこだわりさん(細かなことですが、「過去への」と表記を統一させていただきます)が、ご自身の30年に及ぶ公務員職場の経験から、「市民」を主体とする運動構築の必要性を痛感されるに至った経緯が、よく分りました。人文学徒さんへの1/31付投稿も拝見しました。
また、私が公務員職場の現状をよく知らないのも、ご指摘の通りです。ただ、バビル優さんが2/3付ロム3さんへの投稿の末尾の括弧書きでおっしゃっている程度の認識はありました。
この投稿の表題が一風変っているのは、私の打明け話を発端に、過去へのこだわりさんが発言されるようになったことを、私も嬉しく思うとともに、これからその方たちなりの運動の本当の中心世代を担うpaulさんやForza Giapponさんやバビル優さんや一支持者Wさん等々に、「オヤジの懐メロ話」と受け流されないように、分析と教訓の抽出に注意したいと思ったからです。これまでのあなたとの対話が、実りないものだったなどと考えてはおりません。
1.「新日和見主義批判」の評価に関連して
余計な摩擦を避けるために、最初にお断りしておきますと、私は、過去へのこだわりさんたちの世代の学生運動が、意義の薄いものだったとか、自分たちの世代の運動がそうだったとか考えているわけではありません。その上で、川上徹氏についての前投稿での表現も出てきたのです。
あの当時の学生であった川上徹氏が革命全体の展望を持っていなかったとしても当然ではありませんか。
これは、過去へのこだわりさんの事実誤認と思われます。
『嵐の中に育つわれら』が刊行された翌月の1969年の6月には、川上徹氏はすでに29歳であり、民青中央常任委員・党中央委員会青年学生対策部員を兼任する要職にあり、「学生」ではありません。東大闘争の現地指導部責任者として、常に代々木と本郷の間を行き来し、宮本書記長(当時)の直接指導も受けていました(川上徹『査問』ちくま文庫版48頁。彼がここで宮本「委員長」と書いているのは、間違いです)。当時「民青新聞」や「青年運動」誌上で、彼の書いたものを随分読んで学習した記憶があります。
しかも、「新日和見主義批判キャンペーン」の時期には彼は32歳であり、それでも「足元の不確かさは感じたが、その実体は掴めなかった」というのは、私はお粗末だと思っています。もちろん、この年齢で完璧な認識を求めることは酷だと思いますが、あまりにも「純粋・無邪気」だと思うわけです(この点については後に再述します)。
樹々の緑さんが新日和見主義批判は正しかったと言われれば私は反発しますが
「新日和見主義批判キャンペーン」は、総評としては「正しくなかった」と、私は考えています。
特に、「分派」「日本軍国主義主敵論」などは濡れ衣だったでしょう。また、『査問』に記された「査問」の実態は、官僚主義の典型を思わせるものであり、決して是認できないものです。
脱線しますが、川上慎一さんが、ご自分の投稿を指して、それが私の人文学徒さんへの返答投稿(その1)の中で「いい気なものだなー」と感想を述べた対象ではないかとおっしゃっていましたが、多分違います。私も随分前で記憶が曖昧な上、当時は閲覧するだけで延々時間がかかり、とてもコピーまで気が回らなかったので、手元に残っていないのですが、川上慎一さんの文章のように平明ではなく、私が見たのは一種異様な雰囲気をまとった文章でした。
ところで、それでも私の上記評価の歯切れが悪いのは、「批判」者が指摘していた「主観的・情念的な情勢判断」については、ある意味で当っていたと思っているからです。川上徹氏も『査問』の中で、1970年代に入ってから彼が感じた党の変貌ぶりを「役人の世界とはこんなものかと想像された。(中略)すべて些末なことと大事なこととが逆転していった」と指摘しながら、70年代を「新しい時代」と表した一節で次のようにいっています(同書pp243~246)。
共産党は明らかに大きく舵を切った。(中略)「多数者革命」「人民的議会主義」という言葉がキーワードとなった。党はあらゆるところで多数派になることを目指した。 「消費は美徳」などと信じられないような言葉が大衆の同意を得られる時代など、六〇年代に形成された私たちの常識からは理解に苦しむところであった。
新しい時代の登場を前にして、「一派」の者たちはあくまでも自分たちの六〇年代体験にこだわった。「昨日の世界」になぞらえて現実を理解しようとした。闘いの中で民衆が変革されていく夢を捨てきれなかったのである。そして、党の方はと言えば、ああした運動は自分たちとは関係のない異端であったと切り捨てることにより、新しい時代に、新しい装いで多数派形成への道を勇躍ひた走ることとなった。まるでこの時代を見通していたかのようであった。いずれにしても、時代は大きな転回をとげたのであった。
私が過去へのこだわりさんへの先の投稿で、「ことの本質は、11大会を重要な転換点として、『人民的議会主義』の圧倒的重視へと全党の活動方針がシフトした、ということではないでしょうか」と述べたのも、別の角度からではありますが、これとほぼ同じ事態を指しています。
私が『査問』を読んで不思議に思うことは、川上徹氏が、これだけ「70年代に入ってからの党の変化」を的確に記述しながら、1970年7月の第11回党大会決定の意義について何も触れていないことです。「七〇年代の展望と日本共産党の任務」という同大会「決議」のスタイルは、私にとって非常に新鮮なものであるとともに、「多数者革命」「人民的議会主義」の姿を具体的に示すものでした。
川上徹氏は、彼が実感した「党の変化」に対する当惑を、次のように記しています。
党は変わってしまったのか。熱に浮かされたように考えることもあった。ただ、党は、公式にはこれらの改革は「六一年綱領」の具体化であり、その実践であるという建前は崩していなかった。しかし、現実にはその綱領の子である私たちの位置する場所がない。私たちはどこに位置したらいいのか。(同書242頁)
これは、私には驚きです。というのは、私も、民青から党へという違いはありつつも、60年代末から70年代初頭をくぐり抜けてきたわけですが、この変化を、まさに61年綱領路線の発展として非常に自然に、連続的に捉えていたからです。この認識はいまでも変りません。
この違いはまさに、彼らが「あくまでも自分たちの六〇年代体験にこだわった」結果、党綱領路線の発展を「建前」としか見られず、「ああした運動は自分たちとは関係のない異端であったと切り捨て」たのだと、まるで服を着替えるような感覚、「二階に登らされて梯子を外された」とでもいうような違和感で「変化」を捉えていたことを示しています。
本当は、単に「あくまでも自分たちの六〇年代体験にこだわった」(しかも情念先行の)経験主義者であったに過ぎないのに、「いい気になって」(同書48頁)自分たちのことを「綱領の子」だと勘違いしていたために、客観的情勢から立ち後れてしまっていた、というのが本質だと、私は思っているのです。余談ですが、これは「いいオヤジ」になったいまの私たちにとって、非常にシビアに自戒すべき点でもあります。
そして川上氏が、「六〇年代体験にこだわった」理由として「闘いの中で民衆が変革されていく夢を捨てきれなかった」といっている点にも、「それは、あなたの勝手な『夢』でしょ。あなたがいう『六〇年代体験』のような『闘いの中で』しか民衆が『変革されて』行かないと考えるのは、誤解じゃないですか? 『闘い』の形態は、本当に多様ですよ。あなたのような感覚は、下手をすると『プレビシット民主主義』*の礼賛にも通じる危険があるのではありませんか?」と、突っ込みたくなるのです。偉大な60年安保闘争の歴史的敗北の教訓とともに、「『消費は美徳』などと信じられないような言葉が大衆の同意を得られる時代」における矛盾をどのように把握すべきかこそ、彼は真剣に考えるべきだったのです。
この点が、後述する「選挙による権力獲得に熱中して大衆運動を軽視したため運動が後退した」という理解の当否にも関わっていると考えています。そういう理解を概ね肯定する点では、過去へのこだわりさんもロム3さんも、共通の見地に立っていると感じているのです。
* [仏]plébiscite 人民投票あるいは国民投票と訳されることがある。同様の概念としてレフェレンダムがあり、両者の厳密な区分は難しい。しばしば、ある行為又はあるテキストの承認にあたって、実際上は支配者個人の信任を国民に問うような国民投票をプレビシットと呼び、レフェレンダムと区別がされる。独裁政を民主的な手続で粉飾するために用いられることが多い。例としては、ナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769~1821)が帝政を確立するために行った国民投票が挙げられる。〔有斐閣 法律学小辞典第4版 p1065〕
ところで、路線的あるいは内容的に「正しい」かどうかは別として、このような11大会決定の意義についての彼らの無理解に、当時の党中央が苛立ちを覚えたのは無理からぬところです。ただ、だからといって党中央が『査問』に記されているような行動を取ったことは、何ら正当化されません。あのような野蛮な態度で「無理解」に接することは、指導部に属する人間に対する、党としての自己責任の放棄に他ならないと考えるからです。「新日和見主義批判キャンペーン」が正しかったなんて、とても言えません。ロム3さんが「どっちもどっちだ」とおっしゃっていたのは、このような趣旨だと思っていました。
さらに、ここで先走って付け加えれば、この野蛮さは、当時の路線の総体としての「科学的正確さ」に釣り合わない「主体的実力不足」の根底をなす弱点の一つとして、当時の党中央の主観主義的情勢判断や知的思い上がりと複雑に絡み合っていたと思います。そして私は、それらの弱点が、徐々に党中央全体を蝕んで行き、遂には1990年代からの路線自体の後退へと「発展」していったと感じているのです。この点で最近になって初めて、原仙作さんが、例えば「現状分析と対抗戦略」欄の昨年9/4付投稿の末尾の一段落や、「組織論・運動論」欄の昨年12/17付投稿の第4項末尾の〈(注)〉で力説されていたことが、ジワジワと私の心に響いてきています。
70年代以後、「自己分析」だとか「自己検討」だとかの言葉が決定をにぎわしましたが、これ以後の党には(それ以前はとても私の能力では分析できません)、「自分自身を厳しく見つめる誠実な目」が傾向的に欠けていると感じています。学生党活動改善に関する14大会5中総の分析しかり、「東欧の激変」の原因分析と従来の理論的見地の「自己検討」についてしかり、です。各選挙の総括については、この場で皆さんがこぞって指摘していらっしゃるとおりだと思います。
いかにマルクス主義的言辞を駆使して「煙に巻いて」も、自分を見つめる点でいい加減な人格が、他者から信頼される道理はありません。人の目は節穴ではなく、人をあなどってはならないのです。
こうした、ある意味で道徳的な後退が、客観的情勢認識における知的な退化と一体になって、この時期以降の(その芽は以前からあったとしても)党活動の支配的傾向となったのではないか、という仮説を私は持っています。
2.「社会主義崩壊」の評価に関連して
ソ連をはじめとする社会主義社会の崩壊をどう捉えておられますか。私は社会主義という理念は正しいが、現在完全に敗北した以上、再度根本から考え直す必要があると思います。個々の国にこのような問題があったと言う次元の問題では無く、今日までの社会主義議論に根本的問題を内包していると認識しています。
このような過去へのこだわりさんのご認識については、私も基本認識を同じくしています。
ただ、「ソ連をはじめとする社会主義社会の崩壊」だとか、「社会主義という理念は正しいが、現在完全に敗北した」と言われると、「崩壊したのは本当に『社会主義社会』だったのか」「社会主義が完全に敗北したのなら、今後めざすべきは、資本主義でも社会主義でもない、『第三の道』なのか」と反問したくなるのです。マルクス・エンゲルスがめざした社会主義・共産主義社会の実現の方向については、何も変更の必要はないし、まさに「ソ連をはじめとする『社会主義社会』の崩壊」を契機にして、よりいっそう社会主義理論・運動論を深化、発展させるべきだと考えるからです。
そして、前項で述べたような退行傾向を含め、この「崩壊」をロム3さんやとおりすがりNさんなどが考えられるように「(従来の?)社会主義そのものの否定に繋がる欠陥」と考えるか、それとも、私のように、「社会主義本来の姿とは似つかない別物」と捉えるかで、その後の論立てがかなり違ってくると、私は考えています。
ところで、1990年代以降の日本共産党は、「社会主義崩壊」を未だに表面的にしか総括できていません。「先富論」*に基づく生産拡大を支える電力需要を満たすため劣悪な労働環境で増産体制をとり続けた結果、炭鉱労働者に年間数千人規模の死者を出している(「赤旗」に記事があったと思うが、いま検索できない)中国を、「資本主義を離脱し、市場経済を通じて社会主義をめざす国」という、発展途上の資本主義国とは別のカテゴリーで把握し、その影響か、中国国内における人権問題に対しても、きわめて寛容な態度(人文学徒さんが批判される「社会主義生成期論」に似た消極的容認)をとり続けています。一旦は「社会植民地主義」として非難したその中国を、です。
自分の党を公然と攻撃しなくなったからといって、政権党としての地位・態度は何も変っていないのに、「東欧の激変」と「天安門事件」後になって、にこやかに握手できる感覚を、私は信じられない思いで見てきました。
この点は、さつきさんへの昨年10/3付投稿でも、ベトナム侵略・天安門事件・宗教団体法輪功への弾圧・オピニオン誌『戦略と管理』への発行停止処分という諸事実を挙げて、触れたところです。
*先富論 「平等でなく、先に豊かになる人を認める政策」だということです(「赤旗」2月7日(月)付2面)。つまり、この「先富者」が牽引車となって、国民経済全体を向上させるということでしょう。「平等でなく」というところが、大事なミソだと思います。利己的なインセンティブを正面から肯定しています。
これは、竹中平蔵経済財政担当相が持論とする「トリクル・ダウン理論」と瓜二つではないかと思います。
ちなみに、この「赤旗」とは、学者・研究者党後援会における不破議長の講演の記事ですが、中国を専門とする「京都の大学教授」が、自分の知らなかった話を聞けて感動したという感想を述べています。こうした「耳寄りな話」を学者・研究者向けにとっておいて、こういう「質問会」で出すところに、知識人向けの党中央の「指導政策」が滲み出ていると思います。「知らなかったことを出されると、分析が深いと錯覚する」のが、彼らの性癖だからです。
これは、私のまったくの印象に過ぎませんが、中国が「東欧の激変」に辛うじて生き残れたのは、強大な中央権力が存在していた上に、これら東欧諸国よりも国民の民主主義的な鍛えられ方・国民内の民主主義的勢力の成長が不足していたために、民主化運動の主たる担い手をひ弱な学生層・知識人層に依拠せざるをえず、政権党が容易に弾圧できたからだと考えています。ベトナムのように、政権党がアタフタしながらドイモイを実行し、何とか軟着陸をしようともがいていた国とは、随分事情が違っていると思います。
したがって、まだ「崩壊前」である今の中国社会と中国共産党による統治をどのように評価するかは、「社会主義の崩壊」からどのような総括と教訓を導くかの基本に関わる事柄だと思っているのです。
(このテーマについては、たしか、paulさんとForza Giapponさんが投稿されていたように思いますが、表題参照に止まっているので、間違いがたくさんあるかも知れません。不勉強で済みません。今度読ませていただきます)
このように、現在の中国を「東欧に続くべきだった過程が頓挫した」まだ「崩壊前」の「社会主義国」だと考えた場合、「それでは、今の中国の政治体制は、『社会主義』なのか」が問題となると思います。そして、その答えは、「マルクス主義を標榜する政党が政権に就いているかどうか」ではなく、「実質的な生産関係において、労働者階級を中心とする人民によって、民主主義的に、生産手段の社会的所有が行われているかどうか」によって決せられるべきだと考えています。
社会主義の基本的特徴であるところの、生産手段を「社会が直接握っている」と言えるためには、当該社会において(特に生産管理面での)民主主義が実質的に保障されている必要があり、またその前提となる言論表現の自由等の人権の実質的保障が不可欠である、ということが、「社会主義の崩壊」からの痛切な教訓であったと考えているからです。
この点、従来の社会主義理論は、どちらかというと「社会主義社会においてこそ、民主主義や人権が実質的に保障されうる」と把握して、民主主義や人権の実質的保障は、「社会主義の成果」であって、「社会主義と言えるかどうかを決する指標ではない」と考えていたように思います。「社会主義かどうか」は、あくまで土台である「生産関係」の即物的関係で把握できる、と考えていたのです。それは、「所有」概念を、無意識のうちに、ブルジョア社会における「私所有権」の類推で考えていたからかも知れません。
しかし、それでは「社会が直接握る」という概念の内容は、一向に明らかにされえません。「所有」についても、ちょうど、ブルジョア社会における「私的所有」が、資本家階級の権力に裏付けられた生産手段の特定個人や個人集団による排他的全面的な事実支配であるように(そこに、本質的な民主主義は存在しません。株式会社の株主主権というのも、実際の少数資本家による支配を覆い隠すものでしかないと考えています)、観念的に構成された「権利内容」の問題ではなく、その支配の実質がどのようなものかが問題です。
とすると、政治制度(=上部構造)の内容を含めた事実支配の形態を、「社会的所有」の把握においても初めから問題とすべきだった、と考えています。誰が元凶かは知りませんが、そこを「制度」と「成果」というように切り離して、労働者階級を「代表する」勢力が「権力を獲得した」ことをもって「社会的所有は達成された」と考えたところに、大きな間違いがあったと思っています。むしろ、全人民による民主主義と人権の実質的保障がないところに、「社会的所有」はありえない、と考えるべきだったのです。
その見地から見た場合、現代中国は、河清漣著・坂井臣之助/中川友訳『中国 現代化の落とし穴 噴火口上の中国』(2002年12月 草思社刊)がいうように、北朝鮮ほどの世襲国家ではないものの、中国政府と中国共産党が一体となった政治・経済・知識エリート集団による、権力の私物化を通じた社会資源の私的占有を特徴とする、一定の排他的血縁集団の独裁国家だと考えるのが、もっとも実態に適していると思います。
権力行使は、公式理論では「労働者階級の代表者」だとされる党機関や中央・地方政府の長などによって、限りなく私物化されているのです。
この点、ロム3さんは、私宛の2/1付投稿で、中国の人権状況について私と同じ事実認識に立ちながら、そこから、生産力が遅れた現存の社会主義(=中国)よりも高度に生産力が発展した資本主義(=アメリカ)の方がまだましだとか、実力もないのに権力だけ取って、苦労して権力を維持するよりは、権力が自然に掌中に転げ込んでくるだけの実力をつける方が先、というような(奇妙な)方向に、教訓の論理を「発展」させていらっしゃるのです。
もっとも、中国は「実力」があって革命を行ったと評価されていますが、2/5付では「力のないものが取った権力は恐怖政治を巻き起こします」とおっしゃっており、しかも、ロム3さんは、現在の中国における「恐怖政治」を肯定されるのですから、支離滅裂な印象がします。
結局、ロム3さんがおっしゃりたいことは、「とりあえず資本主義で生産力が行き着くところまで行かせることに専念し、その中での人権擁護運動によって実力をつける。政権を取るのは、その後だ」というような段階論、及び両課題(=人権擁護と権力獲得)の対立的把握ではありませんか。
その結果、例えば現存の中国国内における人権侵害は、その原因である「経済的発展」を「さらに推し進める」ことによって解消の基礎条件ができるというような、つまり、もっとひどい人権侵害を招来することを通じて、「人権を擁護する」というような、逆立ちした論理になってしまうのだと思います。そして、わが国で情報革命が進んでいるのに失業者が増えているのも、「正に夜明け前の漆黒の闇だ」などと、優雅に論評されているのだと思います。「痛みに耐えていれば、そのうち景気は上向く」と言っているどこかの首相と、驚くほど論理が似ています。
生産力が向上しなければ、今の豊かな生活は保障されないでしょう。暖房もなく、食物もとぼしく震え上がっていても、権力がほしいですか?(ロム3さんの2/5付投稿)
これも、誤解に基づく発言だと思います。どうも、ロム3さんは、「生産力の向上」が自然現象であるかのように考えていらっしゃる気がします。ロム3さんの「弁証法的唯物論」「史的唯物論」では、そのようになるのですか? その「生産力」は誰が担い、誰が「向上」させているのでしょうか。
結局、「獲得した権力を利用して、豊かな生活をよりいっそう保障する」可能性を、ロム3さんは否定され、「権力獲得前の、抽象的な『生産力』の『向上』」が大事だといわれているのだと思います。「生産力の向上」の過程で、現代社会でそれを実際に担っている労働者がどれだけ苦しんでも、「実力がつくまでは、政権獲得の運動は控えよ」といっているのです。しかし、その理由は示されていません。
ここでまた、何のために権力を取るのかを復習していただきたいと思います。人権を守ることが出来さえすれば権力はどうでもいいのです。(ロム3さんの2/5付投稿)
この点に関しては、私の質問の意味が、どうしてもロム3さんに伝わっていないと思うのです。「人権を守ることが出来さえすれば」、とロム3さんはおっしゃいますが、人権を本当に守りぬくためには、権力を取らねばならない、ということをどう考えるか、ということです。「権力はどうでもいい」ということは、結局「人権を守ることはどうでもいい」といっているのと同じだと、私は質問しているのです。
「何のために権力を取るのかを復習していただきたい」とおっしゃいますが、私は、「人権を守るために権力獲得が是非必要だ」と明言しています。権力の獲得が自己目的だなどとは言っておりません。同じ応答の繰り返しでは、議論は発展しません。それとも、「人権を守ることが出来さえすれば権力はどうでもいい」とおっしゃるロム3さんは、「企業家」が権力を握ったままでも、「人権を守る」ことは十分可能だとでもお考えなのでしょうか。現代社会に対する、そういうご認識ですか? なぜ、生産現場で「アカ差別」のような人権侵害が発生するのですか?
ロム3さんがここで答えるべきなのは、「権力獲得がなくても、人権はどこまでも守り抜くことができる」という根拠、または、「権力を取らなければ人権は守り抜けない」という考え方が誤りである理由だと思います。部分的には、「権力を取ると、その維持にばかり目が行きがちだ」とロム3さんは理由をおっしゃっていますが、それがなぜ「人権を守り抜けなくなる」理由となるのか、「権力を取っても、その維持だけでなく、権力獲得の目的であった人権保障に向けて政治の力を活用することに努める」ことが、なぜできないと言えるのかが、ここでの問題なのではないでしょうか。
歴史的に人権を侵害してきたトップバッターは、政治権力です。その動機は、階級支配の維持・存続です。その事実自体は、ロム3さんも否定できないのではありませんか? だから、その権力自体の所在を変更しなければ人権侵害はなくならないし、日常からそれを「自覚的課題として追求」しなければならないと、私はいっているのです。
「フランス革命なら、ナポレオンという独裁政権に道を開いた」とは、まじめな言葉とも思えません。今でも「ナポレオンの独裁政権」があるとでもおっしゃるのでしょうか。私は、時代認識・歴史認識(=不可逆的な、封建社会から資本主義社会への転化に伴う、不可侵の財産権・経済的自由権等の人権保障)を訊いているのであり、「事実経過」を訊いているのではありません。
さらに、いま述べてきたような日本共産党の立後れは、ロム3さんも適切に指摘されているように、「社会主義の崩壊」に対する深い分析・評価の点についてだけではないと思います。
1990年代以降の、インターネットの普及等にも支えられた地球規模での市民運動の発展と連帯に対して、日本共産党は、それを歓迎しながらも、これを自己がめざす社会の根本的変革の道筋に総体としてどのように位置づけるか、また社会主義勢力としてこれらの市民運動にどう関わって行くか、明確かつ確固とした認識と方針を持てないままでいると感じています。私も、その必要性は感じつつも、理論的に体系化した認識を持っているわけではありません。それで、「草の根の運動と言われてもいまいちピンと来ない」ようなことを述べたのです。草の根の運動のイメージ自体が持てないわけではありません。人文学徒さんが「勝手連的に支援する」とおっしゃっていることも、党と草の根の運動との関係を構想する一つの提案だと考えております(人文学徒さん済みません。まだ2/7付投稿をコピーしただけで検討していません)。
ロム3さんが力説される、「情報革命の成果と人権擁護運動の発展を通じた社会の根本的変革」という考え方も、90年代以降のこのような世界的規模で生じた運動の変化を捉えたものだと思います。そして、例えばその「情報革命」が何によってもたらされたかを考えると、それは人民の運動によってというよりは、多国籍化した巨大資本による情報インフラ整備への欲求と、これを現実に可能にした「生産力の高度な発展」によってだ、と指摘されているのだと思っています。
この「情報革命」の恩恵があればこそ、こうして見ず知らずの皆さんと突っ込んだ議論ができるのですから、この指摘に反対するつもりはありません。
しかし、それでは、生産関係における資本家階級と労働者階級の区別は消失したのか、階級支配や搾取はなくなったのか、これを維持するための政治的抑圧・支配はなくなったのかといえば、そんなことはないでしょう。一時期盛んに喧伝された「総中流化」でさえ、90年代後半以降の二極化の進展によって、その幻想性が明らかになっています。
階級社会と言う言葉もいずれなくなるでしょう。これからは、階層社会になると思います。
すくなくとも、男女の階級差はかなりなくなってきました。(ロム3さんの2/5付投稿)
これは結局、「これまでの(書かれた)すべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」「現代、すなわちブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたという特徴をもっている」ということ(マルクス・エンゲルス「共産党宣言」)が、(将来ではなく)今の社会(「今の世の中を資本主義とは、言わないそうですね」)からはそうでなくなる、というのが、ロム3さんがいわれる「史的唯物論(の発展形態)」だということでしょうか? それが史的唯物論、ひいては弁証法的唯物論の放棄ではないことを、是非説明して下さい。
ロム3さんの見解においては、「生産力」は概ね理解できますが、「生産関係」「階級」「搾取」はどのように理解すればよいのでしょうか。「生産力」は、具体的な「生産関係」の中で発展していくものではないのですか? 「生産力の向上」と「技術革新の実用化」とは、どこが違っているのでしょうか?
また、「男女の階級差」というのは、従来は、生産関係上「男女」によって区別がなされていた、ということでしょうが、それが従来の「史的唯物論」だとも、とても思えないのです。
ロム3さんが指摘される「階層」区別の指標も、管理労働と直接的生産労働の区別の新しい形態と見られるだけで、経済的見地からの階級消失の理由とはならないでしょう。一方で、「派遣・請負労働者」を人間部品のように使った人格無視の生産が進められ、他方で「画一的大量ライン生産から、多品種少量のスポット生産へ」と生産の主流形態が変化する中での「多能工」化の強制が進められて、「自己啓発のできない奴は会社を去れ」と言わんばかりの労働者間の競争が煽られていますが、どちらにしても、「資本の都合による労働者の搾取」が強められていることに変りはないと考えます。
これを単なる「人権問題」とだけ捉えるのでは、人権侵害の根本的原因(資本の搾取欲求と、これへの抵抗に対して権力が行う抑圧)を曖昧にすることになります。入口が人権問題でも、どこまでもそれ「だけ」を追求していては、結局人権侵害はなくなりません。
直接の生産だけではありません。今の世の中で、どれだけの商業労働者が、自分が売っている商品が本当に「社会に是非とも必要なものだ」という確信を持っていられるのでしょうか。「販売」は、消費者にとって「大して必要もない」物を「なくてはならない物」だと勘違いさせる巨大な詐欺のようにも見えるのです。ちょっとした欲望を満たすアイディアを生み続けることが「人類の文化的進歩」であり、資本主義のメリットだと本気で考えるならば、阪神淡路大震災や新潟中越大震災に、なぜあれだけの無名の人々がボランティアに立ち上がったか、説明できないでしょう。
人為的に肥大化させられた消費欲望に囚われ、アメリカの製薬会社による知的財産権主張のため、使い易い剤型のエイズ治療薬が高くて購入できない低開発国のこどもたちが、バタバタと死んで行っていることに無関心でいられるような、そんな歪んだ人間にはなりたくない、この社会はどこか大きく間違っている、しかしそれがどこなのかはよく分らないし、「大して必要もない物を売っている」と言われても、生活のために売り続けなくてはならない。「おかしい」と声を上げれば、愛媛県警の仙波巡査部長のように、報復人事で昇任はできず「人活センター行き」のような見せしめを受ける。「もうウンザリだ」と、多くの民衆は心の中で思っているのではないでしょうか。
ネット社会の発展も、その出自が軍事技術の転用にある(もちろん、本家の技術はいっそう発展しています)ことや、実体経済の何十倍もの規模の「マネー資本主義」の跳梁跋扈の場を提供していること等を考えると、「それが人権の発展を促した」とは到底言えないと考えています。
ディジタル・デバイドは、世界規模でもアフリカの貧困を下支えしているように感じられます。ネットというツールをも駆使した、的確かつ自覚的な運動の発展がない限り、自動的・牧歌的に人権が発展することなどありえない、というのが私の認識です。大事なことは「ツールの発展」ではなく、人間の自覚的な運動の発展だと思うのです。だからこそ、「その運動の目標は何に置かれるべきか」が、厳しく問われるのだと思うのです。
この点に対して結局、ロム3さんは、「実力がつくまでは、個々の人権侵害解消を目標とした運動でよい」とおっしゃるのでしょう?
仮にロム3さんが、「転がり込んでくる権力を掌握する必要性」を肯定したとして、その「実力」はどうやって事前につけるのでしょうか? それはまさに、個々の運動課題を、目的意識的に「政治の変革=政権の獲得」へと結びつける、地道で継続的な活動とその総括の繰返しによってのみ、可能なのではありませんか? 「人権運動さえやっていれば、『政権を担う実力』は自然に身につく」と考えるのは、結局、永遠に「実力はいつの日か身につくだろう」という希望的観測に、「社会主義的変革」の未来を投出すことに他ならない、と考えるのです。
(以上続く)