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「組織論・運動論」討論欄

大阪市と、労働者と労働組合と労働者階級の関係

2005/02/21 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 今、大阪市の労働組合が世の中の「市民」から福利厚生や手当、更には仕事に着用している制服までが「厚遇だ」として非難されている、財政難に苦しむ大阪市にとって、職員の面倒はこれ以上見れないということだ。
 昔、公務員の給料は少なかった、ただ「恩給」と言う制度があり「身分が安定しているから公務員でもなるか」と言う風潮があった、もちろん東大出の上級職など・エリートとは別の普通の人々の感覚である。
 しかし地道な労働組合の交渉と、民間給与との格差是正の努力から、今日の水準に至ったのだ、ただ税金の徴収先である民間企業の不況、リストラなどで税収が減少し、そして「三位一体の改革」などが重なった結果、今日の「重荷」となったに過ぎない。
 一部か知らないが職員の労働条件は日増しに悪化している、サービス残業など指数に表せない仕事が増加し、若い人の中には深夜止む無く働いている人もいるそうだ。
 今回のケースの場合、大阪市の労働組合が特別に悪いのではなく、財政難で悩む自治体が、無理やり財源を捜そうとして発生した対立に過ぎない。
 大阪市が強引に「市民の声」を借りて身内から探し出した財源候補なのだ。
 民間企業でも作業服は支給されている、大阪市の「スーツ代を返せ」という市民の声はトンでもない間違である。

 しかし「労働者とは一体何なのか」がやはり問われているのかもしれない。
 マルクスやエンゲルスが論じ、レーニンが指導した労働者、労働組合、そして労働者階級とは一体何なのだろうか?
 プロレタリアート・労働者階級とは一体なんなのか。
 ブルジョワジー、資本家階級がそれなりに特定されるのに対し、世の中の圧倒的過半を占め、労働する事によって世の中の価値を生み出し、剰余価値を生み出して資本家に奉仕し、吸い取られている労働者階級とは一体なのなのだろう。
 このサイトでも「労働組合の組織率が20%を割ったからもうダメだ」という意見がある、しかしこの意見はもっとも重要な事をすっかり忘れている、それでは後の80%は何だというのだ、幽霊だとでも言うのか、違う同じ労働者なのだ、そしてこの20%と80%にもカウントされない人々すら世の中には多数存在する。
 丁度、毎月発表される「失業率」に所謂「ニート」の若者(いまや百万人にも及ぶと言われている)が、そして職を捜そうにも働き口のない中高年が含まれていないと同じである、「政府発表指数に騙されるな」ではある。
 ある「ユニオン」とか言う一人加入可能な労働組合の人に聞いた、「労働組合と労働者とはどう違うのですか」と、そしたら彼は真顔で答えたものだ、「労働組合に入れば労働三法などの保護が受けられる、組合には色々な権利が与えられている労働組合はもっとも必要だ」と、ごもっとも、しかし今問題なのは、同じく働いているのに、その権利も何も与えられず、資本の云うままに働かされ、置いてきぼりにされている残りの80%の労働者をどうするかと言う事ではないのか。
 それがマルクスやエンゲルス、そしてレーニンが言う労働者階級、プロレタリアートの階級的立場ではないのか。
 一人加入可能の組合なら普段に、たゆむことなく、働いている労働者に労働組合の結成を呼びかけ、労働組合加入を訴えかけることではないのか、それが労働組合としての最低限の役目・役割ではないのか、「俺は労働者階級」と自覚した人間の、最低限の役割である筈だ。
 組織率が20%を割ったと嘆く人間や、ショボショボの労働組合しか作っていないのにえらそうに「俺は頑張っている」と威張りたがる少数組合の人間ばかりいるから、資本にも企業にも自民党政治家に勝てないのだ。
 「労働者階級」が何かを知ろうとしない人間ガいるから、労働組合が腐敗し利権団体などと指弾されるのである。

 大阪市では本来仲間である筈の労働組合と、市民オンブスマンが敵対関係に入ってしまった、裏でほくそ笑むヤツが気にかかる。
 大阪市市職労は今、仲間を見失っている、「市民」という労働者から批判されて何も出来なくなっている。