返レス有難うございました。思いつくままに御回答します。先ず私の立場は
「党に見切りを付けて最近離党したもの」であります。よって貴方の御指摘のように
「後向き」なのは事実でしょう。但し貴方が指摘されたような「前向きの努力」は今
まで散々してきたつもりですし、離党は「もうこれ以上しても徒労なだけ」と判断し
た結果なのであります。さて、
1)市田問題
私が市田の「利己的現職おろし」の論拠としたのは、「現状分析と対抗戦略」欄昨
年5月5日付原仙作氏の御投稿並びに宮地健一氏のH
Phttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htmlに基いています。「現職3人お
ろし」という不可解な戦術変更の理由について、市田の「弁証法的、科学的に分析し
た結果」などという訳の判らない説明よりも、少なくとも原、宮地両氏の「市田の議
席欲しさの利己的動機」という方が余程納得がいったのです。「他人の説の受売りで
論拠にならない」かも知れませんが、十分説得力のある内容ですので是非御参照下さ
い。私は「比例代表メンバーは党の顔。よって知名度も実績もある現職3人をおろし
たことは、得票減に繋がった」と判断しています。
2)党本部ビル立替問題
貴方の仰る「ビルに見合った運動を造りだせば良い」は、箱物行政の論理ではあり
ませんか。バブル期、国や自治体は「先ず箱物を造ればそれに見合った需要も生み出
せる」として、競って箱物を造りました。しかしバブルの崩壊により予想された需要
は生み出せず、財政破綻に繋がりました。このとき箱物造りに反対したのは日本共産
党でした。無論それはそれで正しかったのですが、現在の本部ビル立替は正にこの
「箱物行政」と同じですよ。運動が創り出せなければ、党財政は確実に破綻してしま
いますよ。少なくとも地区常任給与の遅配欠配が戦後60年経っても解消されずボロ
ボロの事務所で活動している時、党本部ビルだけ多額の費用をかけて建替えるのは全
く納得がいきません。
3)赤旗について
私も度々投稿してきましたし、記者の方々は「面白い紙面を作ろう」と懸命に努力
されています。しかし「機関紙は運動の反映」です。幾ら努力しても現在のように運
動の質が低下していれば、それに見合った紙面しかできないのです。何回も脚を運べ
ば相手も根負けして購読してくれます。しかし何ヶ月かして「つんどく状態だから辞
めるわ」という経験は散々してきました。
4)選挙総括及び党中央批判について
貴方は「党の中で積極的に叫べばよい」と仰いましたが、如何に程遠い実態か御紹
介しましょう。むろん私の乏しい経験を一般化するつもりはありませんが、私の属し
ていた支部が特別出来が悪かったとも思わないし、他の支部も似たり寄ったりだろう
として、論を進めます。先ず、選挙後の支部会議は高齢者が多いせいもあり、選挙疲
れで極端に出席率が悪くなります。折角意気込んで会議に出席しても、定刻より大幅
に遅れてやっと始まり、私1人「不破議長の敗因を内に求めず謀略ビラのせいにする
のはけしからん」などといってみたところで、数少ない出席者は誰も反応せず。指導
の地区常任には、露骨に「会議の時間も残り少なくなっているのに、俺は今日敗戦後
の党勢拡大計画を支部段階で具体化するよう地区から言われてきているんだぞ。つべ
こべ党中央を批判する暇があったらもっと党勢拡大に励め」という態度を取られます。
こうしてアッという間に1,2ヶ月が過ぎて選挙総括はうやむやのままです。
5)党大会について
全党討論があります。報告集には90年の19大会までは党中央に批判的意見も掲
載されました。しかし94年の20大会以後は規約の「誹謗中傷を用いてはならない」
という文言の拡大解釈により、批判的意見は掲載されなくなりました。そのことはさ
ておき、貴方は「党大会に出席して意見を言えばよい」と仰いましたが、それがどれ
程困難か解りますか?先ず党大会の大まかな(何月開催)日程は予め発表されますが、
(現実の政治日程との絡みもあるので)具体的日程(何日から何日まで)が発表され
るのはせいぜい2,3ヶ月前です。仕事を持ちながら2,3ヶ月前に「党大会期間の
為の数日間の革命休暇」を確保すること自体大変です。そして大会代議員になろうと
思えば地区、県党会議を経なければなりません。この地区、県代議員になること自体
は「わざわざ1日潰して会議に出席しよう」などという党員も少ない昨今さほど困難
ではありません。しかし党大会代議員になろうと思えば県党の推薦を受けないといけ
ないので、批判的意見を表に出せば先ず推薦は貰えません。無論それでも立候補はで
きますが、推薦の無いものは不信任されるのが落ちです。たとえ批判を隠して県党の
推薦を貰って大会代議員になったとしても、大会で発言は先ずできません。何故なら
代議員の発言自体予め組織されているわけですし、発言通告制度はありますが通告内
容ではねられてしまうでしょう。せいぜい大会でできる抵抗は、大会議案に反対挙手
することと党役員の信任投票で不信任票を投ずることくらいですよ。ま貴方の仰るよ
うに私の中にも「かつての民主党大会で若手議員が鳩山党首(当時)をとっちめたよ
うに、共産党大会で若手議員が不破、志位、市田をとっちめてくれないかな」という
他力本願的願望があったことも事実です。
6)以上貴方への回答にな?かどうか判りませんが。私なりに党に在籍していた間
は「批判の自由と行動の一致の精神で党活動を続けてきた」つもりです。しかし最早
「この党に未来は無い」と判断して離党しました。以上を付け加えて筆を措くことに
します。