既に主題別討論欄への投稿諸氏や、編集部員による『通信・既刊号』でも論及されてきた問題だと思われるが、中央委員会は、現行党規約の『逐条解釈書』を全党に公表すべきではないだろうか。
法律学を少しでも学んだ人なら誰でも一度や二度は聞いたことがあるはずだが、「コンメンタール」というツールがある。(英語圏の人ならコメンタリーなのだが)よっぽど瑣末な下位法令は別として、各法分野ごとに存在する注釈集である。これは基本書や標準的テキストのみでは言及しきれない各条の細部にわたるまで懇切丁寧に法解釈が付されている。
もちろん、法改正はつきものだし、判例にしてもときには最高裁とかが判例変更するような事態すらある。時代の変遷とともに条文改正や既存判例を以ってしても対応しきれないケースも出てくるし、解釈そのものについても変化がありうるから、適宜の改訂版などで更新されている。
自動車になぞらえると、さしずめマイナーチェンジだろうか。
たとえ話はこれくらいにして、党中央は規約の『逐条解釈書』を全党に公表すべき(むしろ遅きに失したのではないかと思うが。)時期に入っているはずだ。あれだけ無辜の良心的で良質な党員を党外に追放し、あるいは全国で総計1000人弱(これは宮地説。)の専従者の人生を狂わせ、その家族をもろとも生活苦に追いやり、ひいては結果的に、少なからぬ無党派有権者や悪意的反共団体の醸成に寄与してきたにもかかわらず、いっこうに懺悔することのみられない政党が、その体質において再生しうるか否か。
これには多くの必要充分条件が求められえようが、その最初の第一歩のそのまた第一歩のうちのひとつに「逐条解釈書の全党公表ならびに、あまねく周知させること」が見過ごされてはならないと思われる。
現行規約は付則も含めると全部で57ヶ条の条数がある。詳細は不勉強なので不明だがこれは諸外国の共産党の党規約平均よりは概ね少ない条数らしい。モスクワ帰りの某先輩氏によれば、「各条ごとの文字数もけっして多い方ではないと思う」とのコメントである。
手元にある『文献パンフ版・党綱領&党規約』(04年5月15日発行、税込200円、A5版、全40頁)でも規約に費やされているページ数は僅か16ページにすぎない。規約本則と付則のすべてにわたり各条ごとに逐条解釈を付すとして、たとえば、A5版で中身のマシな『逐条解釈書』を編集すれば何ページぐらいになるだろうか。分冊で各300頁(?)近いだろうか。そこまでいかないだろうか。
今後大掛かりな粛清が再発しないことを心から祈るが、見せしめ的に小規模な異論者排除は充分ありうるかもしれない(論拠を示せといわれると困るのだが。)。そうした際の解釈運用実態をももれなく適宜に増補追加するぐらいの誠意は中央は示したほうが良いだろう。まあいずれにしても、装丁を立派にする必要なんてない。トートバッグやデイパックなどに入れて気軽に携帯できるものならありがたい。ソフトカバー装なら過不足がないと思う。要は内容だから。
元・宮本委員長時代の頃にすでに存在し、最も具体的なトラブル断罪に根拠条文として直結してきたしまた今後も起こり得ると思われることがらに対応する条文が付則部分も含めいくつかあるが、逆に、一般党員があまり心配するに値しない、そういった「軽い」条項もあるだろう。また、編集の際はぜひとも「事項索引」(キーワード索引)や、「事件名索引」を巻末に付けることを怠らないことを望む。たとえば、ぼくよりうんと年上の世代であれば「新日和見主義事件」「1963年スト事件」などとかのキーワードで検索できるように配慮があってしかるべきだ。各条ごとに適切な「条文見出し」も欠かしてほしくない。これでいつでも素早く参照できるはずだ。
刑事法学でいうところの罪刑法定主義よりもはるかに劣る「罪刑“党定”主義」「党許の哲学」とでも称すべき恣意的で裁量的で醜悪な党規約濫用が、逐条解釈書の全党公表とその後の徹底教育によって僅かでも是正されることを希って、党中央がすみやかな編纂作業に着手することを要求したい。その際、過去に査問(調査審議)官として党員を取り調べた前科のある幹部級党員が編纂作業に携わることは、いかなる事由があっても極力許すべきではないことは論を俟たない。
なにより生身の個々の一般党員からみて人権感覚の劣悪な者はもれなく編纂委員から排除されなければ意味がない。党支持者の目線から見て、どうも党官僚には次のような法格言に陰(いん)にシンパシーを感じる人が少なくないのではないかと感じさせられる体験が過去にあったのも軽視できない。
「法律とは、自在に伸び縮みするモノサシのごとくである」
by 故・毛沢東(元・中国国家主席)
「法律は、人民のためにあるのではなく、為政者のためにあるのだ」
by 作者不詳
大げさでなく、新たに作られる逐条書は一般党員にとって真に信頼のおける「党内規律に関する最後のよりどころ」「党内デモクラシーをめざすバイブル」でなければ意味がないのだ。市民的・政治的自由と水平間異論交流、最高幹部に対する基礎組織レベルからの解任要求権の確立とその充分な制度的保障などなど、トップダウン型組織をボトムアップ型健全組織にアウフヘーベンしてゆくプロセスに一助となる性質のものであればなおさら良い。党員である前に世界基準でいう意味の「当たり前の常識」が明文で保障されていなければ、これまた意味がない。
現行規約は良心的な党員や支持者が見ればきわめて問題が多いが、規約改正に係る次期党大会がいったい何年後に招集されるのか不透明(怒!)である以上、この規約に拘束(いや、心理的脅迫とでも言いたいところだが。)される38万党員の党内における人権擁護に最大限の努力をはらう義務が党中央にあるはずである。事実、2000年11月以降も党にとどまり革新の火を消させない決意で今日に至る友人数人は、日々、内心はこの規約に戦々恐々としているのだ。中にはため息混じりにつぶやく党員(青年)もいる。
「《悪法モ亦法ナリ》って法格言があるけど、党にとどまる以上“査問”にかけられないように用心しなきゃね」と・・・。
「1985年12月に坂本中央委員(当時)が伊里さんに対し示した」とされる文書を熟読する機会に恵まれたが、(分量の面で)不充分とはいえ一応アクチュアルな解釈運用指針ではないか?との感想をもった。小見出しは『統一解釈書抜粋――下部党組織が党全国大会に議案提出することはできるか』となっている(P.99~101、その本は友人から借りて当該箇所を書き写したが、B5版ルーズリーフ僅か1ページ半で足りた)。
かく言うぼくは、現状の党規約のままだと入党する決意をもつことができないのである。なぜなら、秘密警察官僚的な現行規約と、より以上に時代錯誤で非人道的な民主集中制にまったく共感しえないからである。情けないかもしれないが、これが偽りなき心境。
とある先人はこう言っていたそうだ。
「自分の身体にフィットした服を着るか、それとも、身体に合わなくても既製服に身体をムリやり合わせるか。この差は大きい」
と。
ぼくは身体に合わない服を我慢して選ぶことはしないし、できない。自由な個人の意思にもとづく入党選択にしても、上記の先人の言と本質的に同じことではないかと思う。
宮地健一さんのHPによれば、現代の西側先進国の中でいまだに民主集中制にしがみつき続けている共産党ないし社会主義的政党は、「ポルトガルと日本の共産党だけ」だとか。
ロシア社会主義論の権威・南塚教授らによれば、「ロシアや旧東欧諸国の共産党は殆どすべてが民主集中制を廃止したというのが実態である」旨、論じている。「異論者殺し」のため、あるいは党最高権力者の保身のための粛清システムが堅持され続けると、やがては支持していたはずの有権者にも見限られるということなのだろう。やはり政治的自由という果実は左右の別を問わず、また政体の違いがどうであれ、人民に不可欠のものということだろう。ともあれ、一刻も早い「真の党内民主化」を希う。