これは私も刊行委員の端くれをしている『地域と労働運動』という労働運動の
情報誌・交流誌の2005年5月号に投稿したものです。特定党派の出版物ではあり
ませんが、わかりやすく言うと、故・岩井章(元・総評事務局長)氏流に表現すると”
社会党左派・無党派左派”あるいは昔の総評左派とでもなるのでしょうか?所属政党
は違っていますが、学生時代も労働運動に携わっている現在も、日本共産党の中のま
じめな人たちには本当にお世話になってきたし、ずいぶん勉強もさせてもらいました。
社会党や労働組合の右派・労使協調派と「おまえは共産党か?!」と言われて、闘い
続けてきた私の人生とも言えます。だから故に、昨今の状況を見るに忍びず、いたた
まれず書いたものです。
今までもそうであったし、これからも護憲闘争や労働運動で「社共共闘」は続けて
いくでしょうし、さらに推進はしていくつもりです。その前提の上で、みなさんのH
Pをたいへん参考にさせていただきましたので投稿させていただきますが、率直なご
意見をいただければ幸いです。
{日本共産党の労働運動批判・・新自由主義と対決する階級的労働運動構築を!}
<日本共産党の社民化から「保守=資本主義リベラル派」(それも閉鎖的・官僚的な)
への転換・転落>
私は1999年秋の時点で、『日本共産党の「普通の労働運動」とは・・「新日本
共産党宣言」路線と深まる矛盾』(現民主党代議士・小沢一郎の「普通の国」をもじっ
て、日本共産党幹部が「普通の政党をめざす」といったのをもじった)というレポー
トを書いたことがあるが、その時点では「日本共産党が第二社民党の道を歩んでいる」
と述べた。それから5年半、その転落ぶりは新綱領(2004.1)も作り本格的な
ものとなった。地域から職場から新自由主義・グローバリズムと対決する労働運動を
構築すべく日夜奮闘する全国の仲間が看過出来ない事態であるし、もって他山の石と
すべく、私見として問題提起したい。
<急激な転落>
日本共産党の階級闘争からの転落の直接的なきっかけは日本社会党の解体、経済不
況と悪政による国民生活困窮とにより、1998年参議院選挙での圧勝・過去最高の
15議席、比例820万票獲得をふまえ、思い切った柔軟路線で2004年夏の参議
院選挙で勝利しようと思ったからである。この「第3次共産党ブーム」(『唯一の野
党・共産党がわかる本』澤田洋太郎)に乗っかったのであり、マスコミが04.1頃
語っていた「03年総選挙惨敗を受けての柔軟路線への転換」は間違いである。
宮本顕治議長の退陣、不破路線・・89/6に委員長に返り咲き・・(もともとの
発想・体質が構造改革路線・・官僚的な)の本格的確立により、不破哲三議長はこれ
が人生最後の勝負と思ったのであろう。
<新綱領の確立>
04年1月に日本共産党が大会で決定した新綱領は、自衛隊容認、天皇容認、資本
主義容認、独占資本も容認する内容となっている。一部の悪質な(独占)資本家と闘
う(是正さす)ということ。「ルールなき資本主義」をルールあるものにするという
こと。
天皇制は君主制の一種ではないという新綱領の立場で、天皇を君主扱いし、特別扱
いする弔詞決議や賀詞決議に国会・地方議会で、共産党がその歴史上初めて賛成した。
そういうことを党の目標(戦術を戦略どころか綱領にまでもちあげ)にすりかえ、
「良心的な・開明的な」ブルジョア(独占資本家)とは大いに「共同する」。すべて
民主的に国民の意見次第(「国民の合意」)でことを進める。革命はなしに。
<革命概念のすり替えと帝国主義論の歪曲>
従って、革命概念のすり替え(「革命をやらないですむ革命」)と帝国主義論の歪
曲が必要になる。
資本主義枠内の改良政府である「民主連合政府」を「革命政権」とみなす(党内に
は「革命はちゃんとする」と言え、党外の特に資本家などには「恐ろしい革命等はも
うしません」「民主的改革です」と言えるからくり)。
そして、「政変」を「革命」とするすり替えをする。革命とは、「国家権力の階級
間移動」であるということを、「勢力間の権力移動」にすり替える。また、「異常な
対米従属と大企業、財界の横暴な支配の打破」と言って、「異常」と「横暴」さがな
くなればいいのである。
次に帝国主義論の歪曲が必要となる。
日本はもちろん独・仏も伊・英も帝国主義でないとし、米のみ「悪質で、行き過ぎ
た」帝国主義のみ(「その国が独占資本主義の国だ」ではだめで、「その国の政策と
行動に侵略性が体系的に現れているとき帝国主義と呼ぶべきだ」・・これこそカウツ
キー主義だとして、これまで科学的社会主義者が口を極めて批判していたこと)を帝
国主義と見なし、それもブッシュの侵略政策のみ。それさえもあまり主敵とせず(湾
岸戦争以来米帝国主義免罪路線、国連依存主義をとっている)、テロ活動に反対する
ということに力点をおくのである。
しかしこれは早い時点で既定路線になってはいたようである。「反米帝を日本共産
党が放棄?・・本年五月十八日、京都大学教職員組合主催で湾岸戦争問題のシンポジ
ウムが開かれた。・・・注目されたのは、協会と共産党の代表を並べるというしつら
えだけでなく、中東湾岸戦争の性格をめぐっての、とりわけ共産党代表の論点であっ
た。曰く『あれは帝国主義戦争ではない。クウェートの民族自決権の勝利だ。フラン
スなどが入っていて最初からアメリカは規制を受けていた戦争だった。アメリカの力
も弱まった。国連も評価しないといけない』と。そして、『メジャーの石油権益確保
をアメリカはもはや考えない』と数字も示して言うに至っては、あいた口がふさがら
なかった。/京大の学者や参加者が『なぜそこまで『帝国主義戦争でない』と、強調
しないといけないのか』とくいさがることしきり。京大の学者と社会主義協会が“ア
メリカ帝国主義の侵略戦争だ”と言い、共産党の代表が“帝国主義戦争ではない。ア
メリカの力も弱くなった”と言う!」(『社会通信』91.9.11京都A)。
<その実践>
そして、実践的には国鉄闘争等の独占資本・大企業や国家と本格的に闘う闘争はパ
スをし、場合によっては警察・機動隊を導入し、弾圧する必要も(国労革同・・国労
の共産党グループ・・の4党合意推進、全労連の鉄建公団訴訟闘争の圧殺)出る。
また、昨年4月1日の国立病院の独立行政法人化に際しての国立病院賃金職員切り
捨て(大の虫を生かすためには小の虫は殺す)。全労連加盟の全医労は現場の全国的
な突き上げにもかかわらず、当事者たちの満足できる全国的大衆運動を提起しなかっ
た。全国会議では10年以上前から、本部批判ばかりがごうごうと渦巻いていた。2
万余千人の正職員の労組と労使関係を守るため、「賃金職員」という不当に差別され
た低賃金労働者のうち、看護師や検査技師で正職員になれなかった組合員が切り捨て
られた。「私たちはこれからどうやって生きていけばいいの!」と悔し涙を流す女性
組合員の顔は忘れられない。
大学非常勤講師・職員の賃金労働条件の向上を阻止する大手私立「民主的大学」の
労使。・・「筆写は、数年前に京滋地区私立大学教職員組合連合の役員を経験したが、
単位労働組合自体が非正規雇用問題に取り組めない『自縄自縛』状態にあることを痛
感させられた。組合役員経験者が経営に深く関与する学園(いわゆる『民主的学園』)
では『積極的非正規雇用活用論』が幅を利かせており、実際に、多様な形態の非正規
雇用が導入されていた。・・ある大手大学では、当時、女性契約職員が200名を超
え、3年の期間満了で自動的に雇用を打ち切られる結果、事実上、毎年70名近くが
合理的理由なく『雇止め』されていた。『3回以上の反復更新をしたら専任にしなけ
ればならない』『労働判例』がある(?)ので2回で打ち切るのだという、元組合役
員理事の『労働法知識』を活かして導入された『有期契約慣行』ということであった
。・・筆者の役員期間中に、専業的非常勤講師組合から京滋地区私大教連への加盟申
請があった。加盟を受け入れるのは当然と思われたが、『正規教職員と非常勤講師は
立場が違う。非常勤講師組合は私大教連ではなく全国一般に加盟せよ』とする『民主
的学園』教職組役員の傲慢な議論に信じられない思いをした。」(龍谷大学法学部脇
田滋教授『ひょうご労働法律センター』機関誌05.1.25)。この近頃はタレン
トもたくさん卒業している京都の有名な「民主的学園」の労組は、学園のリモコンで、
この単組が京都・全国の私大教連を支配、この学園理事会に共産党府委員会からも幹
部登用、『月刊全労連』に非常勤職組の組合員の論文が掲載されたらクレームをつけ
る・・etc.全く「信じられない」。
これらは確かに日本共産党の名を語って、その党組織そのものでやった「実践」で
はなく企業内組合の正職員のエゴ丸出しの行為ということではある。だが、共産党員
の圧倒的影響下で行っている行為であり、共産党が何ら指導も処分もしないこと自体
が「前衛政党」としては、階級闘争を闘う政党としてはその責任を問われることなの
である。そしてそれは党の方針転換と期を一にしている。
<ミイラ取りがミイラに>
要するに、昨今の日本共産党は票を減らす激突は避ける。少数者は切り捨てる。支
配者に加担する。一時的に「票」を減らすようなことがあっても労働者階級に依拠し
その成長を信じて闘うのでなく、ソニーや堀場製作所の経営者等の「開明的なブルジョ
ア」に身も心もおいて運動を一挙に進め、政権の一角に入りたい。あわよくば「開明
的ブルジョア」をおしたて「保守との共同」「無党派との共同」「健全な社民(広島
以外の新社会党や社民党の一部をさすらしい)」も従えて、「民主連合政府」をつく
りたいということである。
日本共産党第22回大会決議(00/11)は、「修正資本主義の立場にたつ勢力
との共同」と言っている。これは民主党を指す以外には考えられない。
「経済界でそうした前向きの流れが」とも言う。・・トヨタの奥田が「アメリカ型
の新自由主義」に異を唱え、「日本的経営方式」を守るとか「雇用を守る」とかと表
向き押し出していた。このころ、連合のシンポに志位委員長が招待された。経済界と
共産党幹部とのシンポジウムも行われた。
その後、情勢が大きく変ってしまっても、片思いは消えない。
その政策を止めるならアメリカは独占資本主義の体制のままでも帝国主義国ではな
くなる・・ヨーロッパ主要資本主義国を美化するため、つくりあげた“理論”のゆき
つくところが、アメリカ独占資本礼賛に帰結した。「これはレーニン主義の否定に止
まらず、上部構造は基本的に下部構造に規定されるという、唯物史観の否定でもある。
科学的社会主義の放棄といっても良い。なぜこんなことになったのか。現実から出発
して理論を構成するのではなく、ときどきの政策を合理化するため理論をこねあげる
という32年テーゼ以来の宿アを根本的に大手術しないからである」(『科学的社会
主義』04.6坂牛哲郎「日本共産党新綱領批判」)。
<新自由主義と対決する労働運動の構築>
インターネット「さざ波通信」に「新自由主義的『構造改革』との対決姿勢を打ち
出す『社会新報』」との興味ある文章がある(02.1.17S・T編集部員)。
残念ながら『新報』02・1・15号での「主張」欄限りの文章ではある(社民党
が新自由主義との対決路線に全党が立ったとは残念ながら思えないということ)が、
私の興味はそのコメントのほうにある。
「これは、われわれからすれば常識の部類に入るが、しかし、われわれの党である日 本共産党は、いまだに、小泉政権を旧来の自民党政治の延長とみなしている。」「こ の『主張』には渡辺治氏の理論的影響が濃厚である。日本共産党指導部は、渡辺理論 を結局は拒否し、旧来型自民党政治の延長という認識に固執し、また『新自由主義』 という用語を使うことも一貫して回避している」。
日本共産党は、新自由主義どころか国家独占資本主義もなし崩しになくし、何十年
とのっぺらぼうな情勢分析を行っている。社民党のように理論(この「主張」のよう
な)も実践(国労の4党合意のような)もばらばらでなく、“理論と実践が統一”し
ている党であるからこそ、新綱領やその情勢分析の誤りにも紙幅をあえてさいた。
もちろん、私たちは憲法9条改悪反対運動の大きな統一戦線構築に努力しながら、
新自由主義と対決する労働運動の構築、とりわけ鉄建公団訴訟を中心とした国鉄闘争
勝利と地域ユニオンの拡大強化にまい進したい。
05・4・23 山村 竜