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「組織論・運動論」討論欄

修正主義の中途半端さこそ問題

2005/05/23 土佐の頑固者 40代 労働組合活動家

 初めて投稿します。
 私の見るところ、今の日本共産党の基本構造は、陣地論と民主集中制の上に、編集 部の言うところのベルンシュタイン流修正主義が乗っかっているというところだろう か。
 このどこをどう変えるべきなのか。
 まだ、このサイトをつぶさに見ていないので正確なことはいえないが、印象的に言 うと、投稿者の傾向として「党内民主主義の欠如」を精力的に指摘すると同時に? 「修正主義」批判のスタンスを取っているように見える(同時ではなく、別々の人が 別々に指摘しているだけかもしれないが)。
 しかし、私の考えでは、運動路線と組織論は密接な関係があり、革命路線(再生し た革命的路線)と民主集中制の修正・放棄とは結びつかないのではないか。その路線 には、むしろ、民主集中制と陣地論が適合するのではないか(編集部諸氏、投稿者諸 氏の主張を充分把握できていないので保留にしておく)。
 私は、修正主義が中途半端だと考えている。それは、政策・路線の中途半端さとい うことと、古い皮袋(陣地論と民主集中制)を捨てようとしていないところに中途半 端さの元凶があると思われる。
 民主集中制を擁護したいがあまり、「組織ならどこでも、自民党でさえ掲げる基本 原則」という点を強調するが、そうであるならばそこまで必死に擁護すること自体が おかしい。一般的な原則とは異なる点があるからこそ、必死になって擁護していると 見るのが素直な見方だ。それは、思想的統一と分派の排除(結果として異なる思想の 排除にまで行き着いていることを幹部は認識していないであろうが)。現在の党内で あまりこのことが表面だっていないのは、それだけ活力がなくなっているということ ではないか(異端は排除されたか、幹部の需要力のなさと排他主義に発言する気力を なくしているか)。
 陣地論も民主集中制とあいまって硬直的な(この表現がきつければ、硬質な)組織 を作り出している。「革命」のための多数派形成の方法論としての陣地の拡大。思想 的な均一度・忠誠度の高い党員の拡大、読者、後援会員の獲得。大衆運動毎に(その 内部?裏?に)党組織を建設して行くという「二本足の活動」。
 私は、この2つを一般論として否定している訳ではない。それなりの時代背景の下 では、一般論としてだけではなく現実的にも大きな力を発揮したであろう、と思う。
 だが、問題にしているのは、今の成熟した資本主義の日本でのことだ(資本主義と あえて形容する必要はないとも思うが)。日本を修正的に変革していこうとした場合 のことだ。
 中国の「社会主義的市場経済」を礼賛するより、日本の資本主義(労働運動、NP O等批判的勢力をも抱え込んだものとして)の可能性について真剣に研究した方が良 いのではないか。競争と批判勢力をかかえ込んでいるところからくる「自己変革」機 能。自由を求める人間の本性と基本的には適合する(対応する)ものとしての市場経 済。
 「市場経済」と「計画経済」との効率性、人間性への適応度等に関する勝負は、歴 史的にはついていると私は判断する。残る問題は、市場をコントロールするために、 いかに規制、計画を取り入れるのか。また、誰のために規制、コントロールをするの かという点で、政治的な勢力をどう結集するのかという問題。
 そういう点では、路線修正が甘いということではない。「自衛隊の容認」、「市場 経済の容認」という表面の話ではなく、市場経済の基本原則を政策と党理念にしっか りと位置づけ、それ(市場)にどう修正を加えるのか、そしてその実現のプロセスを どう描くのかを確定することが問題だろう。少なくとも「ゴーデスベルグ綱領」の線 までは速やかに到達してほしい。
 本気で今の日本を変えようと思うのであれば、本気で政権を目指さなければならな いだろう。政権批判をし、主張の正当性(実現可能性ではなく首尾一貫性・無矛盾性) をアピールし、現政権が自分たちの主張の一部とでも似通った政策を採ったことを自 己主張の「実現」といっているようでは、「異議申し立て政党」から100年、20 0年たっても抜け出せないだろう。
 今の日本共産党は、本気で政権を目指していない、としか思えない。でなければ、 本当の空想家だ。
 政権をとるための視点。社会のどの層に依拠すべきなのか、もっと真剣に考えるべ きだ。政治の谷間に居る人たち、もっとも政治の力を必要としている人たちが、必ず しも社会変革の主体ではないということを考えるべきだ。
 抜本的な路線の転換=政権を目指す党への脱皮は、必然的に陣地論と民主集中制の 放棄を要求する。
 詳細は、また、後日投稿します。