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「組織論・運動論」討論欄

スカンジナビアさん・河口さんへ 新社会党との共闘について

2006/05/03 風来坊 50代 自営業

 私には、新社会党の共闘拒否が共産党のセクト主義、ご都合主義としか思えません。そしてこのような事が起きる度に、84年の原水運動分裂の固定化の時の共産党のセクト主義的な対応が浮かんできます。
 2005年8月14日のKM生さんの「頑固ものさんへ。原水禁分裂固定化の責任は誰にある」。にはこのように書かれています。
1)63年「部分核停」を巡る「禁と協への分裂」は、確かに旧社会党系に非がありました。しかし、分裂後も「再統一への努力協議」は粘り強く続けられました。しかし残念なことに、84年を最後にこうした協議は一切行なわれなくなりました。即ちこの年を最後に、「分裂固定化」したまま現在に至っています。
2)何故この年に分裂固定化したのか?共産党系の原水協や平和委員会代表が、禁や主婦連、生協連等との統一協議において決定された「団旗自粛」を党中央が「自粛すれば運動の主導権を連合系に取られてしまう」とクレームを付けたのです。そして協や平和委員会の人事に介入し、党中央の気に食わない代表を「党中央のコントロールのきく代表」に更迭したのです。そして、他団体との「団旗自粛」という合意事項を反故にして統一協議の場から去っていったのです。
3)結果的に「多年に渡って原水禁運動に尽くし、統一協議に尽力されてきた」「禁等他団体からも対立の中でさえ一目おかれてきた」古在由重氏や草野信男東大名誉教授、長谷川静岡大教授、翻訳家の山下史、久保文両氏等々の多彩な人士が党除名されるか或いは自ら離党されたのです。
4)むろん85年以後は統一協議の場さえ持たれなくなり、分裂固定化したまま現在に至っています。以上より、85年以後の分裂固定化の非は共産党側にあることは明らかです。
5)略
6)「団旗自粛」などという些事の為に、「原水禁運動の統一協議」という大義を捨てて、結果的に分裂固定化させた日本共産党の責任はきわめて大きいのであります。
 なんで原水禁が関係あるんだと思われるかもしれません。しかし、この一般投稿欄でも指摘されているように、一部の9条の会でも同様の事がなされています。
 河口さんは、反論するかしないかは、自由ではないかと言っていますが、新社会党との共闘は、単に共産党のセクト主義、ご都合主義なのか、それとも違うのかという問題で曖昧にできる問題ではないと思います。
追記
 古在由重氏の原水禁での行動は、川上徹の査問にも書かれているので抜き書きしてみる。

 その年の夏行なわれた、原水禁世界大会準備委員会運営委員会の席上のことであった。共産党のかなり強引な介入の結果、日本原水協事務局長であった吉田嘉清がその会場から追い出されようとしたときのことである。発言を求めて立った古在はこう発言したという。「吉田さんが退場ならボクも退場になる。大体、同じ考えだからね」と。座は一瞬静まりかえった。一切釈明無の行動であった。手にはその日あらかじめ発言する予定のメモがあったが、それを無視した咄嗟の行動であった。略
 ただ、その日から古在は党との一切の関係を断ち、翻意を促すために訪れた党幹部たちを玄関にも入れなかったという。

 その4年後、古在は、亡くなった。その追悼集会は、呼びかけ人、家永三郎、久野収、加藤周一、遠山茂樹、川本信正らが名を連ねている。1400名を超える参加者で会場は埋めつくされたと書かれている。
 共産党の3大クーデター事件と言われる新日和見主義事件、原水禁事件、民主主義文学同盟事件などによって共産党、民青内外から多くの人々が去っていった。それにもかかわらず、いまだにその反省もなく、セクト主義、ご都合主義から脱していない。憲法改悪が目前の日程に上がってきているのに、それに対する危機感もない。