止まらないタコ壺学習会
ぼくのエリアでは、綱領学習会が再開されてからほぼ5年に
なる。講師の開講時挨拶では「青年層向け」が第一公約であっ
た筈であるにもかかわらず、2004年春以降、それはなし崩し的
に変更されてしまった。今や青年層はぼくを含め僅か3名のみ
(うち1名は、レーニン・エンゲルス・不破氏に耽溺しそれを
金科玉条のごとく振りかざし、理論的自己保身グッズにしてい
る某女性青年専従。実は良識派青年層は彼女を “革命裁判所
” と別称、蔑み、忌み嫌っている。)。
失礼ながらほかの7~8名は全て50~60歳台という惨憺たるあ
りさま。そのためか、党外では絶対に通じない閉鎖社会用語と
いうか活動家用語(?)とでも言うべき晦渋で奇妙なジャーゴ
ンが以前にも増して飛び交うようになってしまった。
これから長く生涯学習に集団で取り組むこと自体は有意義だ し、熱心にお誘いを受けたし、当初は(少数とはいえ)異論派 党員の存在もあってそれなりの魅力を感じたし、脱落すること なく受講を続けているが、「このままでは党勢拡大どころか現 状維持で手いっぱいではないか」との感を、ますます強くする きょうこの頃である。
学習指定文献の選定プロセスにも、かなり問題があると感じ
る。「あなたにとって座右の書は」とのアンケート結果に「シ
ョックを受けた」という記事を、誌名は失念したが読んだこと
があるが、西日本の○○県の某元講師というふれこみだった記
憶がある。
話を元に戻そう。学習指定文献の選定プロセス。指定文献は
受講年順に『空想から科学へ』『ド・イデ』『ドイツ農民戦争
』『政治哲学入門』『綱領を読む(旧版)』『日本改革』『科
学の目・・・』『再び科学の目を語る』『中級課程』『北京の
五日間』『新・綱領を読む』『党綱領の理論上の突破点につい
て』。そして先月からは『21世紀の世界と社会 ウンヌン』が
指定文献(最後の書名はウロ覚えなのですみません)。
つまり冒頭の四書以外は、不破・宮本著書一遍倒ということ だが、それについて2年前に最初の意見をした。だが、講師に 苦情や建設的異論を申し出ても原則論で押し通されるだけであ った。
曰く「改良主義的イデオロギーになびくのでなく、まず本紙 (日刊紙のこと)を丹念に読みなさい。党の文献を軽視してい るようでは君たちの未来社会は描けないよ」と・・・。 (本 紙ぐらい半ば強制だから呼んでますヨ)果然、講師への不信感 は増すばかりなり・・・。
前述講師らの言う「改良主義」等々という類いの用語、既に
してそれだけで党外の人々からは奇異の目(不気味悪い)で見
られているのかもしれないし、党が好奇の目で見られてしまう
一因であるのかもしれない。
経済学修士出身で留学帰りの某先輩は、「○○大学院経済学
研究科においてすらも、そんなのは講学用語には無かったし、
学術的にも意味はないと思う。政治学の世界でも通用しないか
もしれないし、時代掛かった用語は一掃しないと、知識層有権
者との対話においても無用な曲解を招いたり障壁にしかならな
いんじゃないか? 短いイギリス留学中で気づいたのは、今や
、フェビアン系の流れを汲む穏健的改革志向の学生からも、日
本のマルクス系思潮に対し、《日本のマルクス系学界はそれほ
どまでに古色蒼然としてるのか?》と憐憫の情でもって蔑視さ
れたんだよ」と自嘲気味に語っていた。ぼくはそれ以来、学究
肌先輩のこの言を箴言として胸に刻むことにした(先輩の留学
先はイギリス北中部の片田舎の某所)。
ごく常識的に考えても(いや、考えずとも)、講師陣の文献
選定基準は非常に偏向しているといえる。悪意的反共ではなく
中立的スタンスから諫言を呈する著者や学識者は、その気にな
って探せば見つけることができる。いちいち学者諸氏のお名前
は列挙しないが、私見では1950~60年代生れの学識者のなかに
けっこう良識派が埋もれているように感じた。その多くは、(
読む限りでは)論旨展開が無党派風っぽいもののよほど時代感
覚がズレていない限り違和感は感じない。邦訳書の中には激し
くホットな論争で応酬し合う対談本もあり、むしろ夢中になっ
て読めた。そう言えば、西洋の格言の中には「クリティークと
学問とは、しばしば同義語である」旨、示唆的な至言もある。
ともあれ、ベクトルの向きが単線上を走った(迷走というべ
きか?)ままでは、新しい部員加入など望むべくもないと思う
からだ。題名の「止まらないタコ壺学習会」を本物のタイタニ
ック号にしてはいけない。
そこで以下、ひとつのオルタナティヴとして、あるいは穏当 な妥協点として拙い提言をしたい。たまたま同じエリアの民青 班の学友が、たとえ1人でもこのサイトにたどりついてぼくの 拙稿に目を通してくれたら、プロブレマティークを共有してく れる「かも」しれないという希望的観測を混じえつつ。
1. これといって親共的要素がなく、且つ精読に値する、党外
で定評・水準共に高いテクストを指定文献に加える。
2. 旧ソ連や中国等における人権問題を時系列的にフィーチャ
ーしたルポルタージュ本を使用する。咽せかえるように甘った
るく無謬神話と独裁制礼賛に満ちた不破氏の野党外交本に騙さ
れていた人は、目が覚めるだろう。
3. 「大部の本は難解で引いてしまう(敬遠)のよぉ」という
向きには、イラストが適宜挿入されていて、簡略な概念イメー
ジ図等が入れてあるいわゆるオブラート出版ものを副教材とし
て位置付け、脱落者の防止に資する。イラスト入り本の一例と
して、第三書館辺りに好書があるはず。
4. 究極策。映像学習教材を調達して使用する。DVDソフトの
中には最近ようやく、良質ソフトが増えつつある。近年では構
造言語学者 Nチョムスキー氏の『チョムスキー9.11』、Jユン
カーマン監督の『映画日本国憲法』、綿井健陽氏の『リトル・
バーズ』等は繰り返し精読(いや、映像だから鑑賞だネ!)し
ても飽きることがない。観るたび、登場人物諸氏の含蓄に富ん
だ箴言にも触れることができて一石二鳥。
ただ、これでも不充分ではないか、ということは認識してい るので、エリアのリーダーの本音を折り混ぜ、全メンバーのク リエィティヴィティーを取り込みつつ、今後も他のアングルか らも微修正していくつもりだ。とはいえ、「指定文献を抜本的 にリニューアルせよ」「青年世代への学習側面支援策に本腰を 入れよ」と声を上げ続けたところで、直ちに講師陣や党機関側 の耳に響くとは(当然?ながら)考えてはいない。だが、「止 まらないタコ壺学習会」がタイタニック号として没することを 望む人など、良識派メンバー中には見受けられない、それだけ は確かである。
いずれにしても、指定文献が「ほぼ必ず不破著書ばかり」な のは誰がどう考えても異常でしかない。どうせ中央が「非民主 的に」密室で身勝手に決めたリスト中から「選びなさい」、と の江戸幕政期のお達しのようなものが中間機関経由で下部組織 に降りてきているのかもしれないが、もういい加減、ボトムア ップで末端青年組織で決めることを解禁すべきだ。もし仮に「 不従順な行ないがあった」と看做したからといって陰湿な介入 が許される時代ではない。
ところで、5月8日付.ロム3さんの「社会科学研究所なんて必 要なのか?」なる鋭い突き上げがあった。多くはまことに時宜 を得ているご指摘だと思う。常連投稿大ベテランの人生経験潤 沢な良識ある報告に感謝したい。