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「組織論・運動論」討論欄

2004年9/25および10/3樹々の緑さんへ

2006/06/04 さつき

はじめの始めに
 長い眠りから覚めて、中断していた樹々の緑さんとの北朝鮮問題にかかわる討論への返信を送ります。この間、「北朝鮮問題」討論欄をはじめとして、議論はかなり進展しているようで、そのような中、もはや化石化してしまった駄文を公表するのは、もちろん樹々の緑さんへの不義理を少しでも軽減したいと思うからですが、最近の愚等虫さんの呼びかけに背中を押されたからでもあります。
 半年ほど前でしたか、樹々の緑さんの「人文学徒氏のよびかけに対するお答え(試論)」と題された2004年12月28日、2005年1月12日、同1月19日付の3本の投稿を読んで、ほぼ同世代として(若干私が下ですが)学生党員生活をおくり、その後離党するという経験を共有する以上の、樹々の緑さんとの間に「考え」の共通性を見いだし、うれしくもなっていたのでした。にも関わらず、私たちの間に少しばかりの感性の違いが生じるのは何故なのか、ことのついでに考えてみました。この点は末尾に付記します。

 以下の文章は2004年11月始め頃に書いたもので、脱稿しきれていない段階のものです。これを、もう一息というところで練り上げるのを中断したのは、何かの議論の行き違いに気が付いたからではなかったかと記憶するのですが、今の時点で、樹々の緑さんの投稿から読み返しても、なんのことだったか記憶は戻りません。という訳で、恥をさらすことになるのは覚悟の上ですから、忌憚のないご批判をお願いします。と言っても、今の私の現状は悲惨で、まともな返信ができる自信はありません。

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はじめに
 私にとって樹々の緑さんとの議論は北朝鮮問題の勉強の機会と位置付けていますので、大変お手間をとらせてしまっていることに心苦しいものがありますが、おかげさまでいろいろと収穫も多く、感謝しています。今回は、樹々の緑さんの最近の2つの投稿を読み、議論を続ける上で確認しておくべきと感じた点などについてまとめておきます。

イラク問題と北朝鮮問題のリンクには無理がある(反省)
 イラクにおける「拉致」と北朝鮮による「拉致」とのリンクを本格的に持ち出したのは私の方ですが、樹々の緑さんが次のように整理されたことで、このことに深入りすると、問題が拡散してしまう部分が多いことに気付きました。

> 話がやや横にズレますが、私も、拉致問題の解決法に関して「北朝鮮人民に支援を通じて連帯のメッセージを送り続ける」ことが、迂遠なようで根本的・原則的な解決法になる、と本田さんに対して述べているので、何となく似たようなことを言っていると思われるかも知れません。  しかし、私が連帯メッセージを送り続けるべきとしている相手は、拉致被害者の原状回復を遅らせている当の金正日政権ではありません。さつきさんが、高遠さんらの人質事件の「犯人」(=拉致問題での金正日政権に相当する)に連帯のメッセージを送るべきだとしている点とは、根本的に違います。

 もちろん私は金正日政権へ連帯メッセージを送るべきだなどと主張したいのではなく、北朝鮮人民と、在日朝鮮人社会に対してのいろいろな意味での支援と連帯を通じて、金正日政権を内外から包囲することが拉致問題解決に寄与すると考えているわけです。特に、在日朝鮮人社会には、金正日政権と直接に繋がりのある幹部も居れば、これに批判的ないろいろな階層の「中間官僚」も居る筈だから、内外の世論の力で、それらの一角でも動かすことが必要だと考えています。しかし、この事をイラクでの拉致の問題とリンクさせると話が複雑になりすぎるので、今後は持ち出さないことにします。

2.「日朝国交正常化が拉致問題より先決」とは主張しない
 樹々の緑さんは、私との議論において再三次のような疑問を述べられています。

> しかし、このような「道義的資格論」に接して常々思うことは、それがなぜ、例えば「日朝国交正常化が拉致問題より重要だ、あるいは先決問題だ」という根拠になるのか、ということです。

 これは、おそらく私にも向けられた非難だと思いますが、たぶん私が有島さんへの共感を吐露したことに由来するでしょう。しかし、私自身は「日朝国交正常化が拉致問題より重要だ、あるいは先決問題だ」などとは一度も主張したことはありません。このことは「北朝鮮問題」討論欄への9/30、10/5の投稿でも書いた通りです。私の主張は、後で述べる現在の日本共産党中央や「さざ波通信」第29号のスタンスに近いものです。樹々の緑さんの括りで言えば、「『左翼』を自称する論者によってかなり広く挙げられている、『拉致事件解決と国交正常化とを一体化すべきである』という主張」ということになるでしょうか。ですから、今後は私との討論においては、「日朝国交正常化が拉致問題より重要だ、あるいは先決問題だ」との主張とは切り離して論じていただきたい訳です。

3.人道問題とは何だろう

>私はこの「人道」を、「人道(的)問題」というように使っていますが、それは「国際法上の諸原則を厳密に適用するとさまざまな先決問題が生じる場合でも、これを前提としないで解決できる問題」という意味です。

>もちろん、私がいうような「人道問題」の解決方法が成り立ちうる根底に、「当該事項に対する法の態度がいかなるものであっても、普遍的な人道の立場から是認されるべき事柄だ」という一般的見地があることは、間違いありません。そういう意味では、「人道」という解決「規準」の主張を背景に含むものであることは否めません。

 「解決できる問題」という時の「できる」が、「実践的に可能」という意味なのか、「そうすることが是認される」という意味なのかが、今ひとつはっきりしません。このことは、この問題への対応として、原則的対応と実践的対応のどちらを重視するのかに関係してきますので、後で論じます。

4.植民地支配・戦争責任へ連なる問題は、人道問題ではないのか?

 樹々の緑さんは、「植民地支配・戦争責任」の問題と、「拉致」の問題は、まったく性格を異にする問題だとして次のように述べられています。

>しかし、植民地支配・戦争責任の解決は、国際法上、「国家間の」責任の問題なので、承認=国交正常化問題と切り離して(=北朝鮮を国家として承認しないままに)「解決」することはできないと思うのです。

 しかし、北朝鮮との間には、「植民地支配・戦争責任」の問題だけでなく、北朝鮮人民・在日朝鮮人に対する戦後補償と人権保証の問題が大きな課題として残されています。このことにかかわって、「さざ波通信」第29号(02/11)「北朝鮮による日本人拉致問題と日本共産党」は次のように述べています。

また、ヨーロッパ諸国では旧植民地出身者にも適用される戦争犠牲者への援護政策も、日本政府は国籍条項を設けて適用を認めておらず(たとえば「在日の戦後補償を求める会 」のHP(リンク不能)を参照)、補償に同意したのは、犠牲者・遺族個人の請求権に基づくものだけで、それも事実を裏付ける資料が必要だとした。北朝鮮側はそれに反発して双方の溝は埋まらず、92年11月から7年半にわたって会談は中断する。
 なお、日朝会談が開始された時期に、「太平洋戦争犠牲者遺族会」の裁判や、元従軍慰安婦の裁判等が相次いで提起されている。これらの裁判は、日本側が認める個人の請求権に基づくものと言ってよいが、犠牲者が高齢になっているにもかかわらず、日本政府は「裁判を見守り調査に努力」としただけで政治解決を図ろうとせず、多くの裁判は棄却、あるいは長期裁判となって継続している状態である(「戦後補償裁判 データベースを参照)。

 「拉致」の問題が人道問題であるのと同様、これら未解決の問題も長年放置された大きな人道問題なのではないでしょうか。

5.実践的対応と原則的対応(「できる」の意味)

 先に、「3.人道問題とは何だろう」において、樹々の緑さんの「解決できる問題」という時の「できる」が、「実践的に可能、あるいは可能性が高い」という意味なのか、「原則的にそうすることが是認される」という意味なのか、私に理解できていないことを述べました。このことは、実践的に妥当な対応をさぐろうとする議論なのか、原則的立場はなんであるかを議論するのかについて混乱をきたす元にもなっているようです。私は、ことが急を要する問題であればあるほど、私たちは実践的な対応を模索せざるを得ないと考えますが、可能なら、両者が遊離しないことが理想です。

 この問題についての日本共産党の態度は、例えば穀田恵二氏の「拉致問題に関するアンケートへの回答にかえて」などで、次のように述べていることで明らかです(抜粋)。

>一九九〇年の金丸訪朝団を契機に始まった日朝国交正常化交渉は、拉致問題の真相解明を会談再開の前提条件としたため、九二年十一月に決裂しました。その後も、自社さ連立与党代表団が九五年、九七年に訪朝しましたが、本交渉を開始できずに終わりました。拉致問題の解決を交渉の前提として固執する態度では、日朝間の問題の解決をさぐるための交渉そのものを閉ざすことになり、不幸な過去の歴史の清算はもちろん、拉致問題そのものの解決をも遠ざけてしまうことになったのです。
> 一、この閉塞状態を打開するため、わが党の不破委員長は、昨年一月の衆院本会議代表質問で、北朝鮮との交渉ルートを開く努力を求めたのに続いて、昨年十一月の代表質問では、日朝間の交渉ルートを開くさいには、一連の懸案の解決を事前の前提条件にしない態度をとるよう、政府に求めました。「日本自身、北朝鮮とのあいだには、ミサイル問題、拉致問題などいくつかの紛争問題をもっていますが、それは、交渉によって解決すべき交渉の主題であって、その解決を交渉ルートをひらく前提条件としたり、すべてを他の国の外交交渉におまかせするといった態度では、問題は解決できません」と指摘し、交渉ルートを開くことと、日朝間に存在する諸問題の解決を図ることとの関連を明確に示しました。
> わが党が、こういう態度を政府に求めたのは、たとえば、拉致問題をとっても、北朝鮮側と実際に交渉してこそ、道理にそった解決の道が開かれるのであって、交渉の道も開かずに、要求を主張しているだけでは、問題の具体的な解決に一歩も近づくことができないからです。
 このことは、拉致問題の解決を、棚上げするとか、事前にはいっさい問題にしないとかいうことでは、もちろん、ありません。
>超党派訪朝団は朝鮮労働党代表団との間で、国交正常化交渉を無条件で再開するようそれぞれの政府に促すこと、人道問題など両国間の懸案問題を両国の政府・赤十字間の交渉のテーブルにのせることで合意しました。

 もちろん、日本共産党が、この問題で上記のような立場から誠実に対応してきたかどうかは別問題ですが、先に引用した「さざ波通信」第29号も同様の趣旨から次のように述べています。

> このように、これまでの交渉に進捗がみられなかったのは、日本側が北朝鮮の補償要求に関して譲歩せず、北朝鮮側も拉致問題を頑としてみとめず、双方が歩み寄らなかったためである。交渉が当事者の歩み寄りによってしか成立しない以上、一方の日本政府が拉致問題を厳しく追及しさえすれば早期に解決したかと言えば、そうではないだろう。そのことは視点を北朝鮮側に移してみれば明らかであろう。北朝鮮側は、日本に対して賠償問題について厳しく追及してきたが、半世紀を過ぎても何ら解決していないのである。

 「双方が歩み寄ること」を「日朝国交正常化」と捉えれば、これらの主張は、後で述べる「北朝鮮を追いやった論」に基づくものではなく、あくまで実践的解決をめざしたものと思われます。99年、国会の主要政党が全て参加した初めての超党派訪朝団の「合意」も上記の趣旨に沿ったもので、実践的な対応が求められる政党としては当然の判断であったろうと思います。

 ただし、上記に引用した両方の主張とも、冒頭部分で「北朝鮮は、戦前の侵略戦争と植民地支配によって日本が被害を与えた国々のなかで、その清算がまったく未解決のまま残っている唯一の国です」とした上で論を進めている点で、単なる功利的方便としての主張でないことは確かだと思います。

 そこで改めて樹々の緑さんにお聞きしたいのは、「国際法上の諸原則を厳密に適用するとさまざまな先決問題が生じる場合でも、これを前提としないで解決できる問題」と言う時の「できる」とは、「実際に実行可能」の意味でしょうか、それとも、「原則的にそうすることが是認される」という意味でしょうか。どちらかだとして、国交正常化せずに、どのような戦略、道筋でそれが「できる」のでしょうか。私には想像できません。

6.「北朝鮮を追いやった」論は、「かすった」程度か

 樹々の緑さんは、私の「拉致とは比べものにならないくらい非人道的で凶暴な日本の過去の侵略とその後の米国と一体化した敵対政策が、金日成・金正日体制の凶暴化と無関係である筈がありません。そしてその凶暴化は、正気を無くして敵対関係にない筈の第三国にまで矛先が向けられる程に達した」との主張を捉えて、これはいわゆる「北朝鮮を追いやった」論であり、納得し難いことであると述べられています。

 私が、先に引用した日本共産党中央や「さざ波通信」の主張と、実践的には同じことを主張しつつも、そのスタンスとして違うところがあるとすれば、この「北朝鮮を追いやった」論をより明確に主張している点でしょう。従って、この論点が崩れれば、私の立脚点の大半は無くなります。そうした判断に立って、このことで他の論者にも教えを請うべく9/30の「北朝鮮問題」討論欄への投稿となりました。

 さて、私の主張を捉えて、樹々の緑さんは次の二つの判断を示されました。

1)金正日政権が「正気を無くしている」などとは、思わない。
2)「日本の過去の侵略とその後の米国と一体化した敵対政策」が日本人拉致にまったく「かすりもしないほど」無関係であるとは思わないが、より本質的には、旧「社会主義」国家に普遍的な現象だったのではないか。

 第一点は、「北朝鮮を追いやった」論とは直接には関係がないのですが、ちょっとだけコメントしておきます。
 樹々の緑さんは、金正日政権が「正気を無くしている」などとは思わないとする一方で、ただ彼らの判断が「国際社会の民主的常識からは受け容れ難いだけ」であり、それは、彼らの政治権力保持と運営が「特殊な原理に従って行われている」ことに由来し、その結果、「人民に対する彼らの仕打ちを見ても、その異常性は際立って」、「まるで国家全体が、監獄化されているような状態」となったと書かれます。これは、私が一言で「正気を無くしている」と書いたことを、「非常識」で「特殊」で「異常」と言い換えただけであり、その意味は、彼らの本質が変わらない限り、人間としての常識的な言葉が通じぬ相手であるということと同じです。

 問題は、第二点です。私は、現在の北朝鮮の「非常識」で「特殊」で「異常」な現状は、旧「社会主義」国家に普遍的なものであるとは考えていません。それが普遍的な現象であると考えるのであれば、例外のないことを示さなければなりませんが、私には、現在の米国政権の方が、例えば、ベトナムやキューバなど、なお残る社会主義国家よりは「非常識」で「特殊」で「異常」だと思えます。現在の北朝鮮においても、権力の中枢にいた少なくない数の高官が「脱北」してその異常さをなんとか糾そうと努力していることを見ても、「歴史的な民主主義の未発達による国民の民主主義的経験の圧倒的不足」のせいにはできないと思います。まず、このことに同意いただかねば、先へは進めないのですが、とりあえず私の考えを述べておきます。

 「さざ波通信」第29号が述べているように、「北朝鮮は、戦前の侵略戦争と植民地支配によって日本が被害を与えた国々のなかで、その清算がまったく未解決のまま残っている唯一の国」です。中国のように国交を正常化するチャンスはなかったでしょうか。その歴史を簡単に振り返ると、51年のサンフランシスコ講和条約締結後も、同年の、日米安保条約締結をもって、日本は朝鮮戦争への米軍の出撃基地となり、53年7月の休戦協定締結まで続きました。そのことで、北朝鮮にとっては、日本は直接の交戦国ではなかったにせよ、敵国になってしまったのです。

 1959年12月には、在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国事業」が始まり、以後、3年問の中断期(68~70年)をはさんで、84年までに果計で約9万3000人余りが北朝鮮に永住帰国したとされています。

 韓国は、軍事独裁政権にあったにも関わらず65年6月には日韓条約調印・国交正常化となりました。日本人拉致事件が相次いだのは1970年代後半から80年代前半にかけてとされていますが、少なくとも83年のラングーン事件の前までには、日本政府が真剣に取り組んでいれば、国交正常化のチャンスはあった筈です。

 私は、10/5「北朝鮮問題」討論欄において、曙光のきざしさんへ向けて、「韓国の例を観るなら、やはり戦後の長い間、軍事独裁政権下にあり、その民主化の過程で光州事件を初めとして、幾多の民衆の犠牲を必要としました。そのこともやはり日本の侵略(朝鮮併合)が韓国の戦後史に影響してのことだと理解しています」と書きました。そのような影響は、既に述べた理由によって北朝鮮において長引いたと考えています。

 このような私の考えを「「対韓工作」の国際謀略性を不問に付する、一面的な見方」であるとか、「日本人民の罪障感を隠れ蓑にして、北朝鮮現政権を美化する結果に陥っている」などと批判されますが、私は一度たりとも「不問に付」したり、「北朝鮮現政権を美化」したりしたことはありません。他にそういうことを言う人がいたとしても、私との議論においては余計なことです。

7.北朝鮮人民への償いはいつ、どのように実行できるのか

 樹々の緑さんは、「北朝鮮を追いやった」論に絡めて、「人の苦しみは、それを見た者に義務を負わせる」とのポール・リクールの言葉を引用して、現在の北朝鮮の悲惨な情況を救うためにこその人道援助であり、決して、日本政府が過去の植民地支配や戦時加害行為を未清算のままに放置してきたからではなく、「過去の未清算は、この義務をいっそう促進する理由となる地位を持つに過ぎ」ず、「援助は償いではない」と述べられています。

 それでは過去の未清算に対する「償い」はいつ実行するのでしょうか。「非常識」で「特殊」で「異常」な国に住む人民に対しては「償い」など必要ないということでしょうか。「人の苦しみは、それを見た者に義務を負わせる」という言葉、この言葉に共感すればこそ、強制連行、強制労働、従軍慰安婦などの歴史を知った私たちは、実に多くの義務を負っていると考えます。そうこうしている内に、実質的な被害者は寿命を迎えます。不幸な目に遭った人々が、日本国籍を有していることと、北朝鮮国籍を有していることにどれほどの意味があるでしょう。日朝国交正常化を通してのみ、拉致問題と戦後補償の問題の両方が同時に解決できる道を開くのではないでしょうか。

8.在日朝鮮人の声明と「筋合い論」

 8/7の私の投稿では、「拉致事件に対する在日韓国・朝鮮人の声明」を引用し、「上記は、樹々の緑さんの主張とほぼ同じであろうと感じましたし、私にとっても納得できるものです。ただしそれは、在日朝鮮人のグループから同胞へ向けられたものとして共感できるという意味であり、樹々の緑さんがこれまで書いてこられたことは、日本人からの日本国国民、あるいは日本国政府に向けてのものであるという点で違いがあります」と述べました。このことを捉えて樹々の緑さん(8/11)は、「この『筋合い論』は、いわば表現を変えた『拉致問題を語る資格論』である」と批判されましたが、私は、この「声明」もまた「筋合い論」や「資格論」を語っており、その点で私の立場と変わらないと考えているので、先にこの点を検討しましょう。

 私たち在日韓国・朝鮮人は、日本の朝鮮植民地支配という「不幸な歴史」によって日本に存在するようになった。すでに世代を継いで、在日歴が百年になろうという人も多数存在する。この間、日本人からの抑圧と差別に苦しめられながらも、人間として、民族としての尊厳を守り、歯を食いしばって生き抜いてきた。そればかりか、差別を受けながらも、なお在日韓国・朝鮮人の志は高く、近年では閉鎖的な日本社会を多民族・多文化共生社会に発展させ、差別のない平和な社会に導くための理念を提唱している。決して日本人への「恨」だけを抱いて生きてきたのではないのだ。また、日本社会に植民地支配の歴史を真摯に反省するよう、常に働きかけてきた。それは、「歴史の反省」こそが、差別のない平和な社会づくりに繋がると信じてきたからである。

 しかし、北朝鮮による日本人拉致事件は、こうした在日韓国・朝鮮人の志をも踏みにじる卑劣な行為であり、同じ民族として断じて許せない。そればかりか、金正日国防委員長は拉致事件を「不正常な関係にある中で生じた」ことを理由に軽視し、朝鮮国営通信は日本の植民地支配の事例を上げながら拉致事件を正当化する宣伝まで行っている。また、在日韓国・朝鮮人の中にも、植民地支配を引き合いに出して拉致事件を論じる人がいるが、憂慮すべきことだ。被植民地支配の歴史は、未来を豊かにするために用いるものであって、北朝鮮の蛮行を隠蔽するために用いるものではない。朝鮮人側は、こうした態度が「開き直り」としか理解されないことを悟るべきだ。

 さらに、見落としてはならないのが、北朝鮮側が「開き直り」の論拠を、日本の「過去の清算」に置いている点だ。日本は過去の植民地支配を反省したというが、「責任者処罰」「謝罪」「真相解明」「国家賠償」など、全て曖昧にしてきた。北朝鮮側も、これを真似て、拉致事件の「真相解明」などを曖昧にしようとしているのだ。北朝鮮側は、これで日本側からの反論はないと踏んでいるが、しかし、植民地支配の被害を受けてきた朝鮮民族だからこそ、拉致事件は誠実に「謝罪」と「真相解明」し、そして国家賠償をすべきではないか。拉致事件の「解決」で、未来に禍根を残さぬよう厳しく指摘する。
 北朝鮮による「拉致事件」が白日の下にさらされた今日、在日韓国・朝鮮人が拉致事件について、このまま沈黙を続けることが許されるのか、自問すべきである。同時に、現在の北朝鮮の指導者に、果たして、日本の過去を糾弾し、日朝国交回復を論ずる資質があるのかも問わなければならない。そして、何より拉致被害者・家族の「悲痛な叫び」を真摯に受け止め、手を取り合わなければならない。拉致事件被害者・家族の「悲痛な叫び」は、まさに植民地時代に朝鮮民族があげた「悲痛な叫び」であり、その痛みは、在日韓国・朝鮮人もよく知っているはずだ。「国家」ではなく、人間の「痛み」を通して見れば、自国が他国にいかに非道なことをしてきたのかがよく見える。
 最後に、日本人の一部には、拉致事件を悪用して在日韓国・朝鮮人に卑劣な行為を目論む人がいるが、私たちは、これを決して看過できない。拉致事件は、日本に暮らす一人ひとりの胸に刻み、差別と対立を残さない、より堅固な共生社会の実現に生かされるべきなのだ。そのために、在日韓国・朝鮮人の立場から下記の事項を明確にするように求める。

1.朝鮮民主主義人民共和国は拉致事件の真相を自主的に解明し公表すること。
2.朝鮮民主主義人民共和国は直ちに拉致被害者の原状回復を計ること。
3.朝鮮民主主義人民共和国は拉致被害者・家族に対して謝罪と国家賠償を行うこと。
4.朝鮮民主主義人民共和国の最高責任者である金正日国防委員長らは、拉致事件の責任を取って退陣すること。
5.朝鮮総聯と関連団体は拉致事件との関わりを調査し、その結果を日本社会に公表すること。
6.日本政府は、改めて「歴史の清算」を行い、朝鮮民主主義人民共和国側に拉致事件の「解決」の手本を示すこと。

 上記要求の第6項は、かれらの原則的立場をはっきりと示すものです。

おわりに

 法律の条文も自然科学の論文もすべて「文学」として読んでしまう私の「哲学:世界認識」に違和感をお持ちのことと思いますが、議論の上では言葉の論理性以外に頼るすべがないことは承知しているつもりです。今、明日からの「イラク世界民衆法廷(WTI)広島公聴会」への参加を前にして、資料整理を始めたところで、十分に煮詰まらないまま投稿しますが、私の立場は次第に明確になりつつあります。今しばらくお付き合いのほど、よろしくお願いします。

おわりの終わりに

 以上が、2004年10月中頃の時点での私からの返信(の粗稿)でした。
 内容に関わって一つだけ、樹々の緑さんの2004年10月3日の、この討論としては最後の投稿で引用されたR.v.イェーリングの次の言葉は、とても身にしみました。

権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法による侵害を予想してこれに対抗しなければならないかぎり-世界が滅びるまでその必要はなくならないのだが-権利=法にとって闘争が不要になることはない。権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である。
 世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。重要な法命題はすべて、まずこれに逆らう者から闘い取られねばならなかった。また、あらゆる権利=法は、一国民のそれも個人のそれも、いつでもそれを貫く用意があるということを前提としている。権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きした力なのである。(イェーリング・村上淳一訳『権利のための闘争』岩波文庫29頁)

 この他にも樹々の緑さんのお考えに随分共感し、教えられ、それによって私自身の間違いに気付かされたことも多いことは、今の時点での率直な感慨です。そこで、冒頭に予告したこと、私たちの間の感性の(ほんのちょっとした)違いは何に由来するのかということですが、いえ、大したことではありません。樹々の緑さんは、「人文学徒氏のよびかけに対するお答え(試論)~その3・完 2005/01/19 」において、次のように書かれています。

 けれども、私の感じでは前提状況が全然違っている。「新日和見主義」世代の指導が対象としていた人々は、まだ日本全体の「貧しさ」の実感が幽かにでも身体の中に痕跡を刻んでいた青年たちでした。方向性や形態はともかく、彼らにとって「闘う理由」は明確だったと思います。
 しかし、ちょうど私たちの世代を境目にして、生まれたときからテレビがあり、自我に目覚めたときから新幹線が走り、進学教室に小学校時代から通うのが当然になっていた世代は、表面的には「豊か」になった生活の中で、偏差値教育で人間の尊厳を傷つけられ続けていたのに、「闘う理由」を探しあぐね始めてもいたのだと思います。

 私は樹々の緑さんより少しばかり年下になるでしょうが、生まれた時にはテレビなどムラに一つもなく、新幹線は遠い世界の話、進学教室など、そういうものがこの世に存在するという知識さへなく、同世代の都会育ちの方にはおそらく想像がつかないと思いますが、同級生の半分が中卒で集団就職をして親に仕送りをするというような、そのような環境で育ちました。子供時代に、身近な大人3人が生活苦から自殺して(殺されて)います。私たちより上の世代、いわゆる団塊の世代をさして「全共闘世代」という言い方がありますが、大学進学者が同世代で圧倒的マイナーだったこの世代を、そのように一括りにすることの愚かしさと同じで、実は、その下の私たちの世代もまた多様なのです。ましてやこの格差拡大社会、同世代の間でさへ、対話の困難さはますます拡大するのかもしれません。

 私が「人道」という言葉を持ち出したことから、人道主義(ヒューマニタリアニズム)を語っていると誤解されるのは不本意なので付け加えますが、上記のような認識から、私はむしろ、真のヒューマニズム(渡辺一夫さん、大江健三郎さんの用いるユマニスム=人間主義・人文主義)の観点から、異なる生い立ち・人格・感性を互いに認めあって、ねばり強い対話の努力を続けることの重要性を想います。その意味からも、樹々の緑さんの言葉を選ぶ忍耐というものに常日頃敬服しているものです。 2006年6月4日