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「組織論・運動論」討論欄

28日組織論欄、やすし様へのご返事

2006/06/05 人文学徒

 ご要望のようなことは僕はもちろんのこと、どんな個人でも役不足です。ほんの参考程度ならば以下二つの拙稿をご覧下さい。「日本共産党の惨状の本質にかかわって」(04年9月16日組織論運動論欄)と04年10月25日党員欄「エッセー、日本共産党の全体像をこんなふうに変えてみたい」です。
 また、具体的な改革への組織的動きは、残念ながらまだ機が熟していないと思います。民主集中制が効いている限りは、誰も「党中央」という砦の中へは入り込めないということです。中央が自分らで一定の力を維持した党を制しきれると思っている間は総ての改革の動きが、無駄です。
 ですが近々、大きな破綻、急速な瓦解、それによる中央非難が起こる可能性大だと僕は考え始めました。やすしさんが僕にエール投稿を送って下さった今年2月12日の前日付けの一般欄拙稿「民主集中生さんへ」でもそういう見通しを書きましたが、その時が意外に早くやって来そうな局面が現れたのです。

 最近さざ波を賑わせている「平和への結集」、「平和共同候補」の運動、これが極めて重大な情勢をもたらしそうだと僕は今考えています。それについては、22日の拙稿ともう一つ、このご返事と一緒に掲載されるはずの「重大な局面の日本共産党」という投稿を対抗戦略欄に送りましたので、それらをご覧下さい。この「動き」が来年の参院選目指してこの7月7日以降、一斉に各団体に申し入れを始めるらしいです。共産党はこの20日の赤旗記事を読む限りでは、これへの対応をずるずると誤るでしょう。この運動に対して、指導部の従来の方針、体質、下らないプライドなどから正しい対応はできないと僕は見ています。結果どうなるか。9条の会から不満が出てきます。それと平行して、選挙情勢も変わって来るということも重なります。総てが凄く流動的になると思われませんか?こういう情勢に対して、筆阪問題、著作の出版、売れ行き、内容なども甚大な影響を与えるでしょう。こういう情勢の中では、共産党の積年隠された悪弊体質が白日の下に曝されていくと、僕は今そう考えています。

 この『共産党の積年隠された悪弊体質』というものは今回、筆坂氏の著作で非常に明瞭になったと思います。僕としては、冒頭に書いた拙稿『日本共産党の惨状の本質にかかわって』において描かせていただいた体質というものを、筆坂氏の著作に改めて見た思いがしたものでした。自画自賛のようで申し訳ないですが、僕のこの分析視点は数十年前に田口富久治名古屋大学法学部教授が提起し、雑誌前衛において不破哲三氏と論争を繰り広げたことがあるそのテーマであるにすぎません(その田口氏も今回の「平和への結集」呼びかけ人になっていますね)。そのことは、この拙稿『本質にかかわって』の冒頭にも書かせていただいた通りです。
 この民主集中制のもたらす「体質」について、善意の、幻想的美を見る向きもまだまだ多いと思います。「筆坂氏が自分を正当化するために中央を悪く描き過ぎている」と、こんな投稿がさざ波にも結構多いのはそういうことなのでしょう。しかしながら昔から言うではありませんか。「権力は腐敗する」と。まして、民主集中制という強大な、かつ長期にわたる権力が、腐敗しないわけはないではありませんか。腐敗しないと思える人は、自分も含めてあらゆる人間がこの時代の子だという自覚の欠片も持たない人なのではないでしょうか。そういう人間自身を生み出したのもまた、「科学的社会主義」の「民主集中制」の「トップ」という「立場」なのだと、改めて考え込んでいるところです。