毎回、細かい描写の文章で楽しませていただいています。
筆坂本って、そんなに売れていますかね。
私が買いに行った時には、1冊残っていたのを運良くゲットしました。買いやすい値段設定が売れる一つの原因かとも思います。
そこにも筆坂さんの大衆性が感じられました。
>反共ではなくさりとて「親共」でもないという無党派友人B君とC君は、(表紙に仰々しく付された)オビのフレーズにつられて購入してしまった(情けない)。「ちぇっ、お前すぐ流行(?)に乗るんだなぁ。そんなの放っといたって図書館が常備してくれるってのに」。ぼくはそんな軽口をたたいた後、早速、図書館に向かいそそくさと斜め読みを済ませた。
私も図書館で借りるつもりでいましたが、常備してくれそうもありませんでした。
>が、一見俗耳になじみやすいオビのキャッチフレーズだからとはいえ、反共勢力(ここでは、悪意的な者どもの意味。)を喜ばせかねない筆坂本の内容たるや、ざっと読んだかぎり、“利敵文献”の謗りを免れないのでは、と感じたのも正直なところだ。党に中立的な思想の人(悪意的反共ではない人)の中には、記述が繁閑よろしきを得ていない、とか、核心を突いておらず物足りなさを感じた、という人もあるのでは?とも感じた。
利敵文献ですかね。日本共産党が真に国民の味方であればそうでしょうけれど。昨今の日本共産党は、自民党別働隊の役割をはたしていて、党自体が利敵行為をしているので、党にとっては、利敵行為でも国民にとっては、利敵行為ではないと思うのですが、闇から闇にほうむられてしまう。国民の代表たる元国会議員の口から真相を聞きたいのは、庶民が日本共産党の正常化に期待をよせている証拠だと思います。
>それはともかく、なにしろ、相変わらず、いわゆる“青写真タブー”が《鉄のカーテン》の如く立ちはだかるアナクロな党内ムードなだけに、移行期、更にその先の本当の未来社会における望ましい社会・経済のあり方、なかでも私的所有権と公的所有権のあり方等々につき、各人が自由闊達に論じる機会が皆無に近い。悪しき設計主義なんかではなく、
そう、国民は、鉄のカーテンの内側を見たいのです。脱北者に北朝鮮の実体を聞きたい要求と同じだとおもいますが。
>氏は、離党に際して青年層向けの、せめてもの花ムケに青写真タブーの破壊私案とかでも提示してくれればまだマシだったかもしれない。
氏が氏自身の冤罪をはらしてくれることに一番期待が寄せられていたと思うのですが、あまりにもむたいな引退劇でしたからね。あれで終わっては、国民はがっかりです。
>晴れて(?)自由の身となった筆坂氏なら、右顧左眄の必要なんかなく、自説述べられるんじゃないかな? 入党前は三和銀行マンだったわけだし、何らかの問題意識は持っていると思われる。
そう、党を辞めることは、自由の身になることです。自由の身になって実力を発揮してもらいたいのが、庶民の期待だと思います。党の中にいて、自由の身でいることが最善ですけれどね。
委員長の志位氏でさえ自由の身でないことが察せられます。
>「あぁ、あの本ですね。売行きには、実のところ私らも驚いている状態なんですよ。政治家ものというとこの国では不人気なのが相場でしたしね。平成になりたての頃は石原さん森田さん共著の『ノーと言える日本』、湾岸戦争以降でヒットしたのは、ハマコー(浜田幸一)さんの本と、1992~3年頃に出た小沢一郎さんの『日本改造計画』ぐらいだと思います。記憶のかぎりでは鳩山さんの本も舛添要一さんのも伸び悩みましたから・・・、ハハッ、まぁでもこちらとしましては実に久々の嬉しい悲鳴なんですけどね」と喜びを隠さない。
>「これ言うと語弊あるでしょうけれど、(共産党の)議席数(の低迷)と反比例してるようなので、私らも、なぜだ?ってうわさしてる状態でしてね。だってゴシップものとはいえオカタい政治本でしょう?」
あの本を買う人は、全く政治に関心のない人たちではないとおもうのだけれど、本当は日本共産党に期待したいのだけれど、現状では期待できない。そういうやりきれない思いが国民の側にあると思うのですが。
>バイトの女子大生氏は一足早く読了したとみえ、この日、送り届けられたばかりの梱包ダンボールの荷解き作業をしながら、「えっ、店長。それってセクハラ事情が吐露されてるからじゃないんですか? まさか《アノ清潔な共産党》が、って固定観念お持ちの人にはインパクト、確実にあると思いますヨ」とニヤニヤしつつ雑談に割って入ってきた。
国会議員を辞職に追いやるなら、よほどのセクハラと、誰しも考えますよね。党、中央が隠すからいけないのです。志位さんの「外部で酒を飲んではいけない内規がある」と、言う答えが一番まともだったと思います。あの言葉がなぜ失笑を買ったのか私は疑問におもいます。筆坂さんも、カラオケボックスなんかに行くから悪いのです。日本共産党は、そんな贅沢をしてはいけないのです。
>山積みの筆坂本が異様な売行きを続けているその要因、本当はひょっとしたら、学生を装った党員青年を、党機関が動員しているのではないか?、党外一般人の衆目にふれたり売れることを恐れるあまり、県党や地区党の青年専従者辺りを動員(?)して、「とりあえず、店頭にある分だけは」と・・・。
類似の先例は、有田芳生氏の時にうわさを耳にしたことがある。1990~91年頃有田氏が出版、且つ、それを以って党規約に違背した(つまり、党員であるのにかかわらず、組織問題を党外一般向けに公表した)と宣告され、除籍処分を受けたとされる問題作、インタビュー集『日本共産党への手紙』(日本文芸社?)の時期だが、都市部での党事務所近くの比較的大きな複数の書店の店頭から、有田本が「すごい勢いで消えた」と囁かれていたのを思い出す。オカタい政治ものにしては、実に不思議ではあった。当時はゼミ仲間の間でも話題になった記憶がある。
有田氏が問題になったことは、私などは、全く知りませんでした。
有田氏という人物も知りもしなかったから、しかたないですよね。
案外、党外の人の方が党の内情に明るいという面もありますね。
今回も党内の人は、筆坂本に無関心のようです。
いま、日本共産党は、財政難に苦しんでいるので、筆坂本を買いしめてそれが露見したら、党は、吹っ飛ぶと思います。
>(そもそも、セクハラ被害者女性のご氏名はもとより、容貌も年齢も所属も住所も、わからない。チークダンスを共にしたとされる筆坂氏の脳裏ぐらいにしかないのかもしれない。)
二次被害を大きく言う割には、一次被害はなかったのでは、と感じます。
>「ところで、かのような本の出版に彼を駆り立ててしまった組織的な遠因は、あなた方中央の側にあるのではないですか? 彼にかぎらず首を切って、《ハイっ、これで一件落着》とされた過去の何人かに対する姿勢、それに処分者が出るたびに内部的引き締め・無用な監視が強まってはいませんか? もののついでに言うけど、青年世代に笑顔がないのは党が息苦しいことの証左ではないのですか?」と指摘する人も当然おられるかもしれないが。
そう、出るべくして出た本であることを不破氏は認識すべきです。
次に、何よりも期待し、待たれている本は、不破氏の反省本です。
国民は、日本共産党に期待しているのです。