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「組織論・運動論」討論欄

関幸夫さんと渡辺一夫

2006/06/24 千坂史郎

 6月18日付けのさつきさんのご投稿の一節に、目がとまった。

 私は、大江健三郎さんの文学を介して渡辺一夫さんを知ったのですが、「ユマニスム」という考えの中身を知ったのは、関(幸夫?)さんとおっしゃる、かって日本共産党中央委員のお一人であった方が、15年程前だったか、お亡くなりになられる少し前に書かれた、渡辺一夫さんの思想を好意的に捉えて、それを紹介する内容の本によってでした(今は、それが手許にないので、書名も著者の正確なフルネームも思い出せません。どなたかご存知でしたら、ぜひ教えて下さい)。以来、それは私にとっての「努力目標」になったのでした。「人文主義」と訳されるそれは、思想というより、人と人との接し方についてのモラルに近いものかもしれません。

 関幸夫氏は、日本共産党社会科学研究所所長も歴任した党員知識人のおひとりである。1919年に東京で生まれ、東北大を出て本部に勤務されていた。
 氏の著作は何冊かあるが、小生が目にした中では新書本とともに『知識人論ノート』が充実している。新日本出版社から1984年に初版が出ている。まえがきでも第Ⅰ部でも「ヒューマニズムと政治と(上)(下)ー渡辺一夫とエラスムスー」として渡辺一夫、大江健三郎に触れている。

 私の尊敬する哲学者芝田進午さんは、晩年に、「寛容の思想的課題」をイギリス経験論思想の一定の意義を重視されていた。
 ただしいはずの社会主義、共産主義の運動の内外でおこる混乱や権力闘争を省みると、一定の思想的体系としてでなく、思想の方法や生きる思想的態度の課題として、渡辺一夫や芝田進午が課題とした「寛容」や「異なった立場の相互併存の尊重」は、重要な現在的課題である。

 原仙作氏らすぐれた見識をもつかたがたが、「平和共同候補運動」の実践的意義をこのさざ波通信の各欄で述べておられる。
 民衆の闘争の根本に、共同と寛容をどう血肉化するかは、日本の民主主義と社会主義の運動の正念場である。
 そのことを自覚していたかたがたのお一人であった関幸夫氏が鬼籍に入られていたことを、さつきさんのご投稿によって知り、哀悼の念を表したい。   合掌