御存知のとおり、共産党の党勢衰退に歯止めがかかりません。
1998年参院選での14.6%得票率を峰に、2000年総選挙11.2%,2001年参院選7.8%、2003年総選挙7.8%、2004年参院選7.8%、2005年総選挙7.3%となっています。
広島県内における得票も1998年13.5万、2000年11万、2001年7.1万、2003年7.2万、2004年6.9万、2005年7.7万となっています。2005年は投票率が67%と、それまでの60%前後から異常に跳ね上がったせいで、得票率は5%と、低迷しています。
広島県内の場合、深刻なのは、事実上の広島と関西など一部地域でしか強くない新社会党が2001年参院選(3.9万票)を最後に候補者を立てていないのに、票が増えていないことです。
最近の共産党の票の構成としては共産党支持層5割、その他無党派層など5割です。また最近では 投票にいく支持層の24%が他党に流れています。
1998年参院選では、大体、支持層の票は全国で410万票、広島では7万弱です。2005年総選挙では、全国で支持層246万、その他246万、広島では支持層4万弱、無党派4万弱です。おそらく、全国で80万票、広島で1万強が他党へ流れているでしょう。
支持層の票と言うのは、大体、党員がオルグして確保するものです。その他は、あまり党とは関係ないが「共産党がよりまし」と判断して投票した人が多いと思われます。
最近の選挙では、大体、党員の55%くらいしか、選挙活動をしていません。(2004年総選挙。)。党費納入率は65%程度。
広島ではもっとひどい状況があります。私が得た情報では、2003年総選挙では党員の25%しか選挙活動をしなかったというのです。ただし、民青では9割が立ち上がったとも聞いています。すなわち大人がやる気であれば、広島の共産党は大勝していた。
55%しか活動していなかった今が基礎票が220万から240万。おそらく党に追い風が吹き、皆がやる気のあった1998年には9割方の党員が活動していたのでしょう。そうすると計算が大体合います。かつては400万以上あった党の基礎票。しかし、今は80万人が棄権し、80万人が他党へ流れている。
広島の場合は、どうなのか?9割から25%に活動率が落ち込んだとすると、票は、基礎票は7万弱から2万弱に落ち込みます。無党派・他党派が4万弱とすると、2万弱が計算が合いません。これは、新社会党の票が流れ込んでいるお陰だと思います。かつて4万弱あった新社会支持層が、広島では社民・共産に2万弱づつ流れ込んでいるのでしょう。
全国では社民党は2001年参院選と2005年総選挙で票は変わりませんが、広島では、2万あまり増えている。これは明白に新社会支持層の票です。
新社会党支持層抜きの広島の共産党の票は、2万弱程度に過ぎないということです。無党派・他党派を併せても6万弱に過ぎない。
市議団のしっかりしている広島市を除けば、共産党は相当ボロボロだと思われます。前委員長当時、しっかりしていた民青同盟も、彼が活動のメインから引き、私の離党などにともない、活動量は激減。声かけをするものも、ピースウォークを主体的にやるものもいなくなった。
あの、民青の決起率9割は普段の運動があるからこそ、選挙にも取り組めたのだと確信しています。
連合系労組役員と民青役員をかねていた私が2003年総選挙で比例=共産、選挙区=金子(社民公認、連合推薦)で戦ったのも、イラク反戦運動の統一戦線を主体的につくっていったことの延長でした。
今は九条の会に共産党は熱心だが、しかし、どうも反戦とかそういう軸が今ひとつ薄いし、燃え上がってくるものがないように思えて仕方がないのです。でも私はたしかに、民青に籍があることに、誇りを持っていたし、今でもそうです。あのときの古きよき民青を取り戻したい。それは後輩に託すしかない。30代始めでまだ籍があるが、それは無理な相談だろう。
全国レベルで言えば、活動率をとにかく、党費納入者の65%に引き上げることで基礎票をもう40万くらいは上積みできるでしょう。他党へ流れている支持者の半分くらいは取り戻せる。広島で言えば、65%まで活動率を引き上げれば、3万くらいは票が増えます。民青並にすれば、合計で11万票くらいはとれる。
ただ、それができれば苦労はしない。なにしろ、声かけが出来ない。そもそも、一人一人を大事に出来ていない。
98年のような追い風のときは、皆やる気になった。しかし、厳しいときには、一人一人を大事にしなければ、組織は回らない。唯物論が「ただものろん」に変質し、人間をモノ扱いしてきたつけではないかと思います。
もうひとつは、「危機待望論」の破綻です。状況が悪くなれば、人々は自民党を見限り我々につく。そんな甘い見通しがあった。しかしそうはいきません。むしろ、改良を勝ち取った時代よりも、人々は運動から離れて行った。また、そうはいってもフリーターも親に養ってもらえて危機感も薄い。また、本当に大変になったらむしろ、ナショナリズムに走ったりする。
一方で良識のある人たちも、自民党に不満を抱きながらも、共産党の旧態依然たる態度(唯一前衛党論、民主集中制)に、尻込みしてしまっている。
また、悪いことに、共産党は、98年の躍進後、右旋回しており従来ほど軸がハッキリしていない。そこで、利権の取れる自民や政権交代の民主へと流れた。不破さんが、中国を持ち上げ、さらに中国で大宴会して歓待されたことを本で自慢するなど庶民感覚とはなれたことを繰り返し、党員は呆れてしまった。
そうした間にも自民党もさるもので、人々をうまく分割統治して取り込んだ。
しかし、相変わらず、「全般的危機論」と「情勢の厳しさ論」が並存し、「出番論」がくるというワンパターンな提起が党でも県労連でも民青でもされてきた。
今は危機だ。しかし情勢は厳しい。だから出番だ。 こんなトートロジー、袋小路にはまった。
軸のあいまい化は、党員のやる気を削いだ。結果は基礎票の陥没である。そして、無党派層の民主への流出も招いた。そして、慌てて2003年以降はセクト主義を強めたが、これがさらに無党派層の反発を買った。さらに、希望を失った党員も造反した。かくて、共産党は袋のねずみになってしまったのだ。
広島においては、依然ステレオタイプな解放同盟・新社会党批判を続けて、共闘を断り、完全に有権者から見放され、また党員・支持者のやる気も下がっている。これが現状である。
党中央は、スターリン主義(唯一前衛党論、民主集中制)を放棄せねばならない。支部を超えても異論が述べられない状況では、異論が流れになりにくい。だからアウフヘーベンも起きないし、良い政策も出てこないのは当然です。しかしインターネットはそれを打ち破るであろう。革命軍の規律など過去の干からびたイデオロギーである。今は、高度民主主義社会なのだ!
考えてみると右旋回も、たしかな野党=退嬰した唯一前衛党論も、大衆蔑視の現れである。大衆と議論することを恐れているのだ!何を恐れている!分ってくれる人はわかってくれるという信頼をなぜできない?
共産党広島県委員会は、離党者・除籍者に対する仕打ちや、原水禁運動、労働運動における誤りを総括しなければならない。原水禁分裂、広教組分裂を総括せよ!
その上で、一人一人を大事にする作業を行う。そして、少しでも学習、そして、ピースウォークをはじめとする行動に取り組む。また、軸・ビジョンを打ち出す。一方で、軸があれば大胆な妥協、共闘ができる。秋葉市長を推した選挙での共産党関係者の目の輝きは忘れられません。これらを一体となって進めねば効果は薄いのです。しかし、急いでしなければ、共産党の崩壊は近いでしょう。政治状況は待ってくれないのです。