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「組織論・運動論」討論欄

「一般の民は平和をどう見ているか」リポート--或る日のイベントから--

2006/06/28 Forza Giappone 青年

[1]. 2006原水協平和行進 太平洋コース(○○県)

 ここんちでは行進(通過ルート)が通り終えたのだが、今年もいま丁度全国各地で原水協平和行進の真っ只中。太平洋岸ルートについては今時点(6月下旬)ではおそらく、滋賀県西部辺りに差し掛かっていると思われるが、通し行進者(東京~広島・長崎間)と○○県内通し者の方々は、みな行く先々で歓待され、印象深いスピーチを残してきょうも歩き続けておられると思う。
 体力面、約3ヶ月間もの長期間、コンディション維持は並大抵ではないのではないかと想像できるが、実施年によっては、妻帯者やお子さんが居る通し行進者もいらっしゃるとかで、頭の下がる思いである。一見おだやかな笑顔を振りまいてはいても、「通し」となると皆、並々ならない意思で志願されたのだろう。「当初は周囲を説得するのに苦労したよ」とかそういった苦労話も過去にはあったとか・・・。 なにはとまれ、彼ら彼女らが無事に広島・長崎に辿り着くことを希求う(神の御加護を)。

 ぼくが参加した日は、通し者の中に同世代の人がいた。体格こそ中田ヒデ(※サッカー日本代表MF。 イングランド1部・プレミアリーグ「ボルトン」在籍中。)ばりにガッチリ体型(?)だが、なにげに体調不良(?)っぽくみえ、終始寡黙だったし、かなりしんどそうなのがちょっと気がかりだった。
 その逆に、「そぉーなのよ、体重が3kg減っちゃって、このトシでダイエットとはねぇー」とお茶目なノリの真っ黒に日焼けしたおばさまもいて、お陰でぼくら世代も楽しませていただいた。にしても地声の大きなおばさまだったこと(驚)(一瞥したかぎりだと2世代上にみえた)。

 ここんちでは、現役学生だけでなく、職域でも自発的に参加してくれる人々(ちなみに皆非党員。)がちらほら現れ始めたようだ。ただ、サイト読者諸賢も、平和行進に関して、共通の悩みをお持ちかもしれないが、残念ながらまだまだ世代交代の面で膠着状態のままではないかと思う。とくにここんちでは同世代全体の中では無視されてもいいような微々たる参加率でしかないからだ(にしても、一般メディアの“総無視”は腹立たしいほどだ。 NHKもそうだ。バイアスのかかった改憲特集を打ったり、番組と番組の狭間タイムに長々とCM流すヒマあるのなら、行進のひとつでも紹介してはどうか)。

[2].2006早春・とある恒例平和イベント&討議

 さて、平和行進の始まる前、早春の時期に今や毎年恒例になった○○県での平和イベントは、今年も県内外(北は東北、南は九州まで)から多くの方々が参集し、成功することができた。まずはホッとしている。今年も本当にありがとうございました(毎年、キャパが満席になるだろうか、と胃が痛い!のがスタッフ共通の悩みのひとつなのだが、観覧者(オーディエンス)の皆さま、リーダーをはじめサブリーダー、神出鬼没(笑)的な良心的な出演者の依頼折衝に汗を流すスタッフ、自己犠牲精神を発揮する事前学習講師の方々、それに某労組専従のお陰で、幸い失敗は無し)。

 オープニングや映像企画が「いちばんの見せ所」だとは、リーダーの弁だが、なにを勘違いしてか、映像が終わるなりソソクサと帰路についてしまう人が僅かながら見受けられるのはちと悲しいところだ。実施年によっては観覧者中に修士課程の大学院生や留学中の一時帰国者もいるからか、共同討議タイムが地味ながらも意外と人気コーナーの末席を占め、すっかり定番となった。

 メインテーマは毎年異なる。2001~2002年は同時多発テロの衝撃いまださめやらぬ中で、「先制攻撃・報復戦争や戦争の美化を糾弾」が趣旨だったようだ。2005年つまり昨年はイラク人質事件が立て続けに起ったすぐ翌年とあって、高遠菜穂子さんらに対する不当きわまる「“自己責任”バッシング」がテーマだった。 (毎年、小グループごとにグループリーダーが配される。実施年によって、また個性の強い人が担当の場合などは、メインテーマとは若干視点のズレが発生しうるが、かえって多様な見解が引き出せるし、お陰さまでしばしば時間オーバーになるほどの熱論展開に好評を博している。 

 ちなみに、昨年は来日中の反核フランス人学生(ぼくと同世代)2名が討議に参加してくれた。仏語通訳が帯同したので事無きを得た。主張は水準高く、狭域限定(?)核を破棄しようとしない母国の実態を怒りをこめて熱く講義してくださった。「どこの国でも一旦保有したら最後、手放せないものなのかな」といった質問も出て深刻ながらもなかなか興味深かった記憶がある。
 ただ、そんな中でも徴兵制廃止が遂に実現した(志願兵制は存置。)ことや、もうEU域外への侵略目的でのフランス軍派兵は考えられなくなった、という話題に及ぶとそこはかとなく誇らしげであった。ともあれ、ナイスなマドモアゼルにムッシューだった)

 今年の参加者の議論に接して感じられたのは、平和への思い、憲法観、差別が再生産される過程、核拡散阻止、加害責任論、世論誘導洗脳(平然と戦場で人殺しができる人格に改造させられること)、それにイラク、イラン、北朝鮮、パレスティナ、ダルフール地方問題にしても、多様なグラデーションがあることである。人道的介入についても論点提起があった。

 バイアスのかかった報道、イスラーム教を“好戦的宗教だ、だから宗教は危険なのだ”との俗説に対する批判や怒りも僅かながらあったようだ。「いまだに国家神道や靖国を解決しえない、する気すらない日本人が“宗教は危険”なるディスクールにはまるのは、諸外国の民から見れば理解不能、笑止千万だ。嘲笑されてもいる」「アメリカの宗教的右翼原理主義(ファンダメンタリズム)は、公立学校で進化論を教えることにすら、いまだに反対している。昔はそれがらみの殺人未遂事件もあったらしいし、本当に裁判にかける事件もかつてあった。

 言ってみれば政治的リバータリアニズム(?)の対極に位置する危険な思想だとされるけど、そういうのはなぜか日本メディアはとりあげたがらない。これってダブルスタンダードではないかな?」と帰国子女の某美さんが見事にフィールドワーク体験談を交えながら喝破してくれた。

 だが、討議がいよいよ佳境に入ってきた辺りであえなくタイムオーバーとなってしまったのは、かなり心残りである。いつものことながら、時間的制約がたいへんに厳しい。

 「9.11同時多発テロ」から9月で5年を迎える、という一応の節目の年にあたるからだろうか? それはまだよくわからないが、あれから5年ということである程度それぞれなりに熟考できるようになったのかもしれない、というのは確かにあるのではないか。

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 では、以下、粗雑ながら討議参加者のいくつかの声をスケッチしておきたい。

「いくら、イスラエル兵に投石したからったって、パレスティナ人少年を一斉に銃殺するとは!」
「しかも少年はみんな丸腰。武器らしい武器なんか持ってやしない」
「一般メディアはヒタ隠しにしてるのかもしれないけど、むごたらしくって正視に堪えないらしい」
「いまだにインティファーダって意味がよくわからん」
「正当な行為かどうか知らないけど、パレスティナ側による抵抗運動のことでしょ? 1987年ごろに始まったんだって」
「投石した側がイスラエル人少年だったら、何もお咎めなしなんじゃないかな」
「それってダブル・スタンダード」
「パレスティナのオルメルト首相はアラブ民衆から信を得ているといえるのだろうか? アッパーミドル層とは違い、圧倒的大多数の貧困層からは信用されていないのではないか?」
「身なりや立ち居振舞いもなんとなくアラブっぽくないような感じだよね?」
「ウン、なにげに欧米育ちっぽいよね?」
「パレスティナ暫定行政地域の中にも白人系住民は居住してて、で、白人層だけは高等教育受けられて、3K職種には就かなくて済むんでしょー?」
「なにも途上国だけじゃなくって、パリでもニューヨークでもタクシー運転手になるのは有色人種ばかりなんでしょ?」
「北米のチョコレート工場見学したことあるけど、確かに黒人ばかりだったのには驚いた」
「なのに、“外国人入国者が増えると国民の職を奪う、失業が増える、さっさと本国へ帰れ!”なんて。フランスあたりにもルペンとかいう危険な有力者が居たよね?」
「ところで、結局アラファト(故人)が死去したことをいちばん喜んでいるのは、どちらの側なんだろう?」
「両者が水と油の仲である発端は、ユダヤの民がディアスポラの長旅から帰還してきたら、異教徒パレスティナ人が占拠していた・・・んだっけ?? 失地恢復にしても古代からの因縁ってあるのかもなぁ」
「あら、古代の頃はどうだったのか私は知らないけど、この21世紀に至っても殺し合いが止まないのは、もっと別の理由があるんじゃないかしら?」
「大古の昔から“乳と蜜の流れる地”なんでしょ?確か。シオニズムってわけでもないけど神に選ばれ給うた地、Prommist land。シナイ半島、ヨルダン、シリア近辺って。アレキサンドリアとかナイル河口地帯はかつてナポレオン軍が侵攻したらしいしねー」
「今でこそ西欧は豊かだけど、中世辺りまでは食事も貧しかったらしいね。低緯度地帯はおおむね香辛料の宝庫なとこだから当時の西欧人からみたら垂涎のマトだったんだろうなぁ。天文学にしたってギリシァよりも先にエジプトで発達したんでしょ?」
とか、
「北への渡航をめぐり、キムヨンジャさんと横田さき江さんご夫妻で見解がはっきり分かれたのは、何となく理解るような気がする。ナマ言うんじゃないけど、もし私が当事者だったら混乱して頭の中真っ白になっちゃうんじゃないかな・・」
「ヨンジャさんには申し訳ないかもしれないけど、この段階で北へ入るのはリスキーかもしれないぜ」
「私は北に崩壊してほしくないわぁー、北の民が一致団結とかして粛清(?)覚悟で一斉に金独裁体制に反旗翻すとかそういうことは起りうるのかしら?可能性の話だけどね。 ・・そうはいっても現実的に考えるとほとんど絶望的に困難なんだろうけれど、周囲の大国が変な圧力かけることは私は望まないわ。威嚇からは何も生れない」
「韓流ブームに続いて北ブームなんて・・・それはないか、いくらなんでも(笑)。 でも、大学の先生が前に言ってたけど、ピョンヤンの冷麺ってマジで美味しいんですってね。行ったこともないくせに何で?ってわかったのは日朝ピョンヤン宣言の前後に週刊誌が紹介してたんだってさ」
「オレはあんな怖そうな国なんて行きたくはないけど(笑)、向こうの民族楽器とかはどんなものなのか実際に見てみたいなぁー。まぁでも国交がなきゃどのみちムリだなぁー」
「えぇぇー? ○○君はそういう意見なんだ。そんなこったから“日本は人権後進国”なんて批判受けるのよ。こうしてる間にも在日の子ども達が心無い大人からどんな暴力や罵詈雑言被害に遭ってることか、○○君、あなた考えたことあるの!?」
「日本国内で半年間だけで約400~500件近いペースで、対コリアン暴力が発生してるんだって」
「すさまじいペースだな、在日の人たちは日本でまじめに労働してるし税金もちゃんと払ってるってのに!?」
「にもかかわらず、いまだに選挙権もないし被選挙権も与えられない」
「この国では人間扱いされてないね」
「・・・よくわかんないけど、東京行ったときに目撃したけど、なにげに右翼?っぽい風情の人が、チョゴリ服着た朝鮮学校生に罵声浴びせてたぜ、見るに耐えなかった」
「え! どんなふうに?」
「すごく口汚くてね、可哀相だった。 “オラオラ! 朝鮮野郎、拉致民族は北朝鮮へ帰れ!” って。相手の子どもはまだ7~8歳ぐらいにしかみえなかったけど、右翼っぽい男が大柄だし、凶器隠し持ってるかもしれないと考えると恐くて子どもを助けることができなかったんだ・・・。いたいけな子どもだっただけに人格形成に悪影響出なきゃいいけど・・・」
「そういえば△△君って、発達心理学専攻中なのよね?」
「これは異民族差別問題ではないけど、5~6年前の新宿駅ホームでの勇気ある韓国青年。あの惨事はいまだに印象強いわ」
「あっ、あぁ!、転落した日本人を線路に飛び込んで救助したけど、自分(韓国人青年)は轢死してしまったという、あの惨事? ・・・そうだな、血肉化した隣人愛と言えるんじゃないかなと。彼はプロテスタント信者だったのかなぁ・・」
「南北朝鮮はいちばん近い隣人なのに知らず知らずのうちに《プチ・ナショナリズム》に扇動されてる○○君。差別の萌芽は何気ない日常の中に巣くうものなのよ。少しは反省したほうがいいんじゃない?」
「ウゥーン、悔しいけど△△子ちゃんには負けた、アジアの近現代史を学ばなきゃだなぁー(反省)」
とか、
「イランっていまだに極刑が存置されたままなんだっけか?」
「『悪魔の詩』著者サルマン・ラシュディ師っていたでしょ? アッラーを冒涜したとかで死刑宣告になってたっていう・・・彼まだ国外亡命中なんだっけか?」
「(イランの)アフマディネジャド大統領は、《ホロコーストは無かった》と暴言吐いて非難浴びても相変わらず開き直ってるでしょー? アイツはナチズムに心酔してるんじゃないかな?。核疑惑に向き合う気もなさそうだし(怒)、全人類に挑戦状叩き付けてるのと同じよねー。 でも、緊張状態が続く陰でイラン国内での対批判派(民主派)弾圧にも拍車がかからなければいいけどね」
「まったくだ、もしもアフマディネジャドのようなナチス礼賛行為をドイツに渡ってあちらの公衆の面前で仕出かしたとしたら、反ナチ法で刑事罰だっつぅのにな! でも指導者はどうあれ、圧倒的多数の民は争いなんか望んでなんかいないぜ。おれは善良な中東の民とならば平和的に連帯したいなぁー」
「アジアはひとつなんじゃなくって、多様性のラビリンス大陸。互いの差異を自覚し合うところから初めて平和な相互理解が始まる」
「R君ってば、ナマ言っちゃってぇー」
「いつものR君っぽくないよねぇー(笑)」
「まぁ、文化・習慣が違えばささいな行き違いはつきものだと思うね。暴力に発展するのだけは絶対いやだけど、ささいな行き違いの繰り返しを通しておれっち日本男児にも免疫ちぃっとはつくんじゃねぇかな?」
「日本男児だけは余分なんだっつぅの(笑)。国粋主義者じゃないんだし(一同爆笑)」
等々・・・あれこれ。

 ぼくは超寝不足のままでの参加を余儀なくされたので、今年は聞き役に徹っするしかなかったものの、睡魔の襲来は無し。全然倦怠感がなかったなんて実に久しぶりのこと。

 ここで話を平和行進に戻して終わりとするが、沿道カンパ隊の担当を仰せつかった人(2~3人だったと思う)は昼食休憩時にも議論に参加するゆとりなどなかったらしい(一般行進と違ってジグザグ歩きだとかで、したがって歩行距離もかなり長い。昼食時間が若干ズレる)。ちょっと気の毒でもあったようだが、お金を扱う作業は神経をすり減らす役目ではないかと思う、つくづく。
 ここまで異例の長さとなってしまったが、ご海容のほどを。