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「組織論・運動論」討論欄

6・18付さつきさんへ

2006/07/02 樹々の緑 50代 会社員

 さつきさんの上記投稿を拝見しました。

> つまり、国際法的な見地からの「人道問題」は、その内容が「人の道」に関わるかどうかとは一切関係がない。日朝間の拉致問題と戦後補償の二つの問題は、実務的には、国交のあるなしにかかわらず、まったく独立に「人道問題として解決できる」のであるし、そのように進めて行くことで、個々に解決を目指す運動にとって実践的なメリットもある。よって、「国交正常化」とリンクしなければならない理由は存在しない。では、なぜこれらの問題を「解決しなければならない」と思うのかと言えば、それはやはり「人の道」に照らして、ということには違いない。人の道に照らして、これらの問題は解決しなければならないと考える者は、そう主張するに相応しい「人の道」の手本を示すべきであるとも考える。人民の国際連帯を目指す私たち「左翼」は、拉致問題にばかり熱心な自国の政府や世論に、同じ二国間の問題なのだから、もっと「戦後補償」の問題にも目を向けるべきと訴えなければならない。(さつきさんの6・18付投稿から)

 このさつきさんの修正された「見解」には、基本的に賛成です。但し、上記引用中の「戦後補償問題」は、現在も日本国内裁判所でその一部の訴訟が継続中である事件(確定事件を含む)に関連する個人的補償を意味する、という留保付きですが。こんなことをいうのは、この意味での「戦後補償問題」が人道的に解決したからといって、日朝両国間における「戦争責任・植民地支配責任」問題が消滅してしまうわけではない、と考えるからです。否定する趣旨ではありませんので念のため。

 また、私の行論が「寛容を欠く」と受け止められたとしたら、それは私自身に時間的・心理的余裕がないことに原因があります。

 とにかく私は、この1年半くらいの間、共産党の民主的改革という、現時点での個々の運動課題(医療改悪阻止・改革だとか、憲法9条改変阻止・教基法改悪阻止だとかの)に対してはより間接的な目的を持つ運動よりも、限られた時間をより実際の個々の運動課題に取り組む活動に費やすようにしました。私のように党外にいる人間からは、共産党の民主化は、そうした活動を「同伴者」として行う中で影響力を行使していく方法で接近することが大事だと考えるようになったのです。

 理論的な提言という側面では、私も、スカンジナビアンさんのように、党本部に何度も直接に個人として意見を言っています。その中には、私の指摘が取り入れられたと考えられるものもあります。原仙作さんがいわれるような、このサイトの議論や意見集約が、共産党の方針に徐々に影響を与えたこともあるでしょう。

 しかし、ここから先は現在の党中央に対する評価の違いになるのだと思いますが、このサイトの共通問題意識と言える民主集中制のような、あるいはまた、私にいわせると、人文学徒さんがかつて旧「社会主義」諸国内の人権抑圧に関して変更を求めておられた「社会主義生成期論」のような、根幹に係わる部分の方針は、このサイトでいくら意見が集約されたからといって、「徐々に変更される」ことはないだろうと考えています。それは、いまの党中央自身の自殺行為だからです。別に「一般投稿欄」に投稿した「北朝鮮人権侵害対処法」に党が反対した理由である「内政干渉となる」という理由付けなどについても、このような根幹部分に深く関連すると見ています。

 そして、党中央によって部分的にせよ「意見が取り入れられた」というのも、その点に党中央が本当に納得して「考えを改めた」というよりは、「当面こうしておかないとまずい」だとか、「この論理は使える」だとかの、非常に便宜的な態度によるものだと考えているのです。つまり「いいとこ取りのパクリ」でしかないのです。

 しかし、私たち(仮にそういえるとして)が目指しているのは、そうした弥縫策としての方針変更ではなく、現在の党中央が決して認めようとしない、党の基本的認識・組織原則の変革でしょう。だから、これを喜んでばかりはいられないと思っています。
 ただ、「党員であるともないとも言っていない」原仙作さんは別として、人文学徒さんのように現役党員である場合には、このようなサイトを通じての意見表明にも意味があると思います。その場合、現在の党中央を最も深く動揺させうるのは、「党外の者と通じて数を頼んで党中央の方針に反旗を翻してその変更を求めた」と言わせない方法によってのみではないかと思っています。
 インターネットの普及、党中央自身による広報への積極的利用の現状に照らせば、党員同士がネット上で意見を交流すること自体には、もはや厳格な制裁は科せないのではないかと思っています(党を離れてずいぶん経っていますから、不正確かも知れませんが…)。だから、現役党員が、その資格で意見を交流させ、連名で党中央に意見表明をすれば、かなり動揺を生じさせうると思います。

 そのような立場にない、さつきさんや私のような者が、日本共産党の民主的改革を支持していても、それを実際に促す方法として何が適切かは、よく考える必要があると思います。いまの党中央にとって、「元党員」ほど無価値な者はいません。以前のように、「脱落A」と「脱落B」とを区別する「離党報告書」は、まだ使われ続けているのでしょうか。仮にこのような書式は使われなくなっていたとしても、その意識はずっと残存しているように思います。
 それを考えると、「元党員」としてではなく、一般市民運動の参加者として、それぞれの運動を推し進める見地から、共産党の活動方針、それをもたらしている基本認識を改めるように働きかけていくことが、適切な方法だと考えるようになりました。例えば、いまの「平和共同候補」推進運動のようなものに取り組むことです。それを支持する発言をしたり、その意義を積極的に評価したりすることではなく、その運動自体に自ら取り組むことです(単なる事例ですから、その点念のため)。

 もちろん、「さざ波通信」のような形態の運動も、あったに越したことはないですが、いまの私にその余裕は乏しいということです。

 なお、さつきさんが強調され、ご自分の基本的な立脚点だとされている「ユマニスム」についてですが、関幸夫さんも渡辺一夫さんも、名前を存じ上げているだけで、中身は予想もできません。
 ただ、別に投稿した「北朝鮮人権侵害対処法の理念と危険性」の第6項の中でも、人権の国際的・普遍的保障のための国際批判の資格のような事柄について、ほんの少し触れていますが、

> もちろん、自国に弱点があるからといって、他国の弱点を批判できないとするようでは、人権の国際的・普遍的保障は図れない。せっかく素晴らしい国際約束をしても、みんな「臑に傷を持つからものが言えない」となれば、その国際約束は画餅に帰してしまう。不完全な者どうしが、互いに節度ある批判の応酬をしながら、他者の言葉に耳を傾けてよりよい方向に努力し協力していくこと、それ以外にないのである。

というのが、私の基本的なスタンスです。

 つまり、さつきさんの立脚点と議論が噛み合うかどうかは、定かでありませんが、さつきさんの、

>人の道に照らして、これらの問題は解決しなければならないと考える者は、そう主張するに相応しい「人の道」の手本を示すべきであるとも考える。

ということが、「他者を非難する者は、まず先に、自分自身が非難される理由をなくす『手本』を示すべきだ。そうでない限り、他者を非難することは許されえない」という強い意味であれば、もう何度も述べているとおり、私は賛成できない、ということです。  その理由は、上に述べたとおり、例えばこの見地を人権の国際的・普遍的保障にあてはめると、「自国の不備を言われたくないから、他国を批判することもしない」という形になって、結局国際人権条約の履行が「棚上げ」されてしまう危険が大きいからです。その「割を食う」のは、いちばん救済されるべき人権侵害の被害者なのです。「自分が正しい存在であること」よりも、被害者の救済の方が大事だと考えるからです。

 こうした立場は、何も自分の弱点を「棚に上げて」温存していてもよい、ということではありません。「建設的な批判の応酬」が、事態を改善させていく、ということであって、「お前にそんなことを言う資格などない」という、大上段に振りかぶった「批判拒否」を許さない、ということでもあります。これがあなたがおっしゃる「ユマニスム」と関係があるかどうかは分りませんが…。