もう七回目を迎える。
広島への被爆は、世界的規模の核時代の始まりであり、ノーモアヒロシマコンサートを始めたのは平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんである。
芝田夫妻の住まい新宿区戸山地区には早稲田大学や国立施設や住宅街が立ち並ぶ。そこに国立予防衛生研究所(国立感染症研究所)が、住民の不安や反対をふまえず、移転を強行してきた。芝田進午さんを原告団長に、安全に重大な危険性をもつ感染研の実験差し止め裁判を地元住民が起こした。その運動を支えるために、平和コンサートが始まった。
道半ばで芝田進午さんが判決を目前にして胆管がんでご逝去された。しかし、裁判は高裁、最高裁へと発展し、平和コンサートも持続された。裁判はきわめて一方的に住民側敗訴となったけれど、裁判闘争を担ったかたがたは、危険なバイオ実験の安全性の問題が、ますます重要との認識で、なおも感染研移転を要求して、バイオ時代の安全性が国民全体の生命権の問題として無視できないと闘争を続けている。
芝田貞子さんは、亡き夫芝田進午さんの遺作「人類生存の哲学を求めて」(副題。書名は『実践的唯物論への道』)を自らの声楽家専門家の道とあわせて平和コンサートを今年も開催された。6月17日、新宿・牛込箪笥区民ホールは世代をこえて老若男女の聴衆がホールを埋めた。東京第空襲を記録する運動に取り組み続けてきた早乙女勝元さんが、第一部の講演をおこなった。わずか人口380万のコスタリカ共和国が非武装中立で軍備をもたない国家として巨大なアメリカの間近な地勢で、戦後平和を勝ち取ってきた。その様子をドキュメンタリー映画「軍隊を捨てた国」として制作しつつ、ご自身が体験した1945年3月10日、東京大空襲の意味をお話された。コスタリカのアリヤス大統領は1987年にノーベル平和賞を受けた。日本の佐藤栄作首相もノーベル平和賞を受けている。一方は非軍備国家に、一方は軍事大国化を突き進んでいる。
早乙女氏の講演を受けて、第二部では器楽演奏や重唱、シングアウトとクラシックや民謡童謡など多彩なコンサートとなった。芝田貞子さんといい、早乙女さんといい、平和を身近なところからアピールしている。庶民の草の根のこのような小さな波がいつしか大きなうねりとなってゆく。ささやかな試みを大事にすることが、いま重要ではあるまいか。