投稿する トップページ ヘルプ

「組織論・運動論」討論欄

―さつきさん・樹々の緑さん、再び―

2006/07/22 愚等虫

 さつきさん・樹々の緑さん、こんばんは。
 さつきさんの「ただし、その欠陥について私が思いますことは、愚等虫さんのご指摘とはちょっとだけ違います。」(04/08/07)というところから、どこが、どのように…、と思いながら、お二人の討論を拝読させて頂いておりました(かなり、休み休みではありましたが)。
 再開後の樹々の緑さんの素早いご返信もあって、さつきさんも、一応、合点されたようですので、特に申し上げるべきこともないのですが、いくつか、思ったところを述べさせて下さい。

 さつきさんの引っかかっておられたところが、愛宕山さん宛てに出された投稿で、

> 私は、愛宕山さんが「要するに、過去の日本帝国主義による植民地支配、強制連行、慰安婦、その他の蛮行の事実と、現在の北朝鮮による拉致問題とは別問題だという認識が必要なのではないでしょうか。」と書かれることがどうしても理解できないのです。何か、非常にあっさりと割り切った考えに、どうしても違和感を覚えてしまいます。
>両者が全く無関係でない以上、私はやはり、拉致事件解決は「過去」に対する謝罪と償いとともに事にあたらなければならないと考えます。(04/9/30)

と言われていたことで、私にも、はっきりした訳ですが、このご投稿を、私は、すっかり見過ごしており、随分、後になって見つけた次第です。

 私も、「全く無関係」ではないと思いますよ。それは、一般的に、あらゆるものは、なんらかの関係があるという意味においても、敵対関係にある中で起こされた事件であるという意味においても。
 その「無関係でない以上、切り離して考えることはできない」という考えと、樹々の緑さんが、「「他の課題とは別個の」という意味であり、「先決の」という意味ではありません」と言われ、愛宕山さんが、「別問題」と言われることとは、大きく言えば、やはり、道義的・理念的観点と、法的・実践的観点の相違から来ていたように思います。

 もちろん、対象とする事実は一つなのでしょうが、その事実の「認識」は、人が全知全能の神でないかぎり、人により異なります。
 金正日体制、植民地支配、北朝鮮の歴史、周辺諸国との関係、国際法的観点からの捉え方、等々。後に、樹々の緑さんは、「さつきさんと私の「ソ連・東欧の崩壊」に対する、あるいは現代中国や北朝鮮に対する認識の相違です。」と言われておりました。
 ただ、だからこそ、解らないところ、納得のいかないところ等を、真摯に考え、議論する必要があるのだと思います。

 例えは悪いかもしれませんが、こういう見方は、出来ないでしょうか。「拉致」とは、平たく言えば“人攫い”ですよね。国内であるなら、人が攫われた事実と場所さえ判っているのであれば、まず、救出・身柄確保し、犯人逮捕、裁判というような流れになると思われますが、救出・身柄確保(=原状回復)に、裁判を通して救出してよいというような決定が出てから救出するなどということは、基本的にない筈です(その後に、民事で損害賠償請求することも、あり得ると思いますが)。
 一方、強制連行された被害者の皆さんは、北朝鮮・韓国などに送還(=原状回復)してほしいと主張されている訳ではありませんよね。それぞれは、別の事柄として、それぞれに相応しい方法で解決すべきである、と言われているのだろうと思います。
 また、逆に、別の事柄として捉えず、「一体」として解決しようとすれば、拉致の事実を認めているにもかかわらず、取引のための手段・道具として扱われ、ずるずると解決が遅らされてしまう、ということだと思います。

 なお、被害者個人の損害についても、「人道に基礎を置く「国際人道法」と呼ばれる国際法領域も出ています」と樹々の緑さんが仰っておられますように、「人道・人権」の観点からの主張と闘いが進められているようです。

> しかしながら、このような国家中心的な国際法は第二次世界大戦後の国際人権法の発展により変容を受け、被害者個人の請求の処理は国家の裁量に委ねられ国家が放棄すれば個人の請求は消滅してしまうといった国家中心の国際法からドグマ的に導かれる考え方は、被害者の損害の回復という正義の要求から挑戦を受けている。(紛争と法 ~ 国際紛争と人道法・人権法

 「法の理念は正義」とも言われます。さつきさんが、初めの頃に書かれた「不正義への怒り」ということと共通するものだと思います。しかし、法が法として機能するためには、それに対する共通の認識と強制力・拘束力が不可欠です。

 人道=人の道が、「神々の論争」にならないためにも、法として共通の認識を築き上げる努力を、国連や学界、そして広く市民社会においても、続けていかなければならないものだと思います。

 さつきさんは、核兵器やDU(劣化ウラン弾)について、大変、お詳しいと思いますが、人殺しのための兵器がそもそも“人道的”な筈はないのに、「非人道的な兵器」とそうでない「通常兵器」というように分けられていますよね。決して、通常兵器は「人道的兵器」とは呼ばれません。
 そのことは、地雷が「非人道的兵器」であるとされ、全廃されたにもかかわらず、クラスター爆弾は何故、許されるのかという問題から、DU、さらには核兵器という多大な人命とその後の被害では比べようもない大量破壊兵器が、何故、認められるのか、ということまで繋がるものだと思います。
 さつきさんが、DUの問題に対し、科学的指摘によってその廃絶を訴え続けられたことは、敬服に値します。それと同じような地道な努力が、それぞれの場でなされなければならないのだと思います。

 先日、国連人権理事会は、「強制的失踪条約」を全会一致で採択しました。日弁連などが強く要望していたものでもありますが、横田さんをはじめとする拉致被害者の皆さんの訴えと行動、支援者の応援があってこそ、結実したものと言えるのではないでしょうか。

 法の支配は、初めから完全な形で存在するものでは決してないでしょう。「法の目的は平和であり、それに達する手段は闘争である」という言葉を心に抱きながら、実践し発展させていくものだと思います。

***

 「わが身をつねって他人の痛さを知れ」という道義を説くことは、何も悪いことではないと思います。某サイトなどでは、全く関係ない話題のスレッドでさえ、正論に対して行き詰ると、突然、侮蔑的に「この、在日が」「半島に帰れ」等々の言葉で、溢れ返ることなど、しょっちゅうです。どういう方が、どういう意図で、そうした発言をされるのかは判りませんが、そこには、差別的意識はあっても、人としての思いやりは、感じられません。
 しかし、そうだからと言って、「お前(日本人?)には、拉致について、あれこれ言う資格はない。」あるいは、「先に、植民地支配に対する謝罪をしてから、言え。」というような思考に陥ってはいけないということであり、また一方、「そんなことは、どうだっていい(≒する必要はない)。日本は、貸しはあっても、借りなどない。」などという右翼的な主張に対しては、大陸侵略の事実と道理をもって批判すべきである、ということだと思います。

 そういう「道義的資格論」「筋合い論」とも言うべき発言が見受けられがちであり、人権の普遍性という法的・実践的観点の欠落に陥る危険性に対し、樹々の緑さんは、警鐘を鳴らされ、つい(?)、全面展開されたのだろうと思います。言葉が、きつくなっている部分はあったと思いますが、「非難」ではなく、そうした論に対する「批判」と受け止められたほうがよろしいかと思います。
 このことに対し、さつきさんが、「私自身は「日朝国交正常化が拉致問題より重要だ、あるいは先決問題だ」などとは一度も主張したことはありません。」と誤解されないように弁明されたことは、当然だろうと思います。

***

 一つ、気になったのは、やはり、「むくげの会の声明」について、さつきさんも引用されておられた、銀河さんの投稿での「私も民族の誇りから言いましょう。…」の部分です。
 銀河さんがそのように思われ、発言されることは、立派だと思います。しかし、樹々の緑さんも指摘されていますように、「在日の側からいえることで私達日本人側で同じことは言えないと思います。」と言うのは、やはり、少し違うと思うのです。

 ちょっと視点を変えて、W杯日本代表で活躍した三都主アレサンドロという選手がいますが、もちろん、日本人ですよね?
 仮に、彼が、同じように拉致事件批判をしたとすれば、どうでしょう?
 「日本人だけど日本民族ではないから、彼が言うのはかまわない」と言われるのかどうか判りませんが、「日本人・日本民族」ということに、あまり拘る必要はないと思うのです。
 私自身、まあ、党員と言っているので、「日本国籍を有するもの」として「日本人」であることは、間違いありません。しかし、帰化した「日本人」、あるいは、その子孫であるかもしれませんし、また、婚姻によって、「日本人」になったかもしれません。いろんな場合があるでしょうが、知っているのは、私だけです。また、「日本民族」とは、何かという話にまで広がってしまうことにもなります。

 在日の方々からも、

> 民族と国籍を同一視する排他的な単一民族国家観という虚構に、朝鮮人も日本人もともに縛りつけられていたツケが、子どもたちのアイデンティティ形成に不安な影を投げかけている
> 帰化による目本国籍取得者数は年間1万人にも及び、累計は約30万人になる。また、在日コリアン同士の結婚は年々減少し、近年は婚姻件数の2割にも満たない。つまり、在日コリアンの結婚相手は圧倒的に日本人が多く、その間に生まれた子どものほとんどが日本国籍という状態になっている。(国籍問題をこう考える

との指摘もされています。

 こうしたことも踏まえ、逆に、偏狭な民族主義や愛国主義、差別意識に繋がる危険性はないのか、という注意は必要でしょう。
 国籍上、日本人ではない在日の方々も、社会の構成員として税金を納めている訳ですから、賠償問題に決着がついたとしても、日本人だけではなく、同じように、財政的に負担するということになります。
 日本には、市民権の考えが根付いていないこともありますが、日本という地理的領域に住み、生活している者として、それぞれ個人や集団としてのアイデンティティを尊重しながら、また、融合しながら、新しい文化を創造し、共生していくことの視点が大事なのではないかと思います。

***

 ところで、一昨年、曾我さん一家が再会できて以来、拉致されている可能性が高いとされる方々は、一人も救出できていない訳ですが、青山繁晴氏が、「4月10日頃、実は北朝鮮は2名の拉致被害者の帰国発表を準備していた。」という話をしているのをご存知でしょうか。
 但し、それには条件があり、「米朝の直接会談を日本が仲介し、加えて、アメリカの金融制裁を止めるか緩和の話が出たら、二人返すと発表してもよい。」ということだったと言うのです。
 これは、「関西テレビ」で放映されたそうで、私は、生では見ておりませんが、彼の話が事実なら、北朝鮮のこれまでの何度もの説明「拉致問題は解決済み」ということは、どう言い訳するのでしょうか?
 しかも、大問題は、これで、拉致事件は、「完全解決済み」とするという話らしいのです!

 これをネットで見たとき、私は、愕然とするとともに、怒りが沸々と煮えくり返る想いでした。冗談もいい加減にしてほしい。今まで、延々と、拉致などないと言い張り、漸く認めたかと思えば、さらに嘘に嘘を積み重ね、挙句の果てが、条件付きで二人返してもいい?!ぐだぐだと馬鹿らしいことを言ってないで、さっさと拉致した被害者を、全員即座に返さないか!!と…。

 小泉首相訪朝後も、被害者・家族を直ちに返そうともせず、「死亡診断書」なるものを偽造し、横田めぐみさんや松木薫さんの「遺骨」とされるものは、DNA鑑定されないように1200度で2回焼くというようなことまで行う。本当に亡くなられたのであれば、そのようなことをする必要は、全くない筈です。曾我さんと一緒に被害にあったお母さんは、いったいどうなってしまったのでしょうか。実行犯は「処罰した」と言うだけで、名前も、その内容も分かりません。

 金英男さんにしても、日韓両国が、韓国拉致被害者とされる方々のDNA鑑定を行い、ウンギョン(=ヘギョン)さんの父親の可能性が高いという結果が出てきて、漸く、めぐみさんの夫として認め、しかも、「消息を確認した」などという他人事のような発表を行っていました。
 今回の、金英男さんと家族の対面は、寺越さんの事件と同様のやり方で、「拉致」ではなく「救助」と語られましたが、寺越さんは、お母さんに、「墓場で会ったとき、すべてを話す」と囁いていたそうです。はたして、真実は、いつか明らかになるのでしょうか…。
 そしてまた、めぐみさんを火葬したとされる施設が、証言(火葬時期は97年春)の翌々年、99年に建設されているものであり存在していなかった、とも報道されています。北朝鮮当局の行為は、全く誠実さとは、かけ離れたものであり、それこそ、人を「駒」としか思わない行為としか言いようがありません。

***

 また、さらに追い討ちをかけるかのような、今回のミサイル発射実験です。北朝鮮外務省報道官は、7発もミサイルを連射し、「自主権に関する問題で、誰にも是非を問う権利はない」「いかなる合意にも拘束されるわけではない」などと平然と言ってのけました。事前通告も行わず、しかも、テポドン2号は、失敗の可能性が高い、とも言われています。もしも、日本漁船などに被害が出ていたなら、この国の世論は、はたして、どうなっているでしょうか。

 「日本人は、空気で動く」という山本七平氏の言葉が、まだ、通用するのなら、「過ちは繰り返しませぬから」という言葉を胸に、戦後60年、毎年、誓ってきた平和の祈りさえも、一挙に吹き消され、本当の復古主義者・軍国主義者が蔓延ることになるやもしれません。

 事実、額賀防衛庁長官をはじめ、「敵基地攻撃論」が再燃し、また、麻生外相は、「金正日に感謝しないといけないのかもしれません」などと述べ、すぐに言葉を取り繕ったようですが、本音が、覗いたかのように、“格好の口実”を与えるものとなってしまっています。

 これまで、どれだけ多くの人々が、憲法の平和主義を護るために、闘い、努力し、今もなお、頑張っていることを、あなた方は、どう考えているのか!?と、叫びたい気持ちです。

 今再び、丸山真男氏の

> 戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある。

という言葉を記したいと思います。

 こうした中、「小泉首相が、米朝直接対話を促していた」という報道がなされました。青山氏の発言の信憑性を裏付けるかのようなニュースです。
 もしも、彼の発言が、世論を窺うアドバルーンとして、一部にリークされたものだとすれば、小泉‐安倍‐外務省は、はたして、どのような決着をつけようと目論んでいるのでしょうか…。

***

(補足)  北朝鮮外務省の発表の中で、「米国と日本はわれわれの周辺で多くのミサイルを発射しながら、一度でもわれわれに通報したことがあるだろうか。」という部分が、気になっていました。
 この部分は、日本のマスコミでは、ほとんど報道されていません。多くの国民は、政府があれだけ非難しているのだから、当然、日米合同演習などの際には、北朝鮮にも事前通告している筈だと思っているのではないでしょうか。
 しかし、日本政府は、北朝鮮に対しては、一度も事前通告を行ったことはない、そうです。

 そうした批判が一部に上がったためか、ここに来て、外務省は、「日米がそれぞれ演習をする場合、危険にさらされる可能性がある区域(国)には事前に通報を出している」という記事が、産経新聞に載りました。つまり、産経のコメントによれば、「自衛隊の演習で北朝鮮が危険区域となることはないため、通報されていないだけだ。」ということらしいです。
 しかし、はたして、事前通告せずに、北朝鮮の漁船等が、絶対、危険にさらされることはない、と言いきれるものでしょうか?また、危険がなければ、北朝鮮も事前通告しなくてもいい、ということなのでしょうか?まったくの素人で、実態が判りませんので、疑問だけ呈しておきたいと思います。

 こう考えてみると、国連安保理での決議(前文)で、「北朝鮮が(発射にあたり)適切な事前通告を怠り、民間の航空や海運を危険にさらしたことにも加えて懸念を表明。」と、トーンダウンしたような表現になっていることが、納得できそうな気がします。

***

 さつきさん。
 お願いしておきながら、私の意見を述べる投稿が遅れましたことを、お詫び致します。もともと、文章を纏めることが下手な上に、さらに、さつきさんの「私へ向けられた数ある非難の一々について反論があります」という言葉に、また、あれこれ考えたり、ミサイル問題があったりと、文章に書き記すことが、ままなりませんでした。
 他のご投稿も拝読させて頂いておりましたが、遅れ馳せではありますが、「平和への結集」の賛同人に登録させて頂きました。しばらくご不在ということですので、もう、お読みになられていないかもしれませんね。まずは、お元気でおられますよう、願っています。

 樹々の緑さん。
 お二人の議論の「すれ違い」について、いろいろと考える中で、混迷していたものですが、大変ためになることばかりでした。
 私自身、国際法には、全く疎いのですが、樹々の緑さんの他の投稿とその解説などに、「ああ、こういう風に考えればいいのか…」と納得しながら読ませて頂きました。そこで、さつきさんの「ちょっとだけ違います」というところから、その真意がよく掴み切れないでおりました。
 ただ、樹々の緑さんが仰るように、やはり、「法律知識を、かなり無前提に「議論の共通の土俵」にしてしまったこと」が、一つの要因だったように思います。
 さつきさんは、真面目な方です。また、いろんなことも、おありだと思います。あまり、「訝しく思」われないで下さい。お願いしますm(_ _)m。

 先日の「北朝鮮人権侵害対処法の理念と危険性」も、読ませて頂きました。私も、中央が「内政干渉」を反対の理由として挙げたことに疑問を持っていたので、樹々の緑さんの投稿で、やはり、と納得しました。

 私は、以前、

> 誰も、金正日体制を支持している者はいないでしょう。人権侵害に内政干渉はない、と私は考えております。言うべきことは言わねばなりません。それは、どこの国に対してもです。アメリカであろうが中国であろうがです。
 だからこそ、私達は、日本政府に対しても、人権を護り発展させる闘いをあらゆる所で行ってきたし、これからも続けなければならないと考えています。

と述べました。
 中央には、本当に“人権や民主主義”について、確たる理解があるのかと思います。というより、実は、ないのです。ないからこそ、「民主」集中制なるものを保持しながら「民主主義の党として一貫した形で」などと言っても、誰も、「疑問」に思わないのです。

 芦部先生は、リベラル派と言ってもいい方だと思っておりましたが、自衛隊のPKOについても、

> いかに国際貢献という目的であっても、憲法九条の改正なくして、現状のままの自衛隊が部隊として(とくにPKFに)参加する出動を認めることは、法的にはきわめて難しい。

と言っておられました。しかし、現憲法の下で、PKOも、またさらに、イラク派兵も、部隊として、行われてしまいました。
 先生が亡くなられてから、この国は、まるで“重石”が外れたかのように“右”の理論に傾いているように思います。

***

 人文学徒さん、原さん。
 ご無沙汰しております。「公開質問状」の件、ご苦労様です。投稿が遅れそうでしたので、編集部にメールで、お願いだけさせて頂きました。
 原さんが言われていた「爆弾テロや国籍不明のミサイル攻撃などの不測の事態が勃発し、国論が一挙に国防強化へ沸騰することもありえる」という指摘が、現実化する可能性も高くなってきたようです。

 川上さん、澄空さん、銀河さん。「さざ波」に集われる皆さん。
 ご投稿、ご提案、等々、ご苦労様です。大雨・洪水などの被害が広がっているようです。くれぐれも、お気をつけ下さい。それでは、また。