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「組織論・運動論」討論欄

共産党は"歌”を忘れよ(8)

2006/07/30 音重子 30代 給与生活者(連合系労組役員、社会市民連合代表幹事)

 共産党の衰勢がこの6年間というもの、凄まじいものがある。
 1998年参院選を得票の峰として、2000年総選挙で670万票に後退。2001年参院選では431万票まで後退。
 その後は、400万票台での攻防が続いている。2004年参院選で地方区の議席を失った。ついに、1960年ころの党勢に逆戻りしてしまった。

 政策が悪いのか?私はそうは思わない。かなり右に寄ったとはいえ、自民、公明などの与党は言うに及ばず、民主党よりも労働者にとって「よりまし」ではあるだろう。

 問題はもっと他のところにある。それは共産党が拘りつづけている「歌」に原因がある。

 社会主義であることがいけないのか。否。社会主義とは、人間の自由な生き方を本来最大限追求するものではないのか? そういう意味では、むしろ普遍的な概念でさえあると思う。
 日本の旧来自民党政治も、一定程度の「日本型社会主義」であったと思う。

 共産党は女性議員比率も高い。それなりの貢献はしているとみるべきだろう。

 しかし、桎梏がある。その桎梏を「歌」としたい。「歌」とは、結局、組織体質のことなのだろう。そして、「科学的社会主義」を名乗るがゆえに、自らを「天」と見なしてしまう体質のことなのだろう。それが結局、社会主義、弁証法論的唯物論とは無縁の「タダモノ論」に成り下がっているのだろう。

 それら総体が、人々を共産党から引かせる所以になっている。

 共産党は1973年の都議選を峰として転落を続けた。その前年に新日和見主義事件があった。これは、共産党に指導を仰ぐ青年組織民青同盟の幹部を、宮本顕治さんら党幹部が、弾圧した事件である。

 入院中の肝臓病患者を4日間も党本部に監禁した。逮捕監禁罪である。
 結社の自由を錦の御旗に人権蹂躙やりたい放題の宮本顕治さんだったが、彼が総理大臣になったら、それこそ、今の反動勢力同様、「革命のため」今度は国民全体の人権を弾圧しかねないという恐怖を人々に与えた。
 人権の上に国家を置くのが、今の自民党・公明党や、民主党の一部の反動勢力であるが、それを30年早く実践したのが宮本顕治さんだった。

 大衆運動をやっていればどうしても党中央とずれがでてくる。ところが、議論もせずに、一方的にレッテルを貼って排除する。この悪しき風習が、この事件以降、共産党では確立してしまった。

 もうひとつは、この事件は、結局、公安のスパイの民青同盟大阪府委員長北島と、愛知県委員長西村の両名が主導した冤罪事件である。容疑事実の北朝鮮による介入による分派形成などなかった。しかし、宮本顕治さんの面子を守るために、被処分者の名誉回復は行わず、頑なに、新日和見主義者批判の見解を維持している。

 以降、党中央は常に正しく、処分は撤回されることは絶対無い。
 江田三郎先生の肖像画を党本部に掲げたり、小選挙区制反対組の名誉回復を行った社会党、社民党と対比してもその異常性が浮き彫りになろうものだ。
 自分たちは科学的社会主義だから絶対間違いない。思い上がっているのだ。
 いくらいいことを言っていても、聞く耳を持たない人は人徳を失うのだ。

 共産党はその後も、田口富久治教授除名事件、民主文学同盟事件、原水協事件、有田芳生さん除名事件、高橋彦博教授除籍事件などにより、大衆運動家や文化人を次々と追放してきた。そして、怒った文化人らが大量に離党したり、あるいは、森村誠一さんのように絶縁宣言をする人も続出した。

 大衆運動をやったり、芸術に携わったり、評論をしていれば、一ミリ単位まで共産党の見解と一緒、なんてことはありえない。そんなことがあったら戦前の日本と同じことだ。

 見解が統一されていなかったら、国民に責任を負えないと、石頭幹部は言い放つ。馬鹿を言え。

 自民党を見よ。民主党を見よ。民主党は極端すぎるかもしれない。
 しかし、自民党は、丁丁発止の議論で、弁証法が起きている。
 だから、生き残っているのだ。共産党は思考停止の観念論的形而上学だ。何でもかんでもレッテルを貼って共闘できないと決め付ける。表面上いくら良い政策を言っていてもそのうち干からびてくる。そうなると自信がないから今度は奇妙な大衆迎合に走る。しかし、大衆迎合も他者への侮蔑である。

 そして、凄まじいご都合主義だ。「草の根での改憲阻止世論拡大が大事」といいながら「憲法を守ることが目的ではない、党員赤旗を増やすことが目的」と私の友人A氏に言い放つこの感性。こういう矛盾が、結局、民主党に票を奪われる原因となるのだ。「良いことを」「言うだけ」の政党など相手にされないことにどうして気付かぬ。党利党略を置いて置いて、住民のために奉仕するような体質の地方組織はそれなりに元気と聞く。長野県が良い例だろう。しかし、広島県は終わっている。

 共産党県議は、反動的な県議と組んで、広教組への激しい攻撃を行い、平和教育を壊滅させた。共産党は、広教組内党員を扇動して、第二組合をつくらせた。これにより組合は弱体化し、教員の労働条件は急激に悪化した。
 今ごろになって、共産党県議は、教員の健康問題を取り上げているが、手前が犯人だということを自覚せねばなるまい。

 さらに、皮肉なのが、反動県議が最近は共産党に矛先を向けていることだ。
 「共産党のせいで教育改革が進まない」と。随分恩知らずな反動県議ではある。共産党こそ、平和教育破壊の切り込み隊長なのに。

 「1番共産塁に出て、2番川上(県議)エンドラン、3番石橋(県議)タイムリー、4番柏村(参議院)ホームラン、いいぞがんばれドラゴンズ、燃えよドラゴンズー」(それいけドラゴンズ91年バージョン替え歌 平和教育弾圧バージョン)

 ヒロシマの心を語り伝えようと、反核平和の火リレーなどに取り組んできた私に対して、妨害をしたのも共産党の幹部Mだ。私は、当時「Mがいなければ広島共産党は倍増する」と言っていたが、それは今も変わらぬ確信である。

 教育基本法改悪反対を宣伝する前に、自らを省みよ、共産党県委員会や全教広島のお偉方。なぜ、自治労、日教組などでの評判が悪いか、胸に手を当てて考えてみたまえ。

 誰も耳を傾けようとしない干からびた歌手に成り下がってよいのか?

 新日和見主義事件。この補償を被害者はもちろん、民青同盟にすべきだろう。
 党のせいで、民青同盟は20万人から2万人に激減した。はっきり言って、ポーンと専従が男女一人づつくらいは雇える援助を党が出し、口は出さない。
 そうすべきだろう。かつては、財政的には自立していた民青同盟に、口を出して壊滅させたのだから、「金は出すが口は出さない」状況を作り、組織回復に集中させるべきだろう。青年組織をきちんとするのは、欧州の普通の政党でも常識なのだから。

 専従の待遇も改善せよ。その代わり、小選挙区に勝ち目もないのみむやみやたらに立てるのは止めよ。勝ち目がありそうなところで、他党と協力し、本気で勝ちに行くべし。後は、比例区に専念すればよい。

 民青や専従への投資は、小選挙区で立てなければ十分ひねり出せる。そして、党員や同盟員への声掛けを徹底せよ。苦悶する仲間の声に耳を傾けよ。

 共産党は”歌”を忘れよ。自分が唯一正しいなどという思い込みを放棄せよ。

 統制委員会ではなく調整委員会が必要となる組織にしよう。社会主義とは人間解放のプロセスである。

「つまり中央の党本部が強い権限をもつのではなく、地方組織が自主性をもち、党員個々人の市民としての主体性が尊重され、党員の活動についても、義務としての服従よりも、ボランティアとしての参加が大切にされるのであり、このことが価値観の多様化した時代のあり方だと思う。議員の活動にしても、万事党決定で拘束するのではなく、ある程度自由な行動が許さるべきだと思う。統制委員会ではなく調整委員会があればよいのだ。つまり、旧来の党という理念から、連合という理念にかわるべきではないのか。」(9 自由と分権に基づく新しい組織原理の構想
「ブラントは、一九六九年の総選挙に、社民党を「改革の党」とアピールし、一連の「改革政策」を発表している。改良は体制の範囲内での追求だが、改革は体制を乗りこえる。革命が極めて短期間に体制を変革しようとするのに対し、改革は長い時間の中に、新しい形成を行うのである。社会民主主義が追求するのは、形態と量だけではなく、絶え間なき社会の民主化と改革のプロセスそのものである。人間の世界のつづくかぎり、改革の最終到達点はないのである。」社会党は”歌”を忘れよ

 そうであるならば、今の組織の中でも人間解放が達成されていなければうそである。今は、レーニン時代のように、文盲が殆どというわけではない。半分以上が高等教育を受ける御時世だ。自分だけが正しいと引き回す時代はとうの昔に終わった。

 日本の政治風土は保革ともに権威主義である。保守は男性中心。そして、政治に関ることを、胡散臭くみなす風土が根強くある。革新は今度は中央方針への従属を迫れる権威主義的風土がある。権威主義を変えなければ日本は良くならない。

 共産党は革新であるならば、権威主義を壊す先頭にたつべきであろう。
 ところが、今やお株を、「自民党をぶっ壊す」という小泉さんや、民主党に奪われてしまっている。

 それを認識できないようなら、民主党にとってかわられても私は同情しない。
 私は、まだ聞く耳を持つ社民党や民主党の諸君と共に当面歩む道を選びたい。
 共産党の柔軟派諸君は是非、党中央に造反すべきだろう。

 江田先生離党記念日の2004年3月26日は、憲法調査会広島公聴会が終わってしばらくしたときだった。私の発言を傍聴したある旧友が、突然電話を掛けてきた。

 「お前の才能は共産党では活かせない。民主党に移って、民主党を変え、社民主義の路線を打ち出せ」そう彼はきっぱり私に勧めた。私はしばらく思い悩み、結局江田先生の命日に当たる5月22日、離党届を提出した。

 確かに旧友の勧めはあながち当たらずとも遠からずだ。今の共産党は人材の能力を十分生かせていない。40万党員がいて、500万票弱。
 2万3千党員で370万票の社民党と比べても効率の悪さは目に余る。
 共産党は、優秀な人材を腐らせた挙句、低迷をかこつ「政界の読売ジャイアンツ」と化している。

 共産党は”歌”を忘れよ。こちらとしても選挙準備もある。体質改善が見られない場合は、以下の方向で社会市民連合としても対応せざるを得ない。

1、護憲派の女性を党派の別なく優先して推す
2、護憲派の男性を次に推す
3、中間的女性を推す。

 この順番で行かざるを得ない。共産党が反省しない場合、護憲派でも民主党や社民党内部のそれを優先せざるを得まい。残念だがそれは共産党の諸君の態度いかんなのだ。早く"歌”を忘れて立ち直って欲しい。