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「組織論・運動論」討論欄

音重子さんへ

2006/09/18 原 仙作

 音重子さん、はじめまして。賛成していただいてありがとうございます。

 返事が遅れて大変申し訳ありません。音さんの投稿はすべて読んでいるつもりでいました。「共産党は歌を忘れよ(9)」も読んでいるつもりでいましたが、見落としていました。お詫びします。
 私は音さんのような方たちの運動を非常に大事なもので、これからの政治運動の主流になる可能性を秘めた運動であるように感じています。そこには(社会)民主主義の理念と戦略・戦術上の柔軟性、それと若々しい熱意を見いだせるからです。
 私にはその組織の実情はよくわかりませんが、民主主義の理念に合致した形態で、大いなる議論と一丸となった運動の新しい形が創り出されることを願っています。たぶん、音さんのような新しい人格が必要なのかもしれません。

 私が常々思っていることに、こういうことがあります。以前の投稿で、エンゲルスがドイツ社会民主党の躍進を自慢する話を書いた(「理論・政策・党史」欄2004年12月21日)のですが、ドイツ社会民主党が躍進する一原因としてこう言われています。

「われわれの組織は--敵が賞賛しかつ絶望するほど--完璧です。」

 そして、そのような組織をつくりあげることができた主要な原因としてビスマルクの社会主義者取締法が上げられています。
 ここに日本共産党の戦前史との決定的な落差があるのですが、エンゲルスはこんなことも言っています。

「私はドイツを通ってやってきました。そしてなにかにつけて、社会主義者取締法が倒れたのは残念だ、という声を聞きました。警察と戦う方がよっぽどおもしろかった、というのです。」(「チューリヒにおける国際社会主義労働者大会での閉会演説」1893年、全集22巻407ページ)

 戦前の日本共産党の戦いぶりとのこの落差、一方の、眉間に青筋を立てて青息吐息のスパイ摘発「闘争」と、他方の、陽気でたくましい官憲との戦いぶり。
 このように対比すると、日本共産党ばかりでなく新左翼を含めた日本の共産主義運動の根本的な不適格性(国民・人民との遊離性)とでもいうべきものを感じるのです。それを「スターリン主義」というような言葉で概括できないことは、「反スタ」運動を呼号するセクトにこの不適格性というべきものが最も色濃く現れていることでもわかります。
 いわば、日本の共産主義運動全体のリストラクチャリングが迫られていると私は感じており、そうした感覚からすれば、音さん達の運動に期待するところ大いなるものがあります。