ぶどうちゃんさん、はじめまして。
>最近の青年運動が元気ないと嘆く先輩や「今の若いもんは、何を考えているか解らない。」とか「若いもんと話をしても、宇宙人と話をしているみたいや。」と文句を言う先輩も、少なからずおられます。(2006/10/22付『私が考えている青年運動について』より)
その程度なら、あるいは、まだ充分に救いがあるのではないか?と察します。お気を害されるかもしれないですがご容赦ください。
某地は荒(すさ)んでいます。
批判的見地から問題提起し行動もする青年の党員、非党員、協力者のかたがたのことを、カゲで誹謗中傷・人格攻撃しています。「あんなヤツらは“妨害要素”だ」とか「あれでも日本人か」などと全否定を口にしています。全くあきれた事実ですが、ひどいのになると「“反党分子”だ」とか「“反革命分子”だ」などと誹謗中傷・罵詈雑言が支配します。ぼくらの世代にとっては「・・・分子」などといった“業界用語”なんて、歴史のテキストの中でもお目にかかった記憶はありません。字面(じづら)から推定すると何やらモノモノシイ響き、恐怖感といったイメージだけが残ります。
そんな彼らですが、○○のひとつおぼえよろしく、人を見れば「仲間を大切にしよう」「党外との人間的であたたかい関係を築こう」「国際社会のあらゆる暴力に断固、反対しよう」「人権を大切に」と言っています。
ですが、あらゆる暴力に反対うんぬん・・・については、言っていることは尤もながら、言っている「人」その当人が尤もではない。
なぜなら彼らは、精神的暴力、事実無根の人格攻撃、一定の肩書き・地位を利用したパワハラ(パワー・ハラスメント)、“反共”呼ばわり については「暴力ではない」と信じ込んでいるからです。こういうところが「党許の科学的社会主義盲信・隷属者は人権意識が低い」などと揶揄される一因かもしれませんが・・・。
以前からこれら人的意識の低劣現象が気になっているので、何度か良識派のかたがたと共に意見したことはあります。 が、交渉相手は、批判の対象にされること自体を「許されないことだ」と認識しています。「意見や路線で“完全に一致”できる人じゃないと、とにかく困るんだ!」で異論を排除するだけでした。エリアリーダーもサブリーダーも「反省しないばかりか人格攻撃をやめず、ヘタな詭弁でガードするあの人たちこそ、妨害要素なのに」と対抗策に頭をかかえている始末です。
また、周知のように昨年(あるいは一昨年?)春、個人情報保護法が施行されました。同法の立法趣旨に必ずしも好感をもてないかもしれない(行政機関に好都合な抜け穴が学識経験者らから指摘されている。)にせよ、個人情報を守ること自体は賛成です。が、冒頭で引き合いに出した彼らをみると「そんなことはおかまいなしだ」と言いたげな発言・行動が見受けられます。
おそらく、そちら(ぶどうちゃんさんの地元)では、ここんち(ぼくらのエリア)に比すれば、まだずっと健全なのかもしれません。詳細な事情はご投稿文からはわからないのですが(当然?)、文面、と言いますか行間からは、それがなにげに察せられるような感じがしています。
まともなダイアログになっていなくて済みません。ですがあなたのような問題意識のもちかたに共感するひとりです。今後もあなたのご投稿文を楽しみにしています。
あなた達のような鋭いオルタナティヴをお持ちだったり、健全な異論派を、かつて党外に追い出した党機関(または地区委級でしょうか?)は、自ら自滅行為を強行してしまった、ほとんどイエスマンばかりで配下を固めたと批判されるのは当然だと、ぼくも思います。