★日本共産党規約前文(三)改正の必要性
民主集中制について、日本共産党規約前文(三)に「民主集中制(民主主義的中央集権制)」という規定があります。民主集中制=民主主義的中央集権制という概念規定を誤りとする論調は知りません。正しくは、民主集中制=民主主義中央集権制であり、その対極にあるのが民主的集中制=民主主義的中央集権制です。私がこの「的」の有無という用語方法にこだわる理由は、その有無によって質が変わると考え、この二つを縦型と横型として明確に峻別し、横型を肯定する立場に立つからです。
★スターリン型としての日本共産党規約
権力分立と「民主集中制」について、1961年の党大会でクーデターの発動がありました。「東京の戌谷代議員が相当たくさんの意見を出しています」、「もう一つ、これは大きい問題を提案しておられるのですが、統制監査委員会を任命制とする改正提案、この提案理由としては、現行三十三条の規定は七回大会当時の中央委員会不信の不正常な党の状態のもとに作られたのであるから、二権分立になり、民主集中制を否定する、したがって中央委員会の任命制とせよという提案であります。これはなかなかの大きい問題でありまして、八回大会でこういう堤案があったということを、記録しておいて、これも将来検討する」(P174『前衛』No187,1961年第八会大会特集)というものです。ここで戌谷氏がいう民主集中制は正確には権力分立を否定することを本質とする民主「的」集中制ということになります。その後、統制委員会については、1966年の第十回大会において任命制(1939年にスターリンが同様の規約改悪)となり、続いて監査委員会も第十二回大会で任命制となりました。多段階小選挙区制による大会構成は、全人代等の組織原理と同様に「重層的」縦型組織原理であり、党員主権を否定するものです。「統制委員会の任命制」問題については、「規約の基本思想はいろいろな機能を分けることである。だから、たとえば二つの中央機関に分けるのは」、「機能による分割の論理的な帰結なのである。」(レーニン『党規約にかんする報告』1903年)とする観点が必要です。
★無謬主義のリトマス試験紙
「幹部会まで君らは統制するのか」「つまり統制監査委員会というのは、中央委員会や幹部会はその権限外だ、下部だけを取り締まれ、ということ」「統制監査委員会の権限機能と、中央委員会のそれとの区別と統一が不明確で、疑義を生ずる余地があった」(『前衛』1961年No187)とする神聖不可侵、すなわち無謬主義の証拠がこれです。幹部の本丸は、重層性のバリアによって、当局からも、「敵色に汚染されやすい党員」(党中央の党員不信)からも守られる体制です。統制委員会の大会選出を「中央委員会不信の不正常」とする感覚は、無謬主義そのものであり「無謬主義に立たない」とする建て前?と矛盾します。
★「現在・過去・未来」としての民主集中制
国であれ党であれ人間の集団は、「現在・過去・未来」と歌にもあるように「昨日・今日・明日」という時間軸、「プラン・ドゥー・シー」すなわち「立法・執行・司法」という機能から逃れることはできません。(この「執行」についても安易に「行政」と書かれている文書も目にしますが、これも誤りであると思います。私は、わが国においては「行政=立法権的(執行+立法提案権+司法提案権)」と考えています。)
★「八月革命」
1991年に、旧ソヴィエトが憲法を三権統合型から三権分立型に改憲し、宮本氏は「ソ連・東欧では、歴史が逆行しているわけです。「八月革命」というのは誤りで、あれは「革命」でもなんでもありません。」(『赤旗』宮本顕治1991.10.12)と述べていまが、私は、革命であると思います。憲法の本質について「精密な青写真論」などと逃げて、改憲案をもたない党は、革命政党とはいえないと思います。
★真の三権分立の有無は、憲法の有無
フランス人権宣言(1789年8月26日)は、第16条で「権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものではない」としています。この意味については議論もあると思いますが、私は一党独裁(三権掌握)が合法的に可能な、現在のわが国の議院内閣制においては、国民主権は絵に書いた餅であり主権在民の憲法とは言えないと思います。「革命的な臨時秩序の本質は、まさに権力の分立が臨時に廃止されている点にある。立法権力機関が執行権力機関を、あるいは執行権力機関が立法権を、一時的に自分の手にする点にある。」(P142『前衛』1976年革命期の臨時的な国家秩序」)といわれますが、日本国憲法は、前者に近い形態にあると考えます。
★真の三権分立でない議院内閣制
モンテスキューは「議院内閣制は真の三権分立ではない」と述べています。日本国憲法では「自民党独裁」(『第十八回中央委員会決定集』下138頁)が合法的に可能です。もちろん「共産党独裁」も合法的に可能です。「国会の立法権は、実際上はいろいろ制約されて、政府与党のいうままで、多数支配がおこなわれている。」(1-144)ような憲法体制です。「自民党独裁」はだめで「共産党独裁」は良いという理屈です。だからこそ「社会主義日本になっても議院内閣制で」いく(小林栄三「三権分立の発展的継承について」『前衛』No401)となるわけです。その対局にある大統領制については「公選によるとはいえ、特定の個人に絶大な権限が集中し、議会からの制約も弱いアメリカのような大統領制には、われわれは賛成できない。同時に、将来においても、立法機関と行政機関との相対的な独立性を廃止することにも、われわれは反対である。」(1976年『前衛』10月号)として、絶対的な独立性(直接選挙・兼任禁止等)に反対しています。
★重要な「発展方向」
しかし問題は、国家論や党組織論等の「発展」方向を三権統合型とするのか、それとも三権分立型とするのか、そもそも「発展」方向など無いと言うのか、まさに「精密な青写真論」などとタブー視されてきたこの点にこそ、組織論として解明され、確立されるべき課題があると思います。党は、「相対的三権分立」などと表現していますが、「相対的」が意味するのは、兼任・任命を許容する、重層的・縦型の党組織論・国家組織論です。
党組織の発展方向は「とくに指導体制の問題は、実践的には第八回党大会以後党の前進につれて多くの重要な発展があったが、その理論的解明は党大会などでの規約の説明以外には充分なされてこなかった。主題が指導の実態に関しているので、個人論文になじみにくい点もあるので、従来の文献でもそのとりくみが弱かった。」などとタブー視されてきた問題です。前述した「的」の呪縛も一因だと思います。
★社会主義日本の国家論
国の発展方向は、「三権分立」について、縦型志向としては次のような考え方が散見されます。ここでいわれる「発展的」という方向性が問題です。「ぼくらは、たとえば、社会主義日本でも、立法権、行政権、司法権のいわゆる「三権分立」であるべきだとは、機械的には考えていませんし、とくに立法権と行政権の分立には批判的です。」「国会は、立法活動だけでなく、一定の執行活動をもおこなえるようにする。」(P144『現代危機と変革の理論』1975年)「いわゆる三権分立の原則も、発展的に継承する。これは、国民主権を前提として、立法権、行政権、司法権に相対的な独立性と相互規制の関係をもたせるものであるが権力の乱用や人権侵害を防止する民主主義的保障の一つとして役立つであろう。」(P68『前衛』No400第十三回大会1976年)、「三権分立の原則も将来の社会主義日本に当然発展的にひきつがれるべきだということを、今回明確にしたわけであります。」(Pl18『前衛』7、1976)、「マルクスやエンゲルスの言説には、分立した各権力の事実上の統合を革命期の特有の現象として強調した文章や、立法権と執行権の機構的な統一を国家の民主的発展方向として全面に押しだした主張などがある」、「立法権、行政擬、司法権の相対的な独立性と相互規制の関係は、権力の乱用を防止する民主的な保障の一つとして、発展的にうけつがなければならない。民主主義的あるいは社会主義的な人民権力が確立した場合にも、立法機関と行政機関のあいだの相対的な独立性を廃止したり、司法権の独立を否定して裁判所を国会に直接従属させたりすることは、大きな誤りをおかすことであろう。」(P146『前衛』7、1976)として「相対的な独立性」に固執しています。
★共通項は、ソヴェト等の縦型国家論
これらの国家論に類する縦型志向には次のようなものがあります。「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、同時に執行府であり、立法府でもある行政的団体でなければならなかった」(マルクス)、「コンミューン議員は、自分も活動し、自分で自分の法律を実施し、自分で実際上の結果を点検し、自分で自分の選挙人に直接責任を負わなければならない」(4-172)「代議制度はのこっているが、しかし特殊な制度としての、立法活動と執行活動としての、議員に特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。」「コンミューン・・議員は法律を実施し、点検し、分業はない」「コンミューンの意義は・・立法権力と執行権力の分立のない」(P172『レーニン国家・法律と革命』)、「ソヴェト組織は、すでにパリ・コミューンが廃止しはじめたブルジョア民主主義の否定的側面、すなわち、マルクス主義がずっとまえに指摘したその狭さ、制限性をつまり、執行権力からの立法権力の分離としての議会制度を掃きすてた。」(P274『国』)、「まったくあたらしい人民議会が創出され、しかもそれは三権分立とか行政立法とかいうブルジョア民主主義的擬制で区分されない、あたらしい権力機関である。」(Pl15『日本共産党五十年問題資料集①』)、「ソヴェト国家組織のもとで、立法権力と執行権力が結合されている」(4-265)、この機関は、議会制度の長所と直接民主主義の長所とを統合する可能性すなわち立法機能と法律の執行とを、選挙された人民代表の一身に結合する可能性をあたえている。」「これは、ブルジョア議会制度にくらべて民主主義の発展のうえで世界史的な意義をもつ一歩前進である。」、「ソヴェト権力は立法と法律執行権力とを結合し、勤労大衆自身の規律によって社会主義革命を遂行していた」(4-23
1)、「議会制度(立法活動と執行活動の分離としての)の廃棄。立法的国家活動と執行的国家活動との結合。行政と立法との結合」(4-209)。
★「最大の保障」は横型というレーニン。
これらの縦型は、レーニンが晩年にいう「兼任否定」とは反対の方向です。国も党も本質は同じです。レーニンの「兼任否定」としては、「すなわち中央統制委員会は党大会にたいしてのみ責任を負っており、中央統制委員は、どの人民委員部、どのソヴィエト権力機関の仕事をも絶対に兼務できないように構成されている。このような条件のもとでは、地方的な影響や,地方的な官僚主義やあらゆる官僚主義に実際に抵抗して、共和国全体と全連邦をつうじる真に統一的な法の運用を確立できるような小さな中央合議機関が、党によってつくりだされるという保障…これまで考えられたあらゆる保障のなかの最大の保障…があることは、明らかである。」「もしこのやり方からそれるならば、だれも率直に公然と擁護しえない見解をこっそり持ちこんだことになるであろう」(『レーニン全集』1922)などがあります。
★組織論再構築の鍵は、「的」呪縛解明
管見する限り、党規約前文(三)の「的」呪縛の功罪についての議論はありません。組織論再構築の鍵は、「民主集中制=民主主義中央集権制」と「民主的集中制=民主主義的中央集権制」の二つを縦型と横型として明確に峻別する立場に立って、それぞれの民主集中制論、民主的集中制論を読みなおすことが必要だと思います。