大阪府箕面市で学校(私立)教員をやっています。私の勤務校では日の丸・君が代は阻止し、卒業証書も西暦・元号選択制で、今年は「2000年」ということもあって、98%の卒業生が西暦を選びました。しかし、箕面忠魂碑訴訟の地でもある当地でも、ついに今年は軒並み日の丸・君が代が式で実施されてしまっています。
そんな中、3月4日、全教の箕面支部と「大阪教育合同労組」(独立組合)箕面支部の共催で、日の丸君が代に反対する市民集会が開かれ、70名の参加者を得ました。私は両組合のどちらにも属していません(独立労組に近い)が、いずれにせよ、この両派が共闘したというのは、今までの関係を振り返るとよくこぎつけたものだと思いました。全教の人たちが皆びしっと、ネクタイを締め、丁寧な口調で、理路整然と展開するのに対し、教育合同は、ジャンパースタイルで、もたもたと好きなことをしゃべっている、という好対照さ。忠魂碑訴訟の人たちも来ており、今までにない集まりとなりました。
まるで水と油の彼らは、こんなことで融和するとはとても思えない(失礼かな)のですが、大切な共闘だと思っています。
これからはこのような共闘(統一戦線)が必要とされています。
私が思うに、この共闘は日常の「口の利ける関係」から出発していると思います。だから、地域によって、あるいは職場によっては、日の丸・君が代については、3組合(全教・日教組・独立組合)が共闘できるところもあるし、全教+独立組合もあれば、日教組+独立組合のパターンも見受けます。これは上で決めた「共闘」の枠組みがあるわけではなく、あくまで地域・現場の「話せる関係」での枠組みでしょう。あまりに陳腐なことですが、この話せる関係からしか共闘=とりあえずの信頼関係、は結べないと思っています。こういうせっぱ詰まった状況の中で、共闘(統一戦線)はしっかり追求されるべきだと思います。
統一戦線論への疑問の記事を読みました。統一戦線のために階級闘争が抑制されたマイナスのことを主張されていたと思います。私は、かつての反ファシズム統一戦線の時の「支配階級の一部とでも組む」統一戦線は想定していません。
ヒゲ戸田さんらが訴えている「かつて、あるいは現在もいくつかの点で対立している党派あるいは個人」の統一戦線が、今目指されるべき統一戦線であると思います。私は共産党か離党した人たちの党派にも関係がありますが、その人たちでも共産党のことが大変気に懸けているがよくわかります。
そんな状態で、共産党あるいは共産党系の人たちが共闘を模索するべきなのは、民主党などでは決してなく、広範な「左翼」総体であると思います。
人民内部の矛盾の解決、という点から考えても、共産党(共産主義)を強くするという点から考えても、ふらふらして最後は自民党にすり寄るであろう、そして思想信条であまりにも大きくかけ離れた民主党より、まじめに運動に取り組んできた「左翼」へのアプローチや受け入れこそが、今の共産党に要請されていることだと思います。お行儀のいい共産党員から見ると、お行儀も口も悪い「左翼」は「ニセ左翼」だと言うことにしたくなるのでしょうか。そういうレッテルばりを止めて、話し込み始めて欲しいと思います。
そういう部分との共闘から考えないと、かつてのスペイン人民政府みたいに、統一戦線維持のためにはアナキストもトロツキストも戦線から放逐すべきである、となってファシストと闘うよりアナキスト追放に夢中になる、という悪夢のような統一戦線になってしまいます。